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天秤棒(てんびんぼう)

九十九里浜南端の町「緑と海と太陽の一宮」でEM菌を活用した自然農法により、自然と仲良く農業をしています。

融けない

2005年12月28日 | 我が家・近隣の出来事

冬至も過ぎ、日本列島は本格的な冬となりますが、このところ近年に無い寒波に襲われ12月としては80年ぶりの積雪を記録したと天気予報で流れており、東北や日本海側では寒波による大雪、暴風雪などで特急電車の脱線転覆、塩害による大停電を初めとして想像を絶する事故が発生している。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに災害に遭われた方々に心からお祈り申し上げます。

私ども千葉県、中でも我が家の一宮町は九十九里海岸に接し年間を通じて温暖な気候ですが、今年の冬は『寒い』。12月中旬からぐんぐん冷え込みが増し毎朝「霜が降り」、「氷」が張りその氷も日に日に厚さが増して行く感じです。

新年まで僅かとなりましたが、お正月用に「さんまのお鮨」を漬けるため、町内の鮮魚店からさんまを購入したおり、鮮度を保つため箱に入っていた氷を庭に撒いたのですが、その氷が半日経っても『融けない』、この状態を見ても今年は暖冬どころか『厳冬』だとつくづく感じる。

冬は寒いのが当たり前で、暖冬では人間にとって悪虫の越冬数が多くなり都合が悪い、出来うる事なら、ほどほどの寒さで春を迎えたい。寒さも度を越すと災害となる、来るべき平成18年丙戌が穏やかで良い年である様に願うものです。

友輝君の心臓移植成功

2005年12月23日 | 我が家・近隣の出来事
友輝くん手術の成功おめでとう、本当にうれしいです。
既に皆さんもご存知の方も多いと思いますが、千葉県茂原市に住む、今井友輝くん(6歳)が「拡張型心筋症」と言う難病にかかり、昨年12月には心肺停止状態になり千葉県こども病院の先生方の検診的な治療で命は取り止めたものの重篤な状態。医師から余半年、助かる道は心臓移植しか無いと宣言される。

しかし6歳という年齢もあり、国内での移植の可能性は望めないため、海外での移植を選ぶしか途がありません。幸いにも、先生方のご尽力により、アメリカのアーカンソー小児病院での受け入れが決まりました。しかし、海外での心臓移植を行う場合、日本の保険等は適用されないため、心臓移植手術費・渡航費・滞在治療費など、約6,000万円の膨大な費用が必要となります。 この金額は、一般家庭ではとても用意する事が不可能な金額であります。
そうした中、友輝くん両親の友人である高石弘彰さんが「友輝くんを救う会」を設立し、精力的に募金活動を始めました。我が農園でも「齋藤農園HP」、「直売所 身土不二の里」、「コイン精米機」などを通じて微力ですが募金を呼びかけました。
そうして皆様方の温かいご支援ご協力で12月4日現在では目標額を大きく上回る110,898,589円と言う額が集まりました。
友輝くんは、移植手術に向けて11月4日アーカンソー小児病院に出発しドナー提供者を待つこととなり、21日嬉しいクリスマスプレゼント「友輝くんに適合するドナーが現れ」日本時間で22日の早朝02:35手術が開始され05:20無事手術が終了し、術後の経過も良いとの連絡がお母さんから有った事です。本当に良かった。
ドナーの方に深く感謝するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

【拡張型心筋症】
心臓の筋肉(心筋)が繊維化して伸びきった風船のようになり本来の心臓の機能が無くなっていき、さまざまな障害が出てくる(動機,息切れ,せき,不整脈,呼吸困難,倦怠感,など数え切れないほどの症状が出てくる)予後は悪く、5年生存率53%といわれている。


冬至

2005年12月22日 | 季節のかおり
    

きょう22日は、二十四節気の冬至で太陽が黄道の南端を通るので、北半球では一年中で最も昼の時間が短い日で、東京では9時間45分だそうです。昼食をとって、少しのんびりとしていると、陽は西に傾き外仕事は寒くて辛くなります。
冬至の日には、「かぼちゃ」や「こんにゃく」を食べ、「ゆず湯」に入ると風邪をひかずに冬を乗り切れるといわれ、更に「熱い小豆粥」を食べれば暖まるし、厄払いもしてくれると言われております。

