サンタの写真日記

田舎の広告写真屋、サンタの写真日記。

40才の卒業式

2007年12月11日 08時23分08秒 | 青年会議所
12/2、青年会議所の卒業&忘年パーティーに家族で参加。

今年で40才のワタシはこの12月いっぱいで青年会議所を卒業する。
今年の卒業生は近年最高の12名。

この日は、みんなと顔を合わせる最後の日。

卒業証書をもらったり、思いでの映像を投影してもらったり、妻に手紙を読んでもらったり…。

1997年に入会して11年を振り返ると、ちよっとウルウルきてしまった。


↑後輩からの歌のプレゼント。
森山直太朗の「さくら」。
今年、帯広の全国大会で聞いた曲だ。

手前のギタリストはマルミ君。
卒業したらチハラ先輩とマルミ君とワタシで浜田省吾委員会を結成するのだ。

こども向けのアトラクションはクリスマスケーキづくり教室。


甘いもん屋「きさらぎ」君が先生。
こどもたちは興味津々。



↑まずは、手をキレイに消毒してから。



↑イチゴをたっぷり乗せましょう。



↑教室を終えてニッコリ。
愛すべき後輩「きさらぎ」君でした。


↑胴上げしてもらった。
重くて宙を舞わずにおみこし状態。
(写真提供:同じく卒業生の呉服屋のバカ旦那シゲキ)

卒業式を終え、ゆっくりしていたいとこだけど、最後の仕事「創立50周年記念誌」の編集が遅れていてピリピリ・ヒヤヒヤです。

11年を振り返るどころか、毎日十日町JCの50年を振り返りながら苦しんでおります。

関係者の皆様、年内にはお届けいたしますので、もうしばらくお待ちください。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

帯広全国大会 その6~式典&卒業式~

2007年10月28日 06時09分28秒 | 青年会議所
またまたブログを止めてしまいました。
卒業式編が残ってました。

------------------------------------------

9/30、朝5時起床、5時45分出発。

4時間くらいしか寝ていない。

今日は式典&卒業式。

昨日より一段と寒い。
まるで冬のよう。


↑ホテル前の木には霜が付いていた。
目を疑ったが、ホンモノだった。

今日も馬場専務運転のレンタカーインプレッサで帯広へ。


↑助手席でストレッチをする児玉理事長。
ワタシと丸池親方は後ろの席で、ストレッチもできないくらい窮屈。

思ったほど渋滞もなく7:30帯広の会場へ着いた。


↑朝霧に包まれた式典会場。
北愛国交流広場に巨大なテントが建てられていた。


↑十勝毎日新聞の特報。
「12,000人が参集」と書かれている。
そんなには来ていないと思うけど…。


↑受付でもらった指定席番号。


↑テントの内部。
とにかく広い。

8:30式典開会。

寒くてトイレに行きたくなり、合間をみて一服しにテントから出たら、一時間くらいシャットアウトされて中に入れてくれなかった。
会場の外はそんな人でいっぱい。
どっちが会場かわからないくらい。


何とか卒業式前に中に入れてもらい。
シークレットゲストの発表を待つ。

イニシャルM.Nという噂を聞き、北海道だから「中島みゆき」だと信じていたら…

何と「森山直太朗」でした。

ちょっと残念。

でも血統なのか、歌は上手かった。

ミニコンサートが終わって卒業生登壇。


↑中央ステージの卒業生。(左)

丸池親方が途中で帰ったため、十日町JCの卒業生は理事長とワタシの従兄コンビ二人だけ。

見守るのは馬場専務と澤野君だけ…

…だけど何処にいるかわからない。

近くに来て写真くらい撮れよ!!と思っていたら…


↑壇から降りる寸前にやっと馬場専務が撮ってくれた。

それほど感動のないまま卒業式も終わり、レンタカーを返し、お昼。
帯広駅前のレストランで遅めの昼食。


↑帯広名物「豚丼」と十勝ワイン「トカップ」をいただく。

14:53帯広発の「おおぞら」に乗車。
約2時間半かけて札幌へ移動。

この夜は札幌泊、翌日の午前便で新潟へ帰った。

初めての北海道は札幌、トマム、帯広しか行けなかった。
まだまた広いので、いつか家族でキャンプでもしながら一周してみたい。

個人的には釧路川を下りたいと想って、今回の日程にムリヤリ入れようかと思ったが、もう1泊しないとムリだった。

札幌は大きな街だったが、ほかの都市と何が違うんだろう?って感じ…。

やっぱり、よかったのは大空と大地ですね。

おみやげものの袋に「試される大地 北海道」というコピーが書いてあったけど、いい言葉だなぁ。

凛とした空気感が伝わる。

でも、最近はよく試さないと危険な食品が多いのでご注意を。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

