Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

006 「死の床につくカミーユ・モネ」と好きなことを職業にすること

2014年10月08日 | オープニング
こんにちは

早くも停滞気味のLearning Tomato Blogです。
前回9月19日にUPしているので、そろそろ3週間ですね。

言い訳しますと、とても書きたいと思ったネタを2週間ぐらい前に思いついたのです。
しかし、そのネタを書きとめたと思われるファイルを紛失してしまったのです。
結構いい内容だったという記憶以外何も覚えていないというボケ老人一歩手前のアタマを許してください。

ということで、その場しのぎになりますが、10月20日まで新国立美術館で開催している
「オルセー美術館展」で気になった一枚の絵についてまとめてみました。
最初は学習にもトマトにも関係ない内容だったのですが、無理矢理キャリアの話に近づけてみました。

今回のオルセー美術館展は、クロード・モネ展と言ってよいぐらいモネの絵が沢山展示されています。
「草上の昼食」「サン=ラザール駅」等、多くの人が知っている彼の代表作が並んでいます。
なかでも亡くなった直後の自分の奥さんを描いた「死の床につくカミーユ・モネ」という作品は、圧倒的な存在感を放っていました。


「死の床につくカミーユ・モネ」
サルヴァスタイル美術館

コガは最初、この絵を見た時、亡くなった最愛の妻の綺麗な姿を深い愛をこめて描いたのだろうと純粋に考えていました。
しかし話はフクザツな様です。上記のWebサイトによると、後年モネは友人に対し以下のような事を述べています。

私は無意識的に死によって変化してゆくカミーユの顔色を観察しているのに気がついた。
彼女との永遠の別れがすぐそこに迫っているので、カミーユの最後の姿(イメージ)を捉え
頭に記憶しようとしたのは自然だったのだろう。しかし私は、深く愛した彼女を記憶しようとする前に、
彼女の変化する顔の色彩に強く反応していたのだ


なんという職業意識でしょう!
モネは夫としての純粋な気持ちで好きだった妻の遺体と対峙したかったのかもしれません。
しかし「光をキャンバスにとらえる事」を生業としている画家の習性はそれを許しませんでした。
「女の変化する顔の色彩」に心を奪われ、筆を動かさずにはいられなくなってしまったのです。

話しはここでガラッと変わります。コガは学生からのキャリアの相談を受けた時、
「自分の好きなことを仕事にする事の賛否」について話すことがあります。
賛については、スティーブ・ジョブズがあの有名な「スタンフォード大学の2005年卒業式スピーチ」の中でこんなことを話しています。

これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、
それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること


ここには職業選択の王道の姿があります。

しかし、自分の好きな事を仕事にすることで失うものがあるのも事実です。
自分が好きなことを金銭的な対価を得て続けることの後ろめたさとか、つい商売の目で好きなことを見てしまうことなどです。
飲食店で働くゼミのOBが、以前こんな事を語っていました。

たまの休みに友達と美味しい料理を食べにいっても、
ついその店のサービス内容や店舗の内装、料理の味をチェックしてしまいます。
そこには消費者としての自分でなく、競合を視察する商人としての自分がいるのです。
だから最近純粋に料理を楽しめなくなってしまいました


実際コガも、セミナー等に受講者として参加する際、つい「研修屋」の視点で、講師のインストラクションや研修の流れを見てしまい、
内容に身が入らないことが良くあります。まあコガの場合は、セミナーに参加する事が「たまらなく好きな事」ではないので助かっていますが。
とても好きだったことを仕事にし、以後仕事の目線で観ることになったことから
「好きでなくなって」しまうことって以外に多いのではないでしょうか
(もっともそれぐらいで好きでなくなってしまうのなら、もとから「好きだ」という資格はないのかも知れませんが)。

さて、そろそろモネの「死の床につくカミーユ・モネ」に戻りましょう。
実はこの絵、「妻への愛」VS「画家としての職業意識」という要素に加えて、もうひとつ複雑な事情を抱えています。
モネは奥さんが亡くなる前から、後に再婚する女性と恋愛関係にあったそうなのです。
つまり彼は「長年寄り添ってきた妻への夫としての惜別の思い」と「妻の愛を裏切ったまま死別してしまった後悔の念」
という相反する感情を抱きつつ、刻々と変化する死者の姿を画家として描いていたのです。

静かなのに複雑、綺麗なのに悲しい、そして安らか。見れば見るほど色々な思いが頭のなかを駆け巡る不思議な絵でした。
もし時間がありましたら20日までにカミーユの最後の姿を観に行ってあげてください。
この絵だけでも入場料の価値は十分にあります。

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