この処、日に日に冷え込みが増し日本列島上空には、マイナス30度クラスの寒気団が次々と現れ、22日夕方の天気予報ではこの寒気団を「爆弾低気圧」だと言っていましたが、気象庁でも11月に発表した「暖冬傾向」を「1月も冬型・大雪続く」見込みと修正した。
そして冬至に合せたか様に、新潟県では大雪の影響で65万世帯が停電したとニュースが流れて降りましたが、各地で12月としては記録的な積雪量で、雪下ろしの転落事故や交通事故も相次いでいます。山に雪が降る事は年間の水の確保からも必要な事ですが、実際の寒さ、降雪はこれから、自然は人間にはコントロール出来ませんが、災害にならないことを祈りたい。

     津軽には七つの雪が降ると言う。
     日毎夜毎、降り積もる雪 雪 雪 また雪

           『こな雪・つぶ雪・わた雪・みず雪
                    かた雪・ざらめ雪・こおり雪』

ジャンボ門松

2005年12月21日 | 季節のかおり

年の瀬を迎え、県道「千葉・茂原線」の茂原市真名(まんな)地先の街道沿いに、高さ七.五メートルの大きな門松が飾られ、正月が近いことが感じられます。

この門松は、交通安全協会茂原支部の二宮地区の人達が「安全運転を心がけてほしい」と昭和六十二年から続けられている年末の恒例行事です。
同支部の皆さんが地元産のクロマツや青竹、わら、縄などを持ち寄り、門松の芯にはドラム缶が使われ、荒縄で「梅の花」を創作し完成。門松には「思いやり」「ゆとり運転」「千葉の道」と書かれた交通安全の標語も掲げられ、道行く市民やドランバーに交通安全を呼びかけています。


結氷

2005年12月19日 | 季節のかおり
       12月19日

 連日、12月としては記録的な積雪をもたらし、雪下ろしで尊い人が亡くなったり、交通のダイヤが乱れたりと、今期は暖冬どころか近年に無く寒い12月
今朝、庭先の温度計はマイナス3度を指しておりこの冬一番の冷え込みで、鶏小屋の水が約3mm位の厚さで凍っていた。朝車で出かけた折り、網田堰(農業用のため池)が結氷していた、ここ何年か堰に氷が張る処(そう言う時に遇わなかったかも)は見なかった、昔は全面に結構な厚さで張り、堤から石を投げると、石が氷の上をピンピンピンと音をたてながら滑って行き、可なり遠くまで飛んで行った。

 今朝久々に堰に氷が張っている様子を見て、昔その氷に向かって石を投げた思いでが脳裏に浮んだ、と共にやはり「地球温暖化」なのかなと脳裏を過ぎった。


『静かに地球の声に
           耳を傾けてみましょう。』


正月の準備

2005年12月18日 | 我が家・近隣の出来事

 戦後60年、節目の酉年もあと僅かとなりました。新たな戌年を迎えるにあたり、家の周りの槙の生垣の刈り込みを行いました。この槙は千葉県の『県木」であり、特に我が長生地域では昔から「槙の庭木」の生産が盛んであった。

 地域の風土に良く合っていると見えて病害虫にも強く、盆と正月に刈り込むだけで後は特別何もしなくても元気に育ってくれる。昔小さな子供の頃、この槙の実を「ショウネンゴボウ?」と言って赤い部分を食べた記憶がある、決して旨い物ではなかった。

耐える

2005年12月17日 | 季節のかおり
         12月17日

 この処厳しい寒さが続いており、毎朝強い霜が降りています。畑の冬野菜もこの寒さで一段と旨さが増すと思われますが、11月に定植したソラマメは、まだ15cm位で人間で言えば子供、この凍りつく毎朝、身を縮めグット耐え春を待つ、やがて気温・地温が上がると元気良く丈を伸ばし花が咲き、5月下旬には美味しいソラマメを恵んでくれる。

こんな小さなソラマメが凍りつく寒さに身を縮めて耐える姿を見ると、食べる時は手を合わせ、心から感謝の念を込めて『いただきます』ですね。


      『何も咲かない寒い日には
           下へ下へと根を伸ばせ
               やがて大きな花が咲く』

山もみじの紅葉

2005年12月16日 | 季節のかおり
         12月16日 7:12カッシャト 

 天気予報は紅葉前線から初霜や初雪だよりにと変わって参りました。また今週は日本海地方で12月としては記録的な積雪だと報道されていました。我が家の北側に防風林の中に生えてる「山もみじ」いま紅葉の真っ最中、樫のみどりの葉ともみじの紅葉が朝日を映えてとても奇麗、今年の紅葉は全国的には夏の暑さであまり良い紅葉では無いと言われておりますが、一宮町周辺は例年に無く奇麗な紅葉であった。