帯広全国大会 その5~大懇親会~

2007年10月21日 07時52分42秒 | 青年会議所
9/29土、18時からの全国大会大懇親会に参加するため、夕方トマムから帯広へ移動。
移動時間は2時間弱。約100km。
北海道の人は時間と距離の感覚が本土とは違うみたいだ。

レンタカーのスバルインプレッサに4人乗車。
運転手は馬場専務。
ほかに理事長・丸池親方・ワタシの3人。
馬場専務以外は身長も体重も人並み以上の巨漢なので、かなり窮屈。

エコノミークラス症候群ななりそう。

夕暮れの十勝平野を眺めつつドライブ。

18時過ぎに帯広市内河川敷の大懇親会会場へ着いた。

会場は屋外。
寒い。
息が白い。

会場は全国から集まった多くのメンバーでごった返していた。
2千人、いやもっといるのか。多すぎて見当が付かない。

帯広のみならず、北海道全土から100軒くらいの屋台が出ている。


↑帯広名物「豚丼」の肉を焼いている。
豚丼の屋台は何軒もあったが、どの屋台も長蛇の列。


↑流氷カクテル。
「この氷、流氷ですか?」とみんなに聞かれ、
「いや、フツーの氷です。」とみんなに答えていた。
この夜、何回同じ質問をされたのだろう。


↑名寄のじゃがバターは売り切れ。

懇親会も終盤近くなり、ステージではショーが始まった。


↑ステージ脇のスクリーンでは松山千春が北方領土返還のビデオメッセージ。


↑メインゲストは郷ひろみ。
50を過ぎても、我々より若々しい。
あんな動き、とてもできない。

「普段のコンサートとは女性ファンが圧倒的に多いけど、今夜は男だらけ。」
「異様な雰囲気だ」「K-1選手になったみたい」と喜んでいた。

さすがベテランアーティストだけあって話術もパフォーマンスもウマイ。
寒さを忘れて盛り上がった。

この後、市内の割烹で二次会。
暖かい部屋で北海道の地酒を飲んだら、そのまま畳の上で寝てしまった。

二次会がおわり、またレンタカーで2時間かけてトマムへ。

親方のいびきを聞きながら就寝。

明日は早朝6時出発でまた帯広。

全国大会のメイン、式典&卒業式だ。

つづく…

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

帯広全国大会 その4~アルファリゾート・トマム~

2007年10月18日 21時47分05秒 | 青年会議所
9/29土、7:03札幌発の特急スーパーおおぞら1号でトマムへ。

札幌の市街を抜けると、北海道らしい風景が広がってきた。(トップ写真)
いい天気。
畑が広い。
空はもっと広い。

携帯に仕込んできた松山千春「大空と大地のなかで」を聞きながら特急「おおぞら」で移動。

♪果てしない大空と♪広い大地の… 心にしみるぜ。

1時間半ほどでトマム駅に到着。


↑トマムに着いた特急スーパーおおぞら。
電車ではなくディーゼル車で結構うるさい割には遅い特急だった。
トマム駅は特急が止まるのに、無人駅でややさみしい感じ。

札幌よりさらに寒い。
初雪前のような冷たい空気。

駅を下りるとトマムリゾートの送迎バスが来ていて、それに乗り込む。
まわりに民家はない。
この駅はリゾート専用駅のようだ。

全国大会の会場は帯広だけど、宿泊は100kmも離れているトマムリゾート。
帯広の宿は満杯。主催者側の割り振りでトマムになったらしい。


↑宿泊先のトマムのホテル「ザ・タワー」。
この他にもう一組ツインのタワーが奥にあった。

右のタワーはリニューアルの塗装工事中。
アートっぽいけど趣味がいいとはいえない…。

ここで先発隊の児玉理事長と合流。

夕方まで時間があるのでリゾート内を視察することに。


↑白樺で作った人形がお出迎え。


↑ホテル前に広がるゴルフコース。
18ホール6,000円でプレーできる。
ホテルの山側はスキー場。


↑基本的にカートはフェアウェー乗り入れ可能らしい。

冬がメインのリゾートらしくこの時期は一般客はまばらだった。
一見豪華でキレイな建物や植栽だが、細部まで手入れが行き届いていないところが目に付く。
ややブームの去った巨大リゾートなので管理も大変なのだろう。
ホテル内のレストランもほとんど休業中で、営業していたのはゴルフコースの小さなレストランのみ。

