日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

司馬遼太郎著「箱根の坂」を読む。

2016-03-20 09:10:51 | 
司馬作品では直近に「峠」(文庫本4冊)、「歳月」(文庫本2冊)を読んでいる。いずれも出会えてよかった本です。

他の作者の本も含めて、江戸から明治にかけての時代を知るにつけ、単に自分の欲望を満たすことではないところに価値観を置く(意義を見出す)日本人の思考を育てるもとになったのは、なんだろう、と思うようになりました。
武家諸法度や禁中並びに公家諸法度というのを昔暗記したことがあるけれど、そんな各藩の名君に見られる質素を旨とする価値観が育つ基はどこからきているのだろう、とおもうようになりました。

古代ローマに戦乱がなかった幾代の皇帝の時代を「パクスロマーナ」(平和なローマ時代)というのに倣って、260年続いた江戸時代を「パクストクガワ」といういい方がされるという。
素人(わたし)的には、家康にはいいイメージ持っていないのだけれど(そもそも知らない)、幕府の開祖である家康は、戦国の混乱を再び招かぬように知恵を絞り、後継者もそれに習ったのだろうと、家人に言ったら、家康自身は独創的なタイプじゃなかったから、幼いころから辛苦をなめてきた家康は、先人のいろんなところを取り入れての政治をしていったと思うよ、と。


そうか~。・・・なにしろ素人なので、すぐに説得されてしまいます。

じゃあ、その先の時代を生きた人を書いたものを読もう、ということを考え、
たまたま、読める状態にあった

「箱根の坂」上・中と読み、今、下巻の後半です。

前置きが長くなりましたね。
この本にたどり着いた私的事情、なんです。


時代は15世紀の京都。応仁の乱のさなか。
応仁の乱は知っていても、名前と年号程度でした。
司馬解説でしょうが、詳しく述べられています。足利将軍家の相続争いが山名宗全派、細川勝元派に分かれて何年にもわたり諍い、地方から出てきた国侍たちが、京都の街に火を放ち、御所も貴族の館も焼け落ちたという。
どちら側に大義名分があるというものでもなかった。守護、地頭の姿も、読んでこそ実感が伝わってくる。地域民百姓の搾取され方のひどさったらない。
家柄がものをいう時代、伊勢家の末端の系譜につらなる、伊勢新九郎(のちの早雲)の一代記です。


孟子を何度か引き合いに出しています。

以下青字部分引用

(新九郎のちの早雲は)一つの主題を生涯保ち続ける精神的体質をもっていた。

「『孟子に』」と、かれはしばしばこの過激な書物にあるところのことばを引用した。『孟子』にあっては、悪王であった殷王紂を武王が倒したことは善であるとする。紂は王たるものがもつべき仁をわすれ義をわすれて暴虐のかぎりをつくしたために、孟子にいわせればすでに王ではなく、一夫にすぎない。周の武王がこれと戦い、牧野の一戦でこれを斬ったのは君を弑したのではなく一夫を斬っただけだ、とするために、古来、日本は中国から書籍を輸入するが、『孟子』だけは来ない。『孟子』を積んで日本に向かう船はかならず沈没するからだ、と信じられている。

早雲は、駿河の守護職今川氏の幼世継ぎを育むに当たり、願うべき守護職の役割を教えています。
駿東の地頭職になりますが、年貢徴収の4公6民を貫き、近隣の酷税に苦しむ地下((じげ)農民。この時代は農民が武器を手にして戦場に出る)からは、あこがれの領地に見られたほどになった。

地下の利益の代表者という意味では革命者ともいうべきだろう。

この時代は、
権門の座はあくまで私欲の対象であり、その座が治国平天下のためにあるなどという後世(江戸期)の思想はかけらもなかった。

古来、長らく飢餓の時代だったといわれる。まったく、生きづらさそのもの。(私たちの先祖の時代でもあるのです)

こういう時代を経て、ポリシーある指導者が出、戦がなくて食べていける時代に歩みを進めて、今日に至っていると、地味~に実感しています。

大勢の司馬遼太郎作品ファンがおられますが、私は、横入り、というか、正統派読者じゃないと思っています(苦笑)。
いわゆる戦国の武将ものは読んでいませんから。でも、司馬さんという大きな土塊を、貧弱な熊手で掻き崩そうとしている状態でしょうか。読むたびに、その土壌の肥沃さに圧倒されます。司馬さんは、この国を作ってきた日本人が好きなんだな~と感じます。こんなひともいるんだよ、と教えてもらって、感謝の連続です。


つけたし。
北条早雲はいわゆる北条氏とは関係ない人です。伊豆の北条という地域を拠点にしたときに、周りが彼をそう呼んだのであり、当人は一度も北条早雲を名乗ってはいないそうです。









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2 コメント

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Unknown (さなえ)
2016-03-21 18:45:05
司馬遼太郎は多くは読んでないですがいわゆる時代小説は面白いです。うろ覚えで言うと中国では生き残らなかった論語などが日本で思想の根幹となっていったのは面白いです。荘子はだいぶ流行ったようですね。といっても恥ずかしながら中身は全く知りませんが。

父が時代小説好きだったので中学校頃だったか、吉川英治や山岡荘八、山本周五郎その他夢中になって読みました。今読むとまた違った読み方が出来るでしょうね。
さなえさんへ (案山子)
2016-03-22 07:24:02
おはようございます。
今年になって司馬さんと陳舜臣さんとの対談集を読んだりしたのですが、長らく日本は中国の書物を学ぶことが学問をすることだった、というくだりに接して、うなづくところがありました。天才児の空海も唐に学びに行っていますしね。まったくもって、今は昔、ですね。

早雲は戦国の世に突入する先駆けの人です。まだ、江戸期の武士の精神も生まれておらず、下剋上の戦国の世ともいえない時代です。守護地頭は地方を統べるという概念よりも(地域を割り当てられても、赴任せずに代官を置くだけ)、税をしぼるだけの存在。貴族たちは歌舞音曲に明け暮れて、の時代です。

>王たるもの仁をわすれ義をわすれ<
た守護たちが相続争いで血眼になっている世相に、
「上に立つものがもつべきてはならない。暴虐をつくす王はもう王ではないのだ」と、その世を生きた早雲を通しての司馬さん論でもあるのだろうと思います。

私が本読みになったのは高1からですから、長編歴史ものなんて、縁のない人だったんですよ。でも、はっきりといえます。まだ、武将ものは読んでいませんが、読み応えがあるんでしょうね。幕末期の物語「峠」を読んで、なんと浅層な自分だったかと思いましたもの。
思考の基盤は、その時代に左右される、ということはありますけれどね。でも、死ぬまでに、ぼちぼちと、先人の足跡を少しでもかじれれば、、、。苦笑

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