Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.460:自己愛とエゴイズム

2012年08月14日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊
自己愛とエゴイズム (講談社現代新書)
ハビエル・ガラルダ著
講談社


以前にも少し触れたかもしれませんが、私は名刺に「カウンセラー」「コーチ」
「ファシリテータ」といった肩書を見ると、反射的に身構えてしまうと
いう大変無礼な性癖があります。十余年前、「カウンセラー」を自称する年
配の女性と1年間一緒に仕事をした際、随分ひどい目にあったからです。今
でこそ笑い話の文脈で話せますが、彼女の巧妙にして残酷な罠により、数週
間のうちにガクガクと抑うつ状態になっていったのでした。

ことの起こりは彼女が仕切っていたビデオ教材開発プロジェクトでのこと。
中間チェックの会(つまりは、感想を述べあって、より良い作品にしていく
会)で、私が、ちょこっと「建設的批判」をしたのですが、それがお気に召
さなかったようです。彼女はその日以来、私主催の会議には一切出てこない
わ、役員に手を回し私の更迭を図ろうとするわと、ありとあらゆるバッシン
グを始めました。

タチが悪いのは、彼女は職場の多くの人、特に彼女にとって味方につけてお
くと好都合な人の間では聖母のように思われていた点です。例えば、彼女の
交通費精算の事務を担当するちょいとロンリーな若い事務職員に対しては、
オフィスに入るなり数十mも手前から「○○ちゃーん、元気だったー!?心
配してたのよー!」と手を振りながら小走りに駆け寄ったりします。○○ち
ゃんはそれだけで感激して涙目。交通費の請求が多少遅れようがなにしよう
が「先生のためならなんとかしときます!」となっていくが如し、です。
この二面性に気づかず爆死した先達がそれまで幾人もいたことを私が聞かさ
れたのは、ビデオ会議からふた月後のことでした。

さて、今回は「この種の人」の特性を冷静に分析した1冊。新書版ながらそ
の1行1行の濃さに、どんどんとアンダーラインが引かれていきました。
自己愛自体は悪いことではなく、むしろ、「きちんと自己を愛せる人が、他
人を敬い愛せる」と始まります。つまり、本当の自己愛はエゴイズムやナル
シシズムとは全く異なる、というわけです。

話は、邪なるナルシストの特徴を丹念に描写していきます。以下要旨抜粋。
  
・下からおとなしく自分を認めてくれる人、尊敬してくれる崇拝者、に対し
ては非常に優しい。が、実力で対等な立場を取ろうとする人間に対しては、
別人と思われるほど厳しい態度をとる

・誰かが褒められる話題では、さりげなく「だけどさあ」「でもね」「大し
たことないでしょう」と悔しさをとぼけて見せながら何気なく当人の成功を
けなす

自分がスーパスターにならない集まりはつまらない集まりだと思う
 
仲間が述べている笑い話は殆ど聞かないで、その直後自分が述べる笑い話
を準備している。そして、仲間の笑い話で皆が笑っている折角のちょっとの
間を邪魔して、強引に自分の笑い話を挟む


と続きます。そして、

悪人は意識的に人を利用するが、ナルシストは無意識に人を利用する。ナ
ルシストと悪人の違いはこのわずかな点だけである。


なるほど。悪人よりタチが悪い。さらにとどめのように

寂しがりやのナルシストは(孤独という泥水に落ちないための)人を飛び
石にする。ナルシストは人を愛しているつもりであるが、本当に自分が孤独
に陥らないための単なる手段にすぎない


と。

もちろん、喝破するだけではありません。以降、その克服の仕方が丁寧に丁
寧に書かれていきます。が、そこは読んでのお楽しみ。

読了して、いえ、正直言うと読み始めてほどなく、「これは俺の事だわ。こ
れは。」と、血の気が引くのを感じながらマーカーを走らせていました。
そして、くだんの自称カウンセラー女史の件を、いまだにこうして引きずっ
ている自分との対峙が始まるのでした。<文責 シバタ>

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