黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

太田貞宗寄進状・その1

2024-05-25 14:53:12 | 山上保の物語・総集編

爽やかな朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

タバサねーちゃんも、今朝は調子がいいようです

タバちゃん、あと一ヶ月ちょっとで16歳です

 

 

 

「角川日本地名大辞典(旧地名編)」の「葛塚村(中世)」で、葛塚村関連の文書として5つの文書があがっています。
 1、太田貞宗寄進状(建武元年11月27日)
 2、宇都宮氏綱宛鎌倉公方足利基氏書状(南北朝期年未詳3月18日)
 3、赤堀上野介宛上杉顕定書状(年未詳3月16日)
 4、由良成繁事書案(永禄10年)
 5、赤堀上野介宛上杉顕定書状(年未詳12月18日)

3の文書は『群馬県史資料編7』では、長享2年3月18日としています。
そして、5の文書は『群馬県史資料編7』では、長享元年12月18日としています。

そうすると、葛塚村関連の文書を年代順に並べ替える必要があります。

 1、太田貞宗寄進状(建武元年11月27日)
 2、宇都宮氏綱宛鎌倉公方足利基氏書状(南北朝期年未詳3月18日)
 3、赤堀上野介宛上杉顕定書状(長享元年12月18日)
 4、赤堀上野介宛上杉顕定書状(長享2年3月16日)
 5、由良成繁事書案(永禄10年)

この5つの文書を確認していきます

 

 

「太田貞宗寄進状」から始めます

「太田貞宗寄進状」は『群馬県史資料編6中世2』にあります
なぜか桐生市立図書館の蔵書検索になかったので、古本で手に入れました。

届いて開いたら、いきなり「太田貞宗寄進状」の写真がありました



まるで開けるのを待っていたようです
花押もあります


597 太田貞宗寄進状
    ○神奈川県 鎌倉中央図書館所蔵神田孝平氏所蔵文書

寄進
 上野国山上葛塚村諏訪両社上下神事幷燈油等料田事
右、當保田部村新平三入道作田屋敷幷葛塚村和泉坊作田屋敷、源六入道跡田屋敷河ハタ田等、限年紀沽却訖、年紀以後、所寄進當社也、以件得分、神事料田不足之時、且令勤行祭祀、且可備當社燈油也、為祝管領可勤彼役也、乃寄進状如件、
     建武元年十一月廿七日
        前美作権守貞宗 (花押25)



まず遠い(といっても関東ですけど)、鎌倉にあった文書だという事が、ビックリです。
太田貞宗については、ほとんどわかりません


太田氏は鎌倉幕府の事務官僚三善氏の流れということです。

『花押かがみ5』(2002吉川弘文館)に、「太田貞宗、別名千熊丸、民部七郎、美作権守」とあるようです。
残念ながら、桐生市立図書館にもありませんし、出回っている古書もないようです。

美作(みまさか、岡山県)とは、またずいぶん離れたところで、山上の人々はどこだか見当も付かないのでは?

権守(ごんのかみ)とは、だいたい守(受領)と同じということです。
「権」には、定員外とか、仮のという意味が元々あったらしいですけど。
そうすると、太田貞宗さんはかなりの実力者ですね。
でも「前美作権守」ということは、今はそれ以上の肩書きを持っていないということになります。

 

新里の人が大好きな山上氏には、肩書きというか官位がありません

鎌倉時代に、富を蓄えた御家人たちは、官位を買ったと言うことです

最近読んでいる本『買い物の日本史』(本郷恵子 角川ソフィア文庫)で知りました

官位のある山上さん、いませんね

 

 

(つづく)

 

初出 2019.05.25 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」 カテゴリー 中世葛塚村考

改稿 2024.05.25

 

まとめてしまおうかとも思いましたけど、細かく検討した足跡を残しておくことにしました。

しばらくまめに更新します

山上ロマンで真実の見えなくなっている、中世山上保(葛塚村)の姿を、少しでも明らかにできればいいなあと思います

コメント
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