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都心3区と呼ばれる千代田区や中央区、港区に比べ、歌舞伎町のイメージや(内藤)新宿という宿場町が区の名前の由来ということもあり、「江戸感」の薄い新宿ですが、地名については昔ながらのものが残っています。
例えばウチの本拠、江戸城外濠の揚場跡の「揚場町」もそうですし、そこから現在の本社・倉庫まで大通りを通っていく場合、10分弱の間ですが、住居表示で「神楽河岸」「下宮比町」「津久戸町」などを見ながら「筑土八幡町」に到達、ということになります。
そして、そこから大久保通りを進むと、「白銀町」や「神楽坂」、「岩戸町」、「北町」などを経由し、5分くらいで大江戸線牛込神楽坂駅&区民センターのある「箪笥町」に到着。
ちなみに、箪笥町というのは江戸時代に箪笥職人が住んでいたからだと思っていましたが、実は武具を掌った「箪笥奉行」の御屋敷だったから、らしい。
(ごめんなさい、偉い人)
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昨日は、「下り茶碗問屋は実在するか」ということで話を締めましたが、「下り茶碗」と言ったかどうかは別にして、陶器を扱う問屋さん、というのは今も昔もあるはずですよね。
彼らはどこに居を構えていたのでしょうか?
すぐに思いつくのは「合羽橋」ですが、道具街が形成されたのは大正以降のようです。
また、染物商は「紺屋町」、人形屋さんの「人形町」、、、、地名にも残っていないようですね。
そこで、昨日ご紹介した資料を読み込んでいくと、
「三河屋金右衛門」「三木屋武兵衛」「高嶋屋藤右衛門」「中沢屋藤兵衛」「志満屋清右衛門」などの名前が居所と共に出ていました。
その居所を見ると、、、、、、、
三河屋金右衛門 : 牛込牡丹屋敷
三木屋武兵衛 : 霊岸嶋町
高嶋屋藤右衛門 : 南新堀1丁目
中沢屋藤兵衛 : 霊岸嶋町
志満屋清右衛門 : 本所緑町
三河屋金右衛門の「牛込牡丹屋敷」は今で言う神楽坂1丁目、ウチの旧倉庫徒歩1分です。
そして、「本所緑町」はさておき、「霊岸嶋町」「南新堀」は、まさに新川です!
「下り茶碗問屋」は新川(と神楽坂)にいました!!!
まあ、考えてみれば、「下りもの」ですから水運と密接に結びついているのは不思議はないのですが、それでもちょっとワクワク。
下り酒問屋は下り茶碗でお酒を飲んでいたのでしょうか?
すると、今も埋め立てられた新川には、下り茶碗(のかけら)がザックザク?
(先般ご紹介した小判とはえらい違いですけど)
今度お許しを得て、今もいらっしゃる問屋仲間の敷地を掘らしてもらいましょうか。
ここ掘れ、ワンワン。
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