黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

薗田成家勧請・東小倉の赤城神社

2020-07-06 22:35:03 | 群馬県・旧桐生市

ひめちゃんは、どうも恋の季節まっただ中です。

七海ママに迫って、叱られました。

ママは、幼いひめちゃんに、「恋の季節はママと特に仲良くするのよ。」と教えました。

ひめちゃんは、本能とは別に、そう信じていました。

でも、さすがにママも16才、自分が恋の季節でフェロモンをまき散らしても、そんな気はさらさらないようです。

 

雨で、ひめちゃんたちの写真がありません。

黒柴ひめちゃんたちのピンチヒッターで、黒いヘメロカリスです。

光の加減で、本当に黒く見えます

ひめちゃんちには、雨にも負けず、まだまだヘメロカリスが元気に咲き誇ってます

 

 

崇禅寺からの帰りに、いつもとは違う道を選びました。

というか、なんとなく、ちょっと横道に入ってしましました。

おや、薄暗い道に派手目の看板です

関東ふれあいの道ですって

そんな道があったんですか

あれ、宗禅寺です

崇禅寺ですよね

 

地図だけ拡大します。

小倉石幢って、気がつきませんでした

角塔婆がある東禅寺もそばです。

 

ここはバス停です。

赤城神社というバス停です。

では、赤城神社は何処に?

 

右手の草深い森の上です。

行ってみましょう

鳥居の右の柱の下に、赤城神社の額があります。

落ちたまま、掲げられなかったんですね

もしかしたら東北大震災の時かな?

ひめちゃんちの近くの諏訪神社も、一の鳥居が崩れ落ち、諏訪神社の額は二の鳥居に付いてます。

手水鉢もちょっと寂しい。

狛犬はいないようです。

灯籠は二基あります。

 

階段を登りきると、説明板があります。

薗田太郎成家の創立と伝わるとあります

あの崇禅寺の開基・智明上人の俗名は、薗田太郎成家です

昔、鹿の食害で農民が難儀しているのをみた成家は、良田三町を鹿田と名付けて鹿の餌場としましたが、旱魃の日界にあって困り、阿ヶ儀明神に雨乞いをしました。すると大雨が降り、護国が豊かに実りました。これを感謝した成家は、東小倉に村の鎮守として赤城明神を勧請し、その後寛延年間(1748~1751)に現在の地に遷宮されたと伝えられています。

設置者は、環境省・群馬県です

けっこうすごい史跡なのですね

 

社殿は地味な建物のようですけど?

後ろを覗くと、本殿がちゃんとあります

さすが、環境省・群馬県の説明板がつくだけのことはあります

 

昔、桐生市内の職場に通っていた頃、ここの近くの小倉峠を通りました。

小倉峠は、毎朝渋滞の起きる難所でした

そのころは、ここ小倉村にこんな歴史があったなんて思いも寄りませんでした。

知ってたら、小倉峠のイメージも違ったことでしょう

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 智明上人開基の崇禅寺 | トップ | 7月7日のむーはうすガーデン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬県・旧桐生市」カテゴリの最新記事