Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

Vol.494:最後のクジラ

2013年12月16日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊

『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』赤坂英一著(講談社、2013年)

昭和40年~50年にかけての時代、首都圏に住む小学生の多くは巨人ファンで
した。一方で弱小球団、大洋ホエールズを応援する子供は地元の神奈川県内
にもほとんど生息していませんでした。1978年大洋のホームグランドが川崎
球場から横浜スタジアムに移転した際、大洋の緑とオレンジのヘンテコなユ
ニフォームは青と白のおしゃれな色に変わりました。しかし、1998年前後に
奇跡的に優勝した時期を除けば、球団の順位は不動の万年Bクラスです。球
団名やオーナー企業が変わっても「横浜大洋銀行」の伝統を平成の今も引き
継いでいます。

コガは中学生の頃からそんな弱小球団の魅力に惹かれ、今まで30数年間応援
しつづけています。そのファンになるキッカケを作ったのが、この本の主人
公である田代富雄氏、通称「オバQ」でした。忘れもしない1977年、彼が
ホームランバッターとして一躍注目を浴びた年でした。1試合に何本もホー
ムランを打ち、田代は弱小球団の希望の星として期待されました。そしてそ
のホームランの弾道に魅了されて少年だったコガは大洋のファンになったの
です。

しかし、選手としての田代はホームランか三振という「大味」な選手でした。
記憶に残る選手ではあったものの、記録に残る選手にはなれずに現役を引退
しました。
個人タイトルの獲得もリーグ優勝もすることもなく。

本書は、そんな田代の現役引退後のキャリアを中心に綴ったルポルタージュ
です。2009年5月、一軍監督が突然辞任したため、二軍の監督だった田代が
突然監督代行として一軍の監督を担当することになります。チームの士気は
最悪でした。そして「代行」の肩書がついていることからも分かるよう田代
自身も「今シーズンだけの監督代行」として監督の職に就きます。前任の尻
拭い、球団フロントの失策を一手に引き受ける形での就任ですからモチベー
ションが上がる訳がありません。それでも田代は外部に対して一つの不平不
満も漏らさず頑張ります。本書の中で「この仕事(監督)の要諦は一にも、
二にも沈黙を守ることにある」というフレーズがでてきます。彼はその言葉
を忠実に守りながら、後に続く人材を育成していくのです。しかし努力もむ
なしく、その年は最下位に終わり、予想通り次のシーズンからは別の監督が
ベイスターズを引継ぐことになります。

本書を推薦するのは、コガがホエールズ(ベイスターズ)ファンという理由
だけではありません。本書の魅力は、仕事の第一線から退いた後、男がどう
人生を歩んでいくかという事をリアルに泥臭く描いている点にあります。

かつて営業の第一線で華々しい業績を上げていたAさん、商品開発部で続け
ざまにヒット商品を開発していたBさん、ボロボロだった関西支店を1年で立
て直し、ミスターマネジャーの名をほしいままにしたCさん、そんなAさんB
さんCさんであっても、栄光の日々は長くは続きません。むしろ栄光の期間
から退いた後の職業人生の方が長く続くはずです。そして大抵の場合、彼ら
を待ち受けているのはあまりパッとしないポジションです。どんなに頑張っ
ても、そこでかつての栄光をもう一度手に入れる可能性は低いのです。しか
し、そのポジションで愚痴をこぼさず沈黙を守り、ベストを尽くして働くこ
としか中高年の社内キャリアは残されていません。そんな、最盛期後の仕事
に我々はどんな意味を見出すべきなのでしょうか?

田代自身は一軍監督から退いた後再び二軍監督に戻るものの、1年後球団フ
ロントへの移籍を打診された際「現場にこだわること」を理由にベイスター
ズを退団します。本書の描く田代富雄の人生はそこまでです。最後まで頑張
って働いても結局報われることなく組織を去る寂しい男の姿がそこにはあり
ます。

しかし田代の野球人生にはまだ続きがあったのです。
2013年11月3日、東北楽天ゴールデンイーグルスが優勝を決めた試合でのこ
とです。9回裏、世間の目はマウンドに立った田中投手に釘付けでした。し
かし、その時ふとカメラが楽天のベンチを映しました。ベンチの中にエラの
はった大男を見つけた瞬間、私は目を疑いました。なんと田代が楽天のベン
チの中にいたのです!

後で調べると、田代は昨年から楽天で二軍打撃コーチを担当、2013年からは
一軍打撃コーチを務めていたのです。楽天打線好調の影には田代の存在がか
なり大きかったと言われているようです。野球人生の終盤となって初の日本
一の栄冠をつかむことができた田代は、我々に現場で戦いつづけることの大
切さを言葉でなく実績で示してくれたのです。

いつの日か田代が横浜の地に監督として再び戻ってきてくれることを願って
います。<文責:コガ>

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