先日、買い物の帰り、ふと思ったことがある。
周りがすべて敵に見える・・・ではなく、周りから自分が敵に見られている。
被害妄想なのだと。
妄想であって、現実は違うかもしれない。そう思うとホッとした。
さくらカフェで、そんな話をした。
嫌われたらどうする・どう思う?という話の流れだったと思う。
私は、「どうでもいいと思えるようになった。その人が自分の全てではないから。」
言っていることはその通りなのだが、ここまでたどり着くのに、26年もかかった。
思い込みや妄想と、現実の違いなのだと思う。どこまでが自分の思い込みや妄想、どこから現実なのか。
それがわかってきたのかもしれない。
周りがすべて敵に見える・・・ではなく、周りから自分が敵に見られている。
被害妄想なのだと。
妄想であって、現実は違うかもしれない。そう思うとホッとした。
さくらカフェで、そんな話をした。
嫌われたらどうする・どう思う?という話の流れだったと思う。
私は、「どうでもいいと思えるようになった。その人が自分の全てではないから。」
言っていることはその通りなのだが、ここまでたどり着くのに、26年もかかった。
思い込みや妄想と、現実の違いなのだと思う。どこまでが自分の思い込みや妄想、どこから現実なのか。
それがわかってきたのかもしれない。
新たな発見ですか。なんだろなー。
コメント、ありがとうございます。
あれから5年くらいたつのかなあ。今や、だれが来ても、その人の話を受け止められる人になってすごいと思う。
いつも、ついからかっちゃうけど、心の中では感謝してるよ。
粟ちゃんは、もっと前9年くらいからカフェの常連さん。やっぱりいろんなことあって、でもそのたびごとに、それを自分で受け止めて、学んで、そして、今は、それを表現したり、自分のできることを実践している・。やっぱりすごいと思う。
カフェの若者たちは、宝物です!(私の?カフェの?社会の?)
どれがいい???と、またからかっちゃうけど、ほんとです。