 この所の強い冷え込みで、綺麗な山もみじも間も無く落葉すると思はれますが、また春には一斉に芽吹き、大きく伸びた枝葉で夏の暑さを和らげ、大風の折には身を張って我が家を守ってくれるでしょう。 合掌

日本水仙

2005年12月13日 | 季節のかおり
 
冬の代表的な花「水仙」が咲き始めました。槇の生垣(槙塀)の根締めとして植えてある水仙が、ふと気が付くと恥ずかしそうに一輪咲いていました。水仙は実に多くの種類がありますが、清楚で美しく独特の香りがする「日本水仙」が一番だと思う。

 この水仙、原産地は地中海沿岸で海流に乗って平安末期に日本へ漂着されたとも言われており、国内での代表的群落は、千葉県内では「鋸南町の保田海岸」、福井県の「越前海岸」、伊豆半島の「爪木崎や須崎海岸」と海岸沿いに大群落があります。

 花は、これから二月いっぱい位まで楽しませてくれます、洗面所などにさり気なく一輪飾って見ては如何でしょうか、何処と無く凛として上品な感じと香りに癒しを


風邪に金柑

2005年12月10日 | 季節のかおり

「風邪がはやるとキンカンが売れる」といわれるほど、昔からキンカンは民間薬として、「風邪」や「せき止め」に活用されてきました。

文献で調べると、キンカンは抗菌や殺菌作用、さらに免疫力を高める成分が豊富に含まれていると言われております。柑橘類の中では、果実が一番小さいですが、ビタミンCは温州みかんの1.5倍も含まれており、その実力は侮れません。また柑橘類に含まれる成分は、果肉より皮の部分に多く、キンカンの場合、甘みの豊富な皮ごと食べられる点が優れている。

我が家では梨畑の外周に植えた金柑、この所毎年たくさん実を着けてくれる。今毎日剪定作業に通っていますが、作業の気分転換に日に何回か2~3個づつ食べております。今年は新型インフルエンザの流行が騒がれておりますが、金柑を意識的に食べ、風邪に負けずにこの冬を乗り切ろう  『金柑に敬礼』


梨の農薬講習会

2005年12月08日 | 農園の梨づくり
          収穫後の秋防除(2005.10 越冬菌の防除)

近年、無登録農薬問題や、作物別の使用農薬また残留農薬基準が厳しくなるなか、一宮・岬梨組合一宮支部では12月8日、来期に向けての農薬講習会が開催されました。今回は、平成15年5月の食品衛生法の改正により、新たに平成18年5月に導入される残留農薬基準「ポジティブリスト制度」が施行される予定。
このポジティブリスト制度とは、全ての農薬について作物ごとに残留基準を設定し、基準を越える農薬が含まれる農産物の流通を原則として禁止、また基準を越えた場合は罰則等の対象にもなる制度です。

 梨などの生産現場では、農薬の適正使用は当然のことですが、農薬散布時の近接作物への飛散(ドリフト)、特に梨の農薬散布はSS(スピードスプレァー)での散布が殆んどで従来以上の注意と対策が必要となる。
今生産されている野菜や果樹等の農産物の殆んどが、人間の好みに合わせ人工的に品種の改良を重ねて来た結果、病害虫に対し抵抗力が弱く、成長生育段階において農薬を散布して病害虫から守ってやらないと満足に物が収穫出来ない状況にあります。

 しかし私ども生産者は、生産する側の安全、消費者に安全・安心そしてより美味しい梨(農産物)を届けられる様、出来る限り減農薬での栽培技術の確立が課せられている。
「JA全農ちば」では、毎年「何年産梨の防除暦」を作成し、新農薬や各種法律改正等の講習会を開催している。確かに防除暦に沿って年間約30種(平成17年の暦)の農薬散布を行へば、殆んどの病害虫は防げる。
我が家でも、EM自然農法に切り替えるまではその防除暦に従って農薬散布を行なっていました。散布する事で病害虫には掛からないと言う保険を掛けた様な安心感もあった。しかし自然農法を勉強するに従って、農薬散布の多さに疑問を抱き如何にしたら散布回数を減らせるかと色々と今まで模索して来ました。しかし之だと言う技術の確立は出来ませんが、有機質を主体とした「善玉菌の豊富な土づくり」と剪定技術により、「バランスのとれた樹形」そして「病害虫に負けない樹勢」を維持する事だと思っています。

 お陰様で現在「JA全農ちば」防除暦の二分の一以下の殺菌・殺虫剤で若干の被害果は見られる物の大勢には影響は無い。今後も可能な限り散布回数を減らし、生産者の安全、消費者へ安全安心そして園内の虫たちと仲良くする為、更なる研鑽を重ねればと考えています。

