アジア夢紀行

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語学で食べていくということについて

2018-12-16 21:27:16 | 語学

2年間ほど、貿易会社で『英語』で食べていました。英語が使えなけりゃ、最初からその会社には入社できなかったし、英語が出来なければその仕事をするのが困難だったと思います。

工学部を卒業し、4年間工事会社で働いた後、どうしても貿易をしたくて専門学校で英語を2年間学びなおしました。あと半年で卒業というときに新聞に貿易会社の社員募集があり、それに応募しました。面接は社長と専務でした。小さな会社で大阪に15人、香港に8人(日本人一人)、シンガポールに10人(日本人二人)という陣容でした。貿易と言っても輸出専門で、輸入はしていませんでした。相手先は韓国、台湾、香港、中国、シンガポール、フィリピンが主で、顧客は中国人、華僑が多かったです。工業製品の輸出がメインだったので、工学部を出て英語もできるというのが採用の決め手だったのかもしれません。すぐ来てほしいと言われましたが、3月のバークレー校1ヵ月間の語学研修を終え、専門学校を卒業してから出社してもよいことになりました。

高等学校、専門学校で学んだ英語が役に立ちました。英語のレベルとしては準1級程度(その当時は準1級という級はありませんでした。2010年に受験して取りました。)でしたが、扱っている商品の専門用語さえ分かれば問題なく仕事ができました。貿易用語については専門学校で『貿易実務』という科目を受講していましたので、LCとかCIFとかFOBなどの貿易用語は知っていましたし、貿易実務の流れも分かっていました。先生は松下電器貿易を退社された、大阪外大スペイン語学科出身の先生でした。中南米を担当していたようでした。授業の帰りに食事を奢ってもらったことがあります。一緒に食事をするとよく覚えているんですね。就職した会社では、支店や顧客との通信はすべて英文テレックスで、たまに電話ですることもありました。通信はすべて英語でするというのは社長の方針で、社長自身が英語の使い手でした。

なりたいと思った職に就き、勉強したことがストレートに使える職場だったのです。僕は幸運だったと言えるでしょう。英語や中国語や韓国語を使ってする仕事に就きたいと思って勉強していても、なかなかぴったりの職場は見つかりません。大学生の時にはダブルスクールで語学学校に通ったり、就職した後も仕事をしながらコツコツと勉強している若い人たちがいます。社内でうまい具合に、勉強している語学を生かせる部門に配属されたり、海外駐在員になるのはほんの一握りの人たちです。その点、僕は本当に『運』がよかった。

専門学校に来ていた求人には応募しませんでした。その専門学校が僕の行きたいような貿易会社を斡旋してくれるとは思えませんでした。新聞の求人欄を毎日のように見ていたとき、その会社の求人広告を見つけたのです。ラッキーでした。

その学校は英語と中国語を教え(どちらかを専門として選ぶ)、学科としては『国際観光学科』(30人)『通訳ガイド科』(20人)『国際ビジネス科』(10人)に分かれていました。国際観光学科は人気もあり、就職先もほとんど無難に決まっていきました。旅行社やホテルなどです。国際ビジネス科は3人が貿易会社や貿易要員が必要なメーカーに就職しました(H君)が、他の7人は貿易とは関係のない会社に行きました。通訳ガイド科は通訳ガイドになったという話は聞きませんでした。旅行社やホテルや一般メーカーに就職しました。『語学で飯を食う』という印象の強い通訳ガイドになった人はすぐにはいませんでした。通訳ガイド以外の学科は『語学で飯を食う』というより英語が出来なければ仕事にならないか、支障をきたす職種でした。

語学の専門学校なのに語学に関係のない会社に就職した人も多かったのです。街金に就職した人もいました。2年間というタイムリミットの中で希望を持ち、勉強し、就職し、そしてまたある人たちは妥協し、夢破れ、社会に出ていったのです。今も年賀状のやり取りをしているのはH君だけです。卒業してしばらくの間は4,5人の同級生にあいましたが、そのあと僕が田舎に帰ってしまったせいもあって皆とは音信不通になっています。H君はその後、自分の会社を設立し、アメリカに工場を建てました。

