Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.448:アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ

2012年03月27日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊
アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ (光文社新書)
石渡嶺司、山内太地 著
光文社


友人が滑り止めに受けた高校の入試の話。
「英語の問題がアルファベットをaから順に書けだったんだよ」「バカにす
るなと思って早々に書きあげて、ふと横を見ると、隣の男がFで詰まってや
がんの」「でもそいつ、合格してた」、と。真偽のほどはわかりませんが、
高校に行くこと自体が特別だった父母の時代では考えられないことです。
時は流れて21世紀に入って10余年。大学は、「少子化」「乱立」「定員割
れ」と霧揉み状態。学生に対する評価は「上場企業の意味を知らない」「教
員に絵文字でメール」に象徴される「基礎学力の低下」「常識の欠如」と嘆
かわしい言葉が繰り返されます。

今回の1冊は、書名からお察しのように、低偏差値大学とその学生とのいた
ちごっこを記したもの、ではありません。いや、もちろんそういう話も書い
てありますが、「そもそも大学ってなんだろう」「学生を入学させるってど
ういうことだろう」ということを実査やデータをふまえ丁寧に問いかけてい
ます。著者は大学人でも企業人事でもなく、大学事情に精通したジャーナリ
ストと、日本の全784大学を訪問した「大学研究家」の2人。ユーモアの中に
も冷静な批判精神が光ります。

前半は、学生の非常識さ、大学の広報下手や意味不明な学部名、そして企業
の採用担当のナンセンスさなど、大学を巡る人々のほぼタイトルに準じたル
ポが紹介されます。

しかし、読みどころは中盤以降にやってきます。

「日本バカ学生史」は、明治時代からの「最近の若者は、、」事例を紹介し
ます。日本初(と思われる)内定辞退者、工藤昭四郎氏が住友本社の内定者
懇親会に出たにもかかわらず、それを蹴って興銀に入行した話など、大正11
年とは思えないリアルさです。

また、たとえ知名度が低くても、真摯な取り組みを続けている事例がいくつ
も取り上げられています。例えば宮崎にある宮崎国際大学。秋田の国際教養
大学より早くすべての講義を英語で行い全員留学は必須。秋田が公立に対し
宮崎は私立であることもこの大学の容易ならぬ姿勢を想像させます。TOEIC
の伸び幅も宮崎は入学時の365点をTOEIC対策もしないのに613点まで引き上
げているといいます。しかし悲しいかな、定員割れが続いています。著者は、
秋田との一番の違いを「広報ベタ」にあると残念がります。

さて、この種の話になると、大学の役割、教員の役割と言う話がからみつい
てきます。「大学は研究機関であり、教員の一義は研究活動であって教育は
二の次」的な主張です。その賛否は少し棚上げにするとして、私は本書を通
読して、やはり「入学を許可する」という大人の責任について思いが至りま
した。学生が「繰り下がりの引き算ができない」ことが許せないなら入学さ
せなければよいのです。それを見極めるのが入試という前提テストというも
の。経営の事情で合格ラインを下げるのであれば、つまりそれによって教職
員がご飯を食べているのであれば、その下げた責任を引き受けるということ
もそれはそれで「常識」というものです。

あるいは、大学はサラリーマン養成所か、という批判も聞きます。その是非
も棚に上げ、少なくとも社会で(大卒として)生きるために必要な常識と良
識を育てるという使命はあると考えます。それが奇しくも就職の際に求めら
れる能力ときわめて符合しており、かつ、企業や役所に就職することを半ば
前提に入学してくるのであれば、それを磨くのは必定でしょう。医学部が医
師養成所としての機能を持っていても不思議ではないように、です。

本書7章では、入試の時期に体調を壊し、やむなく3月入試でX大学に入学
した学生a君のインタビューを載せています。a君は「入学時点で、何か違
うなと思っていました」と切り出します。観光のゼミに入り「今、関心のあ
ること」というテーマとなった時のこと、他のゼミ生は「ファッション」
「バイク」など、趣味の話ばかりを、聞き手への配慮などなしにしゃべりま
す。a君が新聞に載っていた観光業界ことを話すと、女子学生から「頑張っ
ちゃって」と揶揄されたと嘆きます。

この話を聞くと、大学の大きなインフラの1つが「どんな学友がいるか」と
いうことにあらためて行き着きます。入学時点でそれがpoorであれば、それ
を磨いていくことが大学とその教員の使命であることを幾重にも訴えかける
1冊です。
<文責 シバタ>

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