僕はずいぶん昔から、韓国語に興味があり、NHKのテキストをときどき買ってはパラパラとめくったりしていましたが、本格的に勉強したことはありませんでした。3年程前には、一年間通してNHKラジオ講座を聞き続けたことはあるんですが、若い子みたいに気軽にコリアン・ポップスとか、韓ドラから入れない、何か重たいものがあるんです。(言い訳ばっかりです(笑)^^)
生まれてはじめて聞いた朝鮮語は、父が歌った『ヨルラクソン(連絡船)の唄』(原語は「連絡船は出て行く」)でした。今からおよそ50年前です。父はその唄を広島で、朝鮮からの留学生に教えてもらったそうです。(昭和13~14年だと思う。)せつないメロディーで子供心にキレイな曲だと思いました。
연락선은 떠난다 1937 장세정
1.))
쌍고동 울어울어 연락선은 떠난다
잘 가소 잘 있소 눈물 젖은 손수건
진정코 당신만을 진정코 당신만을
사랑하는 까닭에 눈물을 삼키면서
떠나갑니다(울지마세요)울지를 말아요.
2.))
파도는 출렁출렁 연락선은 떠난다
정든 님 껴안고 목을 놓아 웁니다
오로지 그대만을 오로지 그대만을
사랑하는 까닭에 한숨을 삼키면서
떠나갑니다 (울지마세요)울지를 말아요.
3.))
}바람은 살랑살랑 연락선은 떠난다
뱃머리 부딪는 안타까운 조각달
언제나 임자만을 언제나 임자만을
사랑하는 까닭에 끝 없이 지향 없이
떠나갑니다(잊지마세요)잊지를 말아요.
김용임가요영상
13分15秒のところから。
日本語版:ちあきなおみ
背景:http://tarirang.exblog.jp/11620578/
父は学校を卒業して、四国に帰り、兵隊にとられましたが、肋膜炎にかかり、戦争には行かずにすみました。27年前、父が65歳で亡くなったとき、叔母さん(父の妹)が父の下宿先を訪ねて父の死を伝えたそうです。下宿先の娘さんは、原爆で亡くなっていました。なぜか叔母さんのアルバムの中に、父や他の下宿生たちと一緒に腕を組んで歩いている活発そうな彼女の写真がありました。そのとき父の愛唱歌がどうして『瀬戸の花嫁』だったかが、分かったような気がしました。彼女は若いころの小柳ルミ子にそっくりだったのです。父の33回忌には『ヨルラクソン(連絡船)の唄』と『瀬戸の花嫁』をかけてやりたいと思います。
瀬戸の花嫁