「んー、ベルナティオのほうがいいなぁ…」で意見が一致。

今夜は帯広で青年会議所全国大会の大懇親会。
夕方、迎えに来た馬場専務運転のレンタカーで100km彼方の帯広までドライブだ…。

つづく。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

帯広全国大会 その2~札幌「NORBESA」~

2007年10月17日 22時07分03秒 | 青年会議所
9/28、ジンギスカン屋を出て観覧車のあるビルへ向かう。

ビルの名は「NORBESA
ノルベサと読むらしい。

観覧車に「ノルベサ」なのだろうか?
方言か…まさか…。

観覧車の名前は「NORIA」ノリア。
スペイン語で「観覧車」の意味。

直径45.5M、地上78M。
所要時間10分。
料金600円。

女の子と二人ならムード満点なのになぁ、と思いつつヒツジ臭い男3人で乗車。

乗ってみると、酔いも手伝ってやたらと楽しい。
ゆったりとしたスピードとゆっくりと広がる札幌の夜景が心地いい。


↑ご覧の通り、親方も呉服屋もご満悦。


↑札幌の夜景。


↑すすきのの電飾看板を見下ろす。

上から見て、札幌は大都会だなぁと改めて実感した。
どこまでもビルが続いていて、東京みたいだ。

「いゃぁーよかった、ヨカッタ」と観覧車を下り、階下へ向かうと、ボーリングの音が…。


↑一見、フツーのボーリング場のようですが…。


↑こんな人形がお出迎えしてたり…


↑ボール置き場がハンバーガーだったり…


↑DJが「OH!! NICE STRIKE!! 」などと実況してたり…



↑店員が全員アフロだったりと
とってもファンキーなポーリング場でした。

ちょっとカルチャーショック。

ボーリング大好きな丸池親方に「する?」と聞くと…

「んー、いや…」

で、すすきのの有名ラーメン店「けやき」へ行ってみたけど、長い行列でとても待てずに断念。

結局、札幌に来ていながらなぜか博多ラーメンを食べて、ホテルに帰り早めの就寝。

明日は7時発でトマムへ向かう。

つづく…

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

稲刈り

2007年09月25日 08時39分26秒 | 青年会議所
9/23、稲刈り当日。秋晴れの予定が、朝から雨模様。
20人ほど集まったが、ちょっとテンション低め。

↑着手前の田んぼ。
前日準備で約1/4ほど刈り取り済み。

8:00集合、8:30雨のなか稲刈りスタート。
手刈りなので多少の雨でも刈ることになっている。
こんな天気だとコンバインでは刈り取らないので、見渡しても稲刈りしているのはココだけ。




↑8~10株刈ったら、ひとつの山にして置いていく。

みんなほとんど素人なので、進みが悪い。
果たして午前中で終わるのだろうか?


↑刈り取り部隊が置いた稲を、クルリと回転させながらワラで束ねる。
慣れないと難しい。ベテランは片手で回すらしい。

ワタシもその係だったが、爪を伸ばしたままにしていたので、指先が痛くなった。


↑ウチの三男坊も参加。
昔は子どもも学校を休んで稲刈りを手伝った。


↑馬場専務。


↑丸ちゃん。


↑ちょっとだけバインダーも出動。
オペレーターは服部次年度。


↑かけ場の最上へは稲を投げて渡す。
はさ木にかけていた頃は、10段くらい上まで投げていた。


↑コシヒカリの稲穂


↑最後のひと株に鎌を入れる、小泉委員長。
時間は11時6分。


↑5ヶ月にわたる稲作事業もこれで一段落。
このあと天日で数日乾燥させて、脱穀、精米、袋詰めで完成。

あの小さな苗がこんなに立派な稲になりました。
自然のチカラは偉大なんだなぁ、と改めて実感。
新米を食べるのが楽しみです。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