とりとめのない話をタラタラとしましたが、語学だけで食べていくことができるのは学校の先生か通訳ガイドでしょうが、狭き門です。相当精進しなければならないし、才能と縁も必要です。今日こんな話をしたのはツイッターを見ているときに興味を引いた話題があり、その元をたどると『英子の森』という本にに行きあたり、下の書評を読んだからです。

 

(引用)非常によいテーマが小説という形で表現されている。英語を勉強したけれど、英語で食べていける専門職にはなれなかった女の子の、絶望と挫折の物語。「グローバル化って本当にあるんですかね? もし本当にグローバル化する社会なんだったら、どうして英語を使う仕事が日本にはこんなに少ないんですか? なんで私みたいに、どうにもならない状況の人がふきだまりみたいに一杯いるんですか? 英語学校も留学を斡旋する旅行会社もいい部分だけ見せて、後は責任取りませんって感じで、勝手すぎますよ。.....  「英語ができる」や「英語で食べていける」ということの本当の意味を、英子自身が分かっていない。「英語を使う仕事」の中身もきわめて多層的で分業化されており、低賃金の部分も多い。賃金は需給関係で決まるからだ。悪いのは「グローバル化」という嘘で儲ける英語教育業者なのだが、嘘に騙される側にも相応の責任があるだろう。」植村恒一郎氏 (引用終了)

 

 この本はまだ読んでいません。たぶん読まないと思う。というのは小説家が想像したものより僕の経験の方が広くてリアリスティックであり、内容豊富であると思っているからです。(笑) 『英語の能力』だけを使う仕事を目指すと『翻訳者、通訳、ガイド』などの専門職しかなくなり、非常に厳しくなる。さらにそれで『飯を食っていく』のは、ほとんど不可能と言っていいでしょう。『英語を使う仕事』をしたいのだったら、たとえば、中国の深圳の電子部品の加工業者にコンタクトできるぐらいの中国語(流暢でなくても、そこそこ意思疎通できる程度の中国語。中国語検定2級程度。)と深圳の業界事情についてのちょっとした知識があって、話を詰めれる英語力があれば、日本で電子部品の輸入をしている会社の購買担当には欲しい人材に見えるかもしれない。それが『電子部品』でなく『スマホのケース』であっても当てはまると思う。『スマホのケース』の場合は、いっそのこと自分で会社作っちゃえになります。(笑) 要するに、『英語だけ』じゃなく『銭』になる他の『知識、情報、技能』などを獲得することで、英語との相乗効果が期待できる。

これはしかし、いまの安穏とした生活から大きく一歩踏み出さなければ、得られないと思う。僕が会社をやめて、専門学校へ行ったように、何かを棄てなければ得られないと思う。エリートじゃない僕はリスクを侵さなければチャンスはつかめなかった。東大を出て、三井物産に入社した人はさほど苦労しなくても、ありとあらゆるチャンスを与えられ、仕事を通じてありとあらゆる『知識、情報、技能、経験、人脈』を仕事をしながら手に入れていく。いい学校を出て、いい会社に入るために、高校生の時から一生懸命勉強するのは大変だけれど、その後の人生を考えれば、その大変さは、配当率の高い苦労であると、高校生の時には気付きにくい。上の小説の『英子』さん、本を読んでないのではっきりとは言えませんが、英語ばかりを勉強して通訳や翻訳者を目指しているのだったら、英検1級を取っても、それだけでは無理だと思う。相当長い間の訓練と、縁とかコネがなければ『飯』は食えるとは思えない。僕なら、小さくてもいいから、英語を使って仕事をしている会社にもぐり込む。そして、現実的な能力を身に付ければ、英語との相乗効果で、その英語も生かされてくると思う。

