Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

Vol.493: 信念対立解明アプローチ入門─チーム医療・多職種連携の可能性をひらく

2013年12月07日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊

信念対立解明アプローチ入門─チーム医療・多職種連携の可能性をひらく
京極真 著(中央法規出版刊、2012年)
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最近、全く異なる2つの病院のナースの方から似たような話をお聞きしまし
た。看護の学生さんが病院実習で、初歩的な(しかし、一歩間違えば患者さ
んの命にかかわる)ミスをしたので、看護師長が叱ったところ、翌日から実
習に出てこなくなり、さらには学校の先生から病院に「叱らないで欲しい」
という申し入れが入ったというのです。

「叱らない、褒めて伸ばす」という教育方針で育てられてきた子(とはいえ
22歳)にとって、突然赤の他人にいささか強い語調で注意を受けたことは、
まるで「お前はナースになる資格などない、いや人間じゃない、死んでしま
え」といった最後通牒に聞こえたのかもしれません。この2つの事件はとも
に目撃者もいて、看護師長の叱責はともに決して暴力的なものではなく、い
たって普通の、さらにいえば、まだ素人の実習学生であることをも配慮され
たものであったというのも共通点でした。

ここで興味深いのは、それしきのことでメゲてしまう学生たちというよりも、
「叱らないでほしい」という申し入れをした教員です。すぐ思いつく想像と
しては、「3年半、ここまで大事に育てて、あとはなんとか国家試験を通し
卒業させるまでこぎつけてきたのだから、その努力を無にしてくれるな」と
いう事なかれ主義への批判です。しかし、看護学科の、しかも臨床系の教員
はほぼ例外なく、病院で看護師をしてきた方々です。それしきの叱責など日
常茶飯事で、そうやって鍛えられて一人前になっていくことは自ら経験済み
であり、しかもそれは必要なことであったと考えているでしょう。

では、その教員たちは、なぜ「変節」したのでしょうか。そして、この申し
入れを受けた病院側はこれからどうしていけばいいのでしょうか。

こうした立場・利害の違いによるコンフリクトを「信念対立」と呼び、その
解明(解決ではなく、解明)法を解いているのが今回の1冊です。著者の京
極先生が作業療法士という医療職であることも手伝い、また、このテーマが
病院シーンからスタートしたこともあり、事例のほとんどは病院におけるそ
れになっています。が、コトの本質はあらゆる組織にも共通しています。レ
ストランの厨房とホール、メーカーの開発と営業、運輸業の運行管理者と乗
務員などなど、です。

著者は、こうした信念対立は、安易に解決法を探してはいけない、と主張し
ます。上述の例でいえば、「病院スタッフは学生に対してアサーティブに注
意をしよう」ということではなく、看護学生の育成をめぐって、なぜ教員と
の間でこのような意見の(信念の)対立がおきるのかを丁寧にひもときなさ
い、と言います。そのためには「人はそれぞれ関心の持ち方によって考え
方・感じ方は変わる」という視点に立ち、当事者がどんな関心・目的・意図、
そして方法で主張や感情が生成するのだろうということをつまびらかにする
ことを勧めます。

本書が単なる問題解決やコミュニケーション技法と異なるのは、立場やシー
ンと言った文脈によって人の立ち位置は常に変わるという「相対可能性」へ
の深い着目であると読めます。

職場はもとより、家庭、趣味の会、マンションや住宅地の自治会等々で
「アノヤロー」と思う人がいるあなた。ゼシ、ご一読を!
<文責 シバタ>

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