稲刈り準備

2007年09月22日 23時41分12秒 | 青年会議所
9/22、午後から稲刈り準備。

春みんなで田植えをした田んぼの稲が収穫の時期を迎え、いよいよ明日9/23に稲刈りをすることに。

今日は午後からその準備。

ハザにかけて天日干しするので、その場所確保のために1/5くらいを刈った。


↑稲をチェックする米屋のヒロナガ。(中央)
奥は何故かしゃがんで稲を刈る小泉委員長。

稲穂はちよっと小ぶりのようだ。


↑1反田んぼの中央を刈り、天日干しのためのハサ場を作った。

児玉氏から稲を束ねてワラで結ぶ技を教わる。
子供の頃はみんなこうやってたのを思い出した。
稲の束ねかた(動画)
↑クリック動画がみれます。

稲刈りは明日9/23午前8時から。
手刈りで、ワラで束ね、ハサがけ、天日干し。
ほとんどシロート。
上手くいくのだろうか?

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

50th記念誌編集中

2007年09月22日 09時37分56秒 | 青年会議所
9/21夜、十日町青年会議所の創立50周年記念誌の編集作業。
1957年の創立時から現在までの資料・写真をひっくり返し、1冊の本にする作業。

特集班・データ班・歴代班に分かれ、それぞれの担当ページの編集作業を黙々と行った。


↑歴代理事長の所信などを読み返す歴代班の澤野チーフとカミシマ君。

"
↑データ班、関口広報委員長&樋熊副委員長チーム


↑データ班保坂チーフ

ワタシはアンジェロ君と昔の写真を閲覧しながら年代・事業名などを整理。

オォー!!コレハナンダ!?

昔のクルマがゼッケンをつけて走っている写真を発見。


↑「郡内一周 交通安全ラリー」という事業みたいだ。


↑「交通安全」の旗をつけて走っている。


↑ジープも出場。
進駐軍かと思った。


↑稲のハザがけが写っているので、季節は秋。

年代は1965年。
東京オリンピックの翌年。
モータリゼーションが始まった頃だ。
当時、十日町も景気が良かったのだろう。

50周年記念誌は11月の発行予定。
10/13日の式典当日には50年の歴史を振り返るJC博物館を開設します。
昔のお宝映像も展示しますのでお楽しみに。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします


田んぼの草取り

2007年08月31日 21時05分34秒 | 青年会議所
8/29と31の夕方、JC田んぼの草取りに参加。

田んぼをほったらかしていたら「ヒエ」が田んぼ一面に育ってしまった。
このままではヤバイ、人目も悪いということで、急遽除草作業。


↑田んぼの地主、児玉理事長。
写っている穂のようなものが「ヒエ」。
田んぼの雑草の代表選手。

ホントはヒエは根こそぎ抜くのが正しい駆除方法だけど、あまりにも多いので茎の途中から摘み取った。


↑ヒエのアップ。
大きくなると赤くなり、こうべを垂れる。


↑実るほどこうべを垂れる稲穂かな。
もう少しで収穫を迎える。


↑31日は雨上がり。
水滴がキレイだったので、草取りをサボりつつ撮影。


↑暗くなるまでがんばった。


↑丸ちゃん。
お疲れさま。


↑取ったヒエは1トンパックへ。


↑軽ダンプに積んで処分。
小泉委員長に「どこにすてらん?」と聞いたら、「ナイショ」と言ってた。

一応見た目はキレイになったけど、育ちの早いヒエは、また一週間くらいするとニョキニョキと頭を出すらしい。
そうなったら、またヒエ取りが待っている。

春に「除草剤をまかないと、たいへんだぞ」と言われた意味がいまやっとわかってきた。

ものごとは、こういうことの繰り返しで、カラダで覚えていくんだなぁ。

稲刈りの予定は9/23日。
もちろん手刈りの予定。

ちなみにこのへんでは「ヒエ」とは言わず、やや憎しみを込めながら「へぇ」と発音する。
「ヒエ取り」は「へーとり」。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

