学生と読む『三四郎』新潮社このアイテムの詳細を見る |
石原千秋、2006年
ナカダです。懲りずにブックレビュー第2弾をお送りいたします。ワタクシ自身、
地方(神戸)から東京に出てきた人間だからか「上京物語」の要素を含んだ小説
を好む傾向があります。「ノルウェイの森」「村上龍映画小説集」、最近では
「東京タワー」などなど。あとこれは小説ではないですが槇原紀之に「遠く遠
く」という曲があり、上京当時良く聴いておりました。(これは名曲です!)し
かしそれら「上京物語」の元祖は夏目漱石の「三四郎」ではないでしょうか?初
めて「三四郎」を読んだのはもう10数年も前のことですが思春期真っ只中のワタ
クシは、東京に行けば「あなたはよっぽど意気地のない方ですね」なんて言葉を
くれる女性に出会えるのではないかと一人希望(妄想)を膨らませていたのであ
ります。もちろんそんなことはあるわけなかった、、、かどうかは皆さんの想像
にお任せします。
さて枕が長くなりましたが、今回ご紹介するのはそんな「三四郎」をテーマに繰
り広げられた、成城大学文芸学部のとあるゼミナールの物語です。
この本には、著者の専門であるテクスト論による「三四郎」の読解法だけでなく、
成城大学をケーススタディとした当世大学生論、大学教員事情、大学運営管理論、
はたまた東京書店論など様々な要素が詰め込まれています。いずれも興味深いト
ピックではありますが、それら全てを包み込んで物語の柱となっているのが、著
者とゼミナールの学生たちとがガチンコでぶつかりあった交流の記録です。
この本で描かれているような教師と学生との濃密な交流は(少なくとも学部レベ
ルでは)多くの大学ですでに失われてしまったものかもしれません。しかし一切
の言い訳をせず、「大学教師」という職業倫理を全うするためにひたすらガチン
コに徹した著者の前では、「昔は良かった」というノスタルジーは何とも空虚に
響きます。特に、進学校出身というプライドゆえ成城の講義に真正面から向き合
うことの出来なかった学生が、ガチンコの交流を通して徐々にありのままの自分
の姿を冷静に見つめるようになり最後には著者も驚くほどの成長を見せる姿は感
動的です。やはり教育とは一つの交流(interaction)なのだと再確認しました。
そこでワタクシの課題となるのが、e-learningのようなself-learningにおいても、
そのようなinteractionが可能なのか?ということです。もちろんself-learning
では、対面での学習と全く同じようなinteractionは出来ません。しかし、それに
近いものは出来るかもしれません。あるいは対面学習とは全く違った形のinterac
tionがありえるのかもしれません。この数年で、ブログやSNS(Social Networkin
g Service)など、新しい形のinteractionが続々と生まれ、社会に定着してきて
います。そのような新しいinteractionから、新しいself-learningが生まれる日
も遠くないかもしれないと考えています。
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