上の『英子』さん、『どうして英語を使う仕事が日本にはこんなに少ないんですか? 』と問うが、それが通訳を意味しているとすれば、それは正しいかもしれない。現実的には高度な英語能力が必要な通訳の仕事はそんなに多くないと思う。でも中程度の英語能力を必要とする仕事は山ほどあるが、その大部分は担当者レベルで『さばいてしまう』ので、通訳は必要ないのである。そういった意味において、英子さんが『英語』を使いたいのであれば、その『担当者』になるほかないのである。それが早道であると思う。また、彼女はどうして日本にこだわるのか。ブログを見れば香港で、韓国で、アメリカで活躍している人たちがたくさんいる。その人たちは通訳なんかはしていない。(NYで通訳をしている人はいるみたいだけど。)その他のほとんどの人が、英語と現地の言葉を操り、現地で専門性のある仕事をしているのが見て取れると思う。『どうしても通訳になる』というのは『筋の悪い』考え方である。この英子さんは小説家が創り出した架空の人物で、こんな非現実的な想定はない。しかし僕も本も読まないで、よく言うわ。(爆笑)

 

もし僕がその小説家なら、その『英子』さん、最初は通訳を目指していたが、無理と判断して、香港・中国に輸出しているメーカーに何とかもぐり込むというストーリーにする。英語の専門学校時代は中国語を、そして就職してからは広東語を夜間の語学学校である程度身に付け、クワトロリンガル(日英中広)として28歳で香港に駐在する。彼女の月給は35万円だが、海外駐在手当が20万円付くし、毎年2回の往復航空券、マンション、車、海外健康保険は会社が用意してくれている。そして香港のお坊ちゃんをうまく引っかけて、ちゃっかり結婚してしまう。サブストーリーとして、『英子』さんの同級生の『秀子』さんに登場してもらう。彼女は『英子』さんよりずっと優秀で、その専門学校の優等生。卒業して、通訳の専門学校に入り地獄の特訓を受け、先生から紹介された通訳のアルバイトをしたり、通訳会社に登録して、呼び出しを待ちながら、通訳訓練を続けている。もうすぐ40になる未婚の彼女の月収は平均すると8万円。いまだに両親の援助に頼っている。久しぶりに帰国した『英子』さんと宗右衛門町で飲みながら、しみじみと話をする。『秀子ってさぁ、優秀なんだけど、現実的じゃないんだよね。宝くじを毎回3万円分買って、リターンが毎回3000円しかもらえない考え方。私のはね、毎日コンビニで働いて、原チャリ買って、タブレット買って、デジカメ買ってYoutubeに投稿して稼ぐって感じ。』『私って何か間違っていたのかな。』『間違っていないと思うよ。実際、秀子の方が今でも英語の能力はすごいもの。ただね、私たちのゴールが違うんだと思う。スゴイ能力を得たいのか、それとも幸せになりたいかの違いだと思う。』

『宗右衛門町』という設定がオッサン臭ければ、『新地』でも『六本木』でもいいよ。(笑)

 

 

 

ちなみにこの『留学を斡旋する旅行会社』についても、僕は中国とフィリピン短期留学時に利用したのでシロートではありません。韓国については、2年間韓国語を勉強した後だったので、直接韓国の語学学校へ電話で申し込みました。韓国語は1年も習えば簡単なやり取りはできるようになっていました。もちろん相手の韓国人が日本人の韓国語に慣れている必要はありますが。(笑) 中国語はたぶん1年習っても電話で意思疎通するのは難しいと思う。フィリピン短期留学時には留学斡旋会社と韓国人経営の英語学校の対応がマズくて空港にピックアップしに来ていないというトラブルが発生し、英語が話せなければ事件になっているところでした。マニラの安宿に一泊しバギオまでバスで5時間かけて乗り込みました。あのマニラ一人ぼっちの夜でバックパッカーの気分を死ぬほど味わうことができました。(笑)

 

 

 

 

年賀状を書かないといけません。もう『絵』はネットで拾ってあります。あとは住所をクリックするだけで、あっという間に出来上がりです。ただプリンターのインク減少のランプが点滅しているので、現在、取り寄せ中です。僕もいい加減にEmail年賀に切り替えようかな。有難味がなくなるかな。でも大連で知り合った友人や、ネットで知り合った人たちとは旧習にとらわれずネットで年始の挨拶をすればいいと思っています。

 

まだ早いとは思いますが、皆さん、よいお年を。

 

 

 

 

 

 

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