中越沖地震 柏崎支援 その2

2007年07月19日 06時38分47秒 | 青年会議所
7/18日、地震発生3日目の柏崎へ行った。

朝早く十日町JCの児玉理事長から電話があり「わりーけど、これから柏崎に行ってくんねべか?」とのこと。

もともとその予定ではなかったが、一人急にキャンセルになって、行けるメンバーが一人だけになり、手が足りなくなったようなので急遽行くことにした。

7:15松葉荘でメンバーのマルミ君と待ち合わせて、最初の集合場所である柏崎ボランティアセンターへ向かった。




↑行く途中見かけた倒壊家屋。
徐々にではあるが、家屋の復旧作業が始まっている。


↑立ち上がったばかりのボランティアセンター。
まだ受付前だった。
(柏崎総合福祉センター)

ボラセンに着いたと思ったら、ここではなく「市役所裏へ行ってくれ」との連絡が入り、行ってみると新潟ブロックのメンバーが十数人いて、避難所へおにぎりを運ぶ準備をしていた。(トップ写真)

「十日町さんは武道館に行ってください」との指示を受け、ようやく本日の仕事場へ配属。
行くと、燕三条JCのメンバー3名が来ていたので挨拶。
ここは、十日町と燕三条で担当する。

仕事の内容は、武道館にある支援物資の管理など。
トラックで搬入される物資の受け入れと、運搬、数量把握。


↑中には水、お茶などの飲料、食料、毛布などが山積み。


↑武道館の事務所内もこの通り。


↑すぐそばに自衛隊のヘリポートがあり、ひっきりなしに大きなヘリが離着陸している。


↑自衛隊が物資を取りに来て、避難所へ配送する。


↑午前中に到着したコンビニおにぎり10,000個。
一旦、武道館へ保管したがすぐに避難所へ配られた。


↑荷物が入ったかと思うと、またこの様に出て行く。
一般ボランティアの方がいて助かった。


食料も水も数千、数万という単位で入ってくる。

しばらくして、水2Lが3,000本、500mlが6,000本届く。

一般ボランティアの方も合流して全員で一斉に荷下ろし作業。
始まると写真を撮る余裕もない。

水の箱を積み上げる動作が「ビリーズブートキャンプみたいですネェ」とマルミくんが言った。
「そうだ、これでメタボ解消だ」と笑いながらリズムよく箱を積み上げた。
吹き出る汗が心地いい。

門前ではボラセンの電話番だったけど、こういう作業の方が働いている実感がある。


↑積み上げられた水の箱。


↑中には期限切迫品も届く。早めに出すように紙を貼った。

食料の他に、ウエットティッシュ、簡易トイレなどの衛生用品も動きが速い。
水道が復旧するまでは必需品なのだろう。


↑ウエットティッシュの山。

ウエットティッシュ1,700箱を積んだトラックが来た。
数が多すぎて降ろす場所がないので、他の保管所へ行ってもらった。

午後から、理事長と十日町のメンバー3名が合流。
理事長は発生当日から毎日来ている。

夕方、みんながパンの運搬に出払ってしまい、ワタシはひとり倉庫番。
あまり荷物の動きもなくなってきたので、在庫の管理表記入例などを作った。
明日からメンバーが入れ替わりで来るので、これで引き継げるかな。


↑パソコンがないので、手書きで作成。
エクセルでやるような仕事だが、こういう時は手書きが間違いない。

午後7時近くなってやっとパン運搬部隊が帰ってきた。

市の担当者に引き継ぎ、本日の作業は終了。

帰りの市内は復旧作業帰りのクルマなどで渋滞。

高速柏崎I.C付近も渋滞。

この日から、柏崎市全域で電気が復旧したらしい。
郊外のコンビニもいつものように明るく、食料も並んでいた。

無料入浴サービスを開始した川西の松葉荘や千手温泉も被災者でいっぱいだった。

家に帰って普通に風呂に入れるシアワセを感じつつ爆睡したのでした。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします




家族無事→柏崎支援へ

2007年07月17日 02時30分44秒 | 青年会議所
7/16、お昼前に家族の安否確認のため自宅へ戻った。

「遅いッ!」「今まで何やったてたのよッ!!」と妻に叱られるかと思いきや、家では近所の奥さんと子供が遊びにきてて、奥様方は茶飲み話に夢中。子どもたちは捕まえたセミを家の中で飛ばして遊んでた。

