ひめちゃんは、どうも恋の季節まっただ中です。
七海ママに迫って、叱られました。
ママは、幼いひめちゃんに、「恋の季節はママと特に仲良くするのよ。」と教えました。
ひめちゃんは、本能とは別に、そう信じていました。
でも、さすがにママも16才、自分が恋の季節でフェロモンをまき散らしても、そんな気はさらさらないようです。
雨で、ひめちゃんたちの写真がありません。
黒柴ひめちゃんたちのピンチヒッターで、黒いヘメロカリスです。
光の加減で、本当に黒く見えます
ひめちゃんちには、雨にも負けず、まだまだヘメロカリスが元気に咲き誇ってます
崇禅寺からの帰りに、いつもとは違う道を選びました。
というか、なんとなく、ちょっと横道に入ってしましました。
おや、薄暗い道に派手目の看板です
関東ふれあいの道ですって
そんな道があったんですか
あれ、宗禅寺です
崇禅寺ですよね
地図だけ拡大します。
小倉石幢って、気がつきませんでした
角塔婆がある東禅寺もそばです。
ここはバス停です。
赤城神社というバス停です。
では、赤城神社は何処に?
右手の草深い森の上です。
行ってみましょう
鳥居の右の柱の下に、赤城神社の額があります。
落ちたまま、掲げられなかったんですね
もしかしたら東北大震災の時かな?
ひめちゃんちの近くの諏訪神社も、一の鳥居が崩れ落ち、諏訪神社の額は二の鳥居に付いてます。
手水鉢もちょっと寂しい。
狛犬はいないようです。
灯籠は二基あります。
階段を登りきると、説明板があります。
薗田太郎成家の創立と伝わるとあります
あの崇禅寺の開基・智明上人の俗名は、薗田太郎成家です
昔、鹿の食害で農民が難儀しているのをみた成家は、良田三町を鹿田と名付けて鹿の餌場としましたが、旱魃の日界にあって困り、阿ヶ儀明神に雨乞いをしました。すると大雨が降り、護国が豊かに実りました。これを感謝した成家は、東小倉に村の鎮守として赤城明神を勧請し、その後寛延年間(1748~1751)に現在の地に遷宮されたと伝えられています。
設置者は、環境省・群馬県です
けっこうすごい史跡なのですね
社殿は地味な建物のようですけど?
後ろを覗くと、本殿がちゃんとあります
さすが、環境省・群馬県の説明板がつくだけのことはあります
昔、桐生市内の職場に通っていた頃、ここの近くの小倉峠を通りました。
小倉峠は、毎朝渋滞の起きる難所でした
そのころは、ここ小倉村にこんな歴史があったなんて思いも寄りませんでした。
知ってたら、小倉峠のイメージも違ったことでしょう
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