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「批評」という文学 (考えるヒント(小林 秀雄))

2008-08-17 11:36:44 | 本と雑誌

Kobayashi_hideo   「考えるヒント」からの最後のご紹介です。

 小林秀雄氏を百科事典で引いてみると、こういう説明がありました。

1929年(昭和4)の「様々な意匠」以来、「ドストエフスキイの生活」「私小説論」から「本居宣長」にいたるまで、小林秀雄は生涯にわたり文芸批評家としてめざましい仕事を展開した。彼の批評の対象は文学にとどまらず、音楽、絵画、思想にもおよんでおり、小林秀雄によって「批評」は文学の独立したジャンルとして確立されたということができる

 
 小林氏=「昭和期を代表する批評家」と言われることが多いですね。
 以前、小林氏の著作を採録した「人生の鍛錬」という本の感想を記した際にも触れましたが、「批評」についての小林氏自身の考えです。

 
(p163より引用) 自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。

 
 小林氏によると「正しい評価=積極的肯定」だといいます。
 まずは、分析による対象の理解・納得が基本になるのです。

 
(p164より引用) ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。カントの批判は、そういう働きをしている。

 
 批評・評論の先駆者からの箴言です。

 
(p164より引用) 文学界でも、論戦は相変らず盛んだが、大体において、非難的主張あるいは主張的非難の形を取っているのが普通である。そういうものが、みな無意味だと言うのではないが、論戦の盛行は、必ずしも批評精神の旺盛を証するものではない。むしろその混乱を証する、という点に注意したいまでだ。

 
 以前、小林秀雄氏の評論は、学生の共通言語のように位置づけられていたころもありました。入学試験等にも多く取り上げられ、その論旨については多くの場合「難解」との評判もありました。
 今回、約30年を経て久しぶりに小林氏の文章に接してみたわけですが、私自身の進歩のなさをまざまざと痛感した次第です。「考える」前提となる知識・教養が絶対的に不足しているのがよくわかりました。

 

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