とりあえず家族は大丈夫すぎるくらいだった。

余震も大したことない。


↑テレビは地震のニュースばかり。
原発の火事が心配だったが、昼過ぎに鎮火したもよう。

拍子抜けして事務所へ戻ると、倫理法人会の岩船事務長から電話。
明日7/17朝に予定されているモーニングセミナー中止の連絡を手分けしてしよう、というのでクロス10へ。
岩船さんと、西方さん、ワタシの3人で手分けして会員に連絡。

回線が混乱していてなかなか思うように通じなかったが、なんとか終了。


するとJCのメーリングリストから柏崎支援の速報が入った。
「新潟ブロックから要請があり、水と食料を柏崎に届けるので、来れるメンバーは18:00商工会議所集合」とのこと。

家へ戻り、ポリタンク2つに水を詰め、長靴、ヘッドライトを持って会議所へ。

着くと、メンバーが数人いて、理事長は買い出しに出かけていた。


↑買い出ししてきたカップ麺と水を積み込む。

18:45、車体が沈むほど荷物を満載して、とりあえず児玉理事長、澤野君、中林君、ワタシの4人で出発。


柏崎市に入った旧高柳町から停電。

町は真っ暗。

街灯も信号も消えている。

コンビニは自家発電なのか、薄暗いながらも営業していた。

市街地まではたいした渋滞もなく、スムース。

倒壊家屋はR252沿いだけでも数件あり、道路も段差が所々にある。

市役所手前から渋滞。


↑市役所近くの倒壊した店舗。

市役所付近は電気が復旧していたが、救急車両や報道の車で混乱。
支援物資のトラックなどはまだ少ない。

20:10市役所前着。


↑テレビ局、自衛隊、国交省、警察などの車が入れ乱れている市役所前。

着くと新潟ブロックのテントがあり、そこへ水とカップ麺を下ろした。(トップ写真)
県内各地から集まったメンバーは40人程。


↑水の配布について打ち合わせ。


↑集まった水。



↑「水の配給は終了…」の貼り紙。市役所での水の配布は、我々が着いたときには終わっていた。

市災害対策本部との話し合いにより、避難所2箇所に我々の水などを配布することに決定。
十日町JCは燕三条JCと一緒に柏崎第一中学校の避難所へ。


↑避難所へ水を下ろし、地元消防団の人に手伝ってもらいテントを張り、本日の作業は終了。


↑帰る途中、生き埋めになったらしき人の捜索現場を通った。

7/17、十日町JCメンバーは朝6:30集合で現地へ向かう。

春に能登に行ってきたばかりなのに、今度はまた県内で大地震。

17日からは雨予報なので二次災害が心配です。

被災者の皆さん、これから良い方へ向かっていきます。
頑張ってください。

P.S 支援などで現地へ行かれる方は、地元コミニィティーFMのFMピッカラ76.3Mhzで詳細情報が聞けます。
16日は市長のメッセージなども流れてました。
また、自分の食料、飲み物は持参しましょう。
携帯の電池の減りも早いのでご用意を。

甲信越 人気blogランキングへGO!!←1日1回、1クリックお願いします
ブログ村新潟情報へGO!!←1日1回、1クリックお願いします

田の草取り

2007年06月23日 22時17分11秒 | 青年会議所
6/22、早朝5時からJC圃場の田の草取り。

雨にもかかわらず、多くのメンバーが集結。

稲も順調に育っているようだ。


稲の株からはずれたところに生えている雑草を手で取る。
一人が4~5列を担当して草取りスタート。

近年は除草剤を使うため、このような作業は見かけないが、減農薬で作ることに決めたのでやらねばならない重労働のひとつ。

といっても、大勢参加してくれたので1時間チョットで終わった。

大勢いると楽で早いけど、現実はキビシイ。


↑翌日見かけたホンモノの取り風景。(川西上野地区)
一町歩(3,000坪)の田んぼにたった一人。これが現実。




↑新入会員、新婚ホヤホヤの長谷川クン。


↑13人が参加。次回もよろしく。


「イネ」と「ヒエ」はよく似ていてパッと見た目には区別が難しい。

指導者の児玉氏に訊ねたところ、
「イネはそぉ、茎んとこにヒゲがへぇて(生えて)らん」
「ヘー(ヒエ)はヒゲがねくて、ツルンとしるんだんが解る」と教えてくれた。

見てみると確かにイネは茎と葉が分かれている節の所に毛が生えている。
ネットで調べたらこれは「葉耳(ようじ)」というらしい。
ヒエには葉耳がなく、ツルンとしていた。

クスリで除草していたら、わからないままだっだだろう。

たいへん勉強になりました。

人気blogランキングへGO!!
ブログ村新潟情報へGO!!