     『一将功成りて、万骨枯れる』


ナンテン(縁起木第二弾)

2005年12月07日 | 季節のかおり

師走の声とともに庭の『ナンテン』の実が鮮やかに色づいて来た。その赤く美しいところから、「センリョウ」「マンリョウ」と正月の床飾りとして大いに重宝されている。ナンテンは「難転」あるいは「成天」に通じることから、古くから縁起木、厄除けの植物として、庭に植えたり、正月などの祝い事や赤飯の折り詰めに一枝添える風習が残っている。

また薬用として中国から伝えられたともいわれ、実を乾燥させたものが生薬の「南天実」、主な薬効成分はアルカロイドで煎じて「咳止め」「たんきり」「喘息」などの効果があると言われており、現在では「南天のど飴」が販売されている。

小さい頃、冬風邪をひくと祖母がナンテンを土瓶で煎じて「咳きの薬」だから飲む様にと良く作ってくれた。祖母が言うには「赤いナンテン」より「白ナンテン」の方が咳には効くと言っていた。この時期ナンテンの実が熟れてくると、ナンテンを煎じた「匂い」と「あの味」そして当時が思い浮かぶ。

  難を転じて福と成す。

センリョウ

2005年12月05日 | 季節のかおり
今年も残すところあと僅かとなり、正月がまじかとなりました。我が一宮町は正月の縁起木『センリョウ』の産地でもあります。生産者(千両組合)は年末の出荷(正月用)に照準に合せ、切り取り・選別・調整と今ピークを向かえ大忙しです。

このセンリョウは2~3月にタケノコに似た芽を伸ばし株立ち状に育ちます、そして6月新梢の先端に黄緑色の小さな花が穂状につき、小さな球形の実が付きます。この小さな実が11月頃になると、天に向かって赤く熟します。最近では、黄色に熟する「キミノセンリョウ」と言う園芸品種も栽培されています。

お正月の縁起木として、センリョウ(千両)・マンリョウ(万両)は有名ですが、ほかに「百両」や「十両」そして「一両」も別名で存在します。いずれも常緑での低木または小低木で、冬の寒い時期に真っ赤な実を着けるのが特徴です。

六職

2005年12月02日 | 季節のかおり
                 知恩院の三門(1621年建立 重層入母屋本瓦葺)


 先日の千葉日報の「忙人寸語」という欄に『六職』と言うコラムが載っていた。この六職とは、「建具」「左官」「畳」「瓦」「鳶」「石工」で、つまり家を建てる際に欠かせない職人達。大工の棟梁が束ねて請け負って仕事をするプロ(技術)集団達、飯を忘れるほど黙々として腕を磨き、その確かな技術は「名人技」とも呼ばれる職人と書かれていました。

 その最たる技術の結集が、京都や奈良の寺院をはじめ、全国各地に何百年と風雪に耐え今も堂々とその歴史を物語る木造建物。その世界に誇る建築技術が、高度経済成長を境に近代化・大量消費時代へと移行。時代にそぐわないと名人達の居場所は次第に狭められ、変わって経済効率を優先させたハウスメーカーのプレハブ工法による建物となり、日本古来の杉や檜を主体とした在来工法は蚊帳の外。

 今、世間は耐震強度計算の偽造問題で、マンション・ホテルが大揺れ。一生のうち半分以上を過ごす住居。家族団欒の場として、額に汗して働き漸く購入したマンション、団欒どころか其の所に居ること事態が危険、こんな事だれも考えないよ

 昔から「衣服」「食物」「住居」は衣食住と言い人間が生活する上での基本的な要件ですが、食物では「産地の偽造」「表示違反」そして「BSE」等などの不安に加え食料自給率の低下、果たしてこのままで大丈夫かと疑問を抱く中、今度は自宅やホテルで寝ていられない。「食物」に続いて「住まい」、残り「衣服」は大丈夫かと不安が過ぎる。

 今、私ども日本人は戦後の食料増産そして工業製品の生産と皆で力を合せ頑張って来ました、その結果G7(Group of Seven)先進七け国(日・米・英・仏・独・伊・加)の仲間に入るまで発展して参りました。しかし国民は「食べ物」・「住まい」にこの様に不安を抱きながら生活する国が、本当に世界に誇れる先進国であるって疑問を抱くのは私だけですか
之って『小農の歯軋り』  



    『衣食足りて、
        礼節を知る。』 心の奥の良心は何処へ・・・

           『人の噂も七十五日』 か・・・