昨日の夕方、おかあさんは、6月6日の郷右衛門忌の準備で、ちょっと遅い帰宅でした。
ひめちゃんは、獅子丸&タバサねーちゃんと、散歩に出ていました。
小次郎パパだけは、取り残されていました。
パパは、おかあさんと、1人寂しくお散歩に出ます。
堀之内を南に出ると、ひめちゃんたちが帰ってきます。
ひめちゃん、ひさしびりの獅子丸&タバサねーちゃんとの3名散歩、うまくいったようです
パパも、後ろから明るく帰りました
6月6日は、常広寺の開基・本橋院殿寶輪廣與大居士(俗名・山上郷右衛門顕将)の命日と伝わります。
ここ数年、開基・本橋院殿寶輪廣與大居士を偲んで、この日にささやかなセレモニーです。
本日の山門です。
この山門は、400年前の創建当時の面影を残しているとか
山門脇に、数年前に喜捨した紫陽花がきれいに咲いています
本橋院殿の供養塔に参拝です。
合掌
お隣の六地蔵さんにも、合掌
赤いマスクが似合います
本橋院殿の供養塔に各自参拝して、本堂のご本尊様にも参拝です
開け放たれ風通しのよい本堂で、セレモニーです。
コロナ禍にもかかわらず、20名近くのみなさんが参集してくれました
本日のミニ講演会は、「上野国山上の行仙上人」です。
講演会担当は、ひめちゃんちのおかあさんです
鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』にある、「上野国山上の行仙上人」をテキストに、わが山上の尊い上人の面影を探りました。
臨終の体、端座して化す。紫雲たなびきて、室の前の竹に、かかる。紫の衣を覆へるが如し。音楽空に聞こえ、異香(いぎょう)室に薫(くん)ず。見聞の道俗、市(いち)を成す。
葬の後見るに、灰、紫の色なり。舎利数粒(すうりゅう)、灰に交(まじわ)る。かの門弟の説、世間の風聞に違わず。舎利は自ら見侍りき。仏舎利に違わず。この上人の風情、うら山しくこそ。
(行仙上人の)臨終の様子は、端座して遷化した。
紫の雲がたなびいて、庵の前の竹にかかり、さながら紫の衣で覆ったかのようであった。
音楽が空に聞こえ、芳しい香が部屋を満たした。
行仙の往生を聞き、見に来た人々が大勢集まった。
葬儀の後に見ると、灰は紫色をしていて、仏舎利が数粒、その灰に混じっていた。
行仙の弟子の語ったことは、世間の噂と違わなかった。
仏舎利は自分の目で実際に見ました。
仏舎利に相違なかった。
この行仙の様子は実にうらやましい。
こんな往生を遂げた人が、ここ山上にいたのです
ただ、行仙上人は普通の人のように「南無阿弥陀仏」と口に出して称えるのではなく、心に阿弥陀仏を観想したということです。
普通の人には、とっても難しいことです。
同時代もしくはそれ以降でしょうけど、山上には阿弥陀三尊を刻んだ摩崖仏があります。
高縄(たかなわ)の摩崖仏、多分中世は山上だったと思われ関(せき)の摩崖仏です。
人々に念仏往生が広まっていた記憶ですね
和尚さんからは、欄間の絵についてのお話がありました
なにげなく、不断は見過ごしていますけれど、これはお釈迦様の一生だそうです。
2月15日に、お釈迦様はなくなったのですね。
常広寺は、かつて城山幼稚園の子供達にあふれていました。
城山幼稚園の子供達は、こんなお釈迦様の一生を知っていたのですね
和尚さんのありがたい法話を聞きながら、昼食にしたいところでしたけど、コロナ禍の今、お弁当お持ち帰りとなりました
また来年もみなさんに逢えますように