栃尾名物!?樽みこし綱引き

2007年05月24日 06時13分29秒 | 青年会議所
5/20、青年会議所の野球・ソフトボール大会で栃尾へ。

しかしあいにくの雨でグランドが使えず、栃尾名物「樽みこし綱引き大会」に競技変更。

はじめて目にするこの競技は、綱でつながれた2つの御神輿をそれぞれ8人ずつで引き合うもの。
栃尾では夏祭りの時に全国大会と称してこの大会を催しているらしい。


↑左右のバランス、神輿の角度などにコツがある。
普通の綱引きより盛り上がるが、ちょっと危ない。

巨漢揃い、御神輿大好きの十日町チームはソフトチームが第3位、野球チームが見事優勝!!
野球をせずして念願の北信越大会へのキップを手に入れた。

優勝の瞬間(動画)

北信越大会は小松ドームで7/8に開催。応援に行こう。
全国大会は北海道帯広だ。
理事長は「フェリーで行こうぜ」などと早くも旅の心配をしている。

甲信越 人気blogランキングへGO!!
ブログ村新潟情報へGO!!

田植え 本番編

2007年05月17日 12時09分19秒 | 青年会議所
5/15、田植え当日。

朝4:45起床。

田植えの前に午前6時からの倫理法人会モーニングセミナーに参加。
本日の講師はエフエムゆきぐにの放送局長山本氏。
元アナだけあって話しも上手いし声もいい。

さて田植えだ。

8時に田んぼに行き、苗を運び、のぼりを立ててみんなを待つ。
何年ぶりかで履いた水田長靴がちょっとキツイ。


↑コシヒカリの早苗。キレイだ。

ミーティングをして、着手前の記念写真を撮って田植え開始。
ひとりが5列を受け持ち、苗カゴを腰に縛りスタート。


↑開始後約1時間経過。一番右がワタシ。


↑指3本でつまんで、指2本で植える。リズムにのると早い。

子供の頃は家族、親戚、近所の人たちみんなで田植えをした。
大勢の方が当然早いし、イヤにならない。何より楽しい。


↑水田長靴がない人は裸足で参加。
こっちのほうが気持ちいいかも。


↑植えたての苗。元気に育ちますように。


↑終了後の記念写真。
終わる頃になって、冷たい雨が強く降ってきた。

「作物は人の足音が何よりも好きだ。毎日のように足を運んで見てあげることが大切。」と指導をお願いした児玉さんは語る。
これから秋まで、何度も通い勉強しよう。

甲信越 人気blogランキングへGO!!
ブログ村新潟情報へGO!!

田植え 準備編その2

2007年05月16日 22時13分47秒 | 青年会議所
5/14、今日も田んぼへ。

方言では親しみを込めて「タッポ」と言う。

田植え本番を明日に控え、最終準備。

六角形の木枠を転がして、手植えのための印をつける。
昔はありふれた光景だったが、機械化が進んだ現在は見ることはない。

トップの写真は枠を転がすワタシ。
タイスケ君、撮ってくれてありがとう。

ウチも田んぼを作っていてこの枠も当然あったし、子供の頃は転がしていた。
今は家の吹き抜けにぶら下げて、インテリアになっている。

まさかそれをはずして使うわけにもいかないので、小泉委員長から探してきてもらった。
マスの巾が狭いので昭和初期のモノらしい。


↑これが、その木枠。名前はなんていうのだろう。


↑トップバッターは小泉委員長。真剣そのもの。


↑転がすとこのように枠の跡がつく。
十字に交わったところへ苗を植える。

集まった50周年の委員会メンバーがそれぞれ一往復ずつ転がして作業終了。
1時間くらいで終わると思ったが、2時間半もかかってしまった。
枠の跡もちょっとズレたり曲がったり。

田んぼは真四角でもなければ真っ平らでもない。
予定通り、予想通りいかないから農業は面白いんだろぅなぁ。

現場に行って実際やってみないとわからないことが、身近にもまだまだたくさんありますね。

明日の田植えは、予定通りうまくいくのだろうか。
雨の予報もチラホラ…。


甲信越 人気blogランキングへGO!!
ブログ村新潟情報へGO!!