Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.499:流星ひとつ

2014年03月02日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊


流星ひとつ 沢木 耕太郎

皆さんこんにちはナカダです。どういう巡り合わせか(純粋に巡り合わせな
んですけど)、このコーナーの最終回を担当することになりました。力不足
であるのは重々承知しておりますが、何とかトリの務めを果たしたいと思い
ます。さて、最終回ではこの1年ばかりに読んだ中で、最も印象に残った一
冊を挙げさせていただきます。

本書は、歌手の藤圭子さんが突然の引退を表明して間もない1979年の秋に、
沢木耕太郎氏がホテルニューオータニのバーで藤さんにインタビューした記
録が収められています。このインタビューは500枚ほどの原稿にまとめられ、
雑誌に掲載された後、単行本として出版される予定でしたが、藤さんの第二
の人生に与える影響や、自らの原稿への疑問から、沢木氏は出版を取り止め
ます。その後、この原稿は長年お蔵入りになっていましたが、昨年の8月、
藤さんの自死というニュースが世間を駆け巡ります。

沢木氏は藤さんの自死をきっかけに、より正確には「精神を病み、永年奇矯
な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という報道に対する違和感
から、34年間お蔵入りにしていた原稿を公にすることを決めます。沢木氏が
改めて本書を読み返したところ、世間に流布された藤圭子のイメージとは全
く異なる、「藤圭子という女性の精神の、最も美しい瞬間の、一枚の
スナップ写真になっているように思え(た)」(p.321)からです。

私は1977年生まれですので、1979年に引退した藤圭子さんの現役時代は全く
知りません。引退後の「奇矯な行動」についてもほとんど知りません。しか
しそうした背景知識を欠いていたことがむしろ幸いしたのでしょう。1人の
天才歌手が、歌の世界の頂上で何を見たのか、そして頂点に立った自分自身
をどのように観察しているのか、例えるなら、優れた登山家が冷徹に自身の
山行を振り返った記録として興味深く読むことができました。特に印象に残
っているのは、藤さんが頂上に立った後の自分について語った箇所です。本
書のハイライトとも言うべき部分ですので、やや長いですが、次のとおり引
用いたします。

「あたしは、やっぱり、あたしの頂に一度は登ってしまったんだと思うんだ
よね。ほんの短い間に駆け登ってしまったように思えるんだ。一度、頂上に
登ってしまった人は、もうそこから降りようがないんだよ。一年で登った人
も、十年がかりで登った人も、登ってしまったら、あとは同じ。その頂上に
登ったままでいることはできないの。少なくとも、この世界ではありえない
んだ。歌の世界では、ね。頂上に登ってしまった人は、二つしかその頂上か
ら降りる方法はない。ひとつは、転げ落ちる。ひとつは、他の頂上に跳び移
る。この二つしか、あたしはないと思うんだ。」(p.196)

もしかしたら藤さんは「他の頂上に跳び移る」ことがうまくいかなかったの
かもしれません。しかし、少なくとも1979年の秋には、彼女は確かに頂上に
いたのです。その意味で本書は、沢木氏が述懐するとおり、1人の天才歌手
の最も美しい瞬間を、奇跡的に捉えたスナップ写真だと言えるでしょう。し
かし、美しい写真が成立するためには、被写体の素晴らしさだけでなく、そ
の最高の一瞬を的確に切り取る撮影者も必要です。

つまり、本書では「輝くような精神の持ち主」であった28歳の藤圭子だけで
なく、その精神の輝きを切り取った31歳の沢木耕太郎自身も鮮明に描写され
ているのです。この『流星ひとつ』は、インタビューの聴き手と話し手が、
掛け合いの中でともに相手を鮮やかに映し出している点で、異色かつ出色の
作品であり、数ある沢木作品の中でも掛け値なしの傑作の一つだと言えます。

最後に、(やや強引ではありますが)本メルマガの発行趣旨に立ち返り、本
書にビジネスや教育への応用可能性を見い出すならば、それはやはり沢木氏
の卓越した「聴く技術」でしょう。本書のインタビューでも、沢木氏は「相
づち」や「共感」、あるいは「言い換え」といったアクティブリスニング
(積極的傾聴)の手法を効果的に活用し、藤さんの率直な反応を引き出して
います。沢木氏はこれらの手法を特段意識したのではなく、ノンフィクショ
ンの取材を重ねるうちに自然とそのような聴き方になったのだと思いますが、
私のような凡人はこのインタビューを再読し、少しでも沢木氏の「聴く技
術」を自分のものとしたいところです。

あるいは若き沢木耕太郎がカッコ良く(今もカッコいいです)、ニューオー
タニの─バーという雰囲気も手伝って、ついつい藤さんも心を開いてしまっ
たのが真相かもしれません。しかし私が、沢木氏のような「ニューオータニ
のバーでも馴染める雰囲気」をものにするのは不可能です(というかニュー
オータニのバーに足を踏み入れる機会すらないでしょう)。ここはさしあた
って池袋の大衆酒場でコップ酒を呷っても絵になる男を目指したいと思いま
す。

最終回なのに、書籍ともLearningとも関係のない駄文で締める結果となって
しまいました。いや、今回だけではありませんね。これまで7年半もの間、
私の駄文にお付き合いいただき誠にありがとうございました。また皆さんに
お会い出来る日を楽しみにしております。(文責 ナカダ)

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