昨日の寒さから、うってかわって、今日は、春。いや、初夏の感じがするほどに気温が上がっている。 今日から、彼岸のいり。あわててきのう、先祖のお墓のそうじをすませた。つくしがあちこちに芽をだしていた。 山田ときさんが、1月22日に亡くなられた。「女教師」の『路ひとすじ』に歩んでこられたときさんは、今は、どんな路をあゆんでおられるのであろう。
亡くなられあと、の2月3月は、めずらしく多忙で、あわただしく過ごしてしまった。 ちょうど、彼岸にはいったので、このブログでもふれさせていただき、ときさんのご冥福をあらためて祈りたい。
ときさんが亡くなられた連絡は、国分一太郎の生家をついでいる国分一太郎の弟正三郎さん長男恵太さんからの連絡だった。そして、以下のような連絡をいただいた。
田中様
いつもお世話様です。昨晩連絡致しました山田とき先生の葬儀につきまして、連絡致します。
葬儀日時 1月25日月曜日 午前10時から
場所 むさしセレモニー おきたま
住所 山形県南陽市中の目27-1
電話 0238-43-8484
喪主 山田 和子
* 私は参列予定です。
* 山田 享二郎先生には連絡済みです。
お手数おかけ致しますが、関係各位にご連絡お願い致します。
國分 恵太
1月24日(日)は、綴方理論研究会があり、葬儀の日程について、研究会に参加した人にはお伝えした。遠いことと、急なことでもあったので、理論研、国分一太郎研究会を代表して私が参列することとした。参列してきたようすをかんたんにメールやブログで報告をさせていただいた。
《会の皆様へ》
しんしんと雪の降る日のお葬式でした。百二歳の山田ときさんをお送りするのにふさわしい、静かな中で の、ゆっくりと時間をかけたお葬式でした。
藤田さんの弔電も、披露されました。また、「赤湯ばあちゃん」とよびかけるお孫さんの弔辞もあって、お もわず涙をながしてしまいました。50歳で退職されたあとの、「退婦教」での活躍等、弔辞から改めてたくさんのことを知ることができました。
もっと皆さんともに共有したい時間のようにもおもえました。
女教師として、母として、地域の先達として『路ひとすじ』にあゆんだ、ときさんにふさわしい、いいお葬式でした。
行篤院智綴慧教大姉
となられて、仏様となって、これからも私たちを暖かく見守ってくださることになりました。
心よりご冥福を祈念しつつ、また、教えていただいたことを、つなげ、深める役目をになっていかなければいけないと思いました。
国分恵太さんと一緒に参列しました。研究会の生花もかざられていました。
和子さんから、皆様によろしくお伝え下さいとのことでした。
そのあといただいたあメールや葉書をここに紹介させていただくことにした。
□Eさん(埼玉)
会を代表して、お一人でご苦労様でした。何もかも任せてしまい、申し訳ありませんでした。この文章は、そのままホームページに使わせていただきました。
□Hさん(埼玉
メールありがとうございました。
山田ときさんとのお別れの式に参列、ご苦労様でした。
百二歳とは、大往生といったところですね。
山田ときさんは、山形での研究会に参加されている姿と田中さんや榎本さんからの話で、そういう人だったのか、素敵な人だったんだな、という印象を持たせてもらいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
私の近況は、あしたからまた山梨入りです。
選定作業が中心となります。
今年の準備がいよいよ本格的に始まります。
□Sさん(福島)
田中定幸様
雪の中、我々を代表しての参列、またていねいなご連絡、ありがとうございました。何とか出席したかったのですが、昼からの仕事の都合がつかず、帰りを考えると断念せざるを得ませんでした。また、ゆっくりお参りさせていただきたいと思います。
とき先生には、息子も含めわれわれ家族に声をかけてもらい、お手紙をいただくなど、忘れることのできない時をたくさんいただきました。一昨年の東北民教研で、和子先生とご一緒されていらしたのにお会いしたのがさいごであったように記憶しています。心からご冥福をお祈りします。
改めてつぎにつなぐ我々の役目を自覚させられました。また、三重でお会いするのを楽しみにしております。
2016年1月26日
□Aさん(山形)
ご連絡ありがとうございました。
昨日、先生のブログで山田先生のことを知りました。研究を早く進めることの必要を強く感じました。
山形に三重と、どうぞご自愛ください。
□ Kさん(埼玉)
潮風の吹き抜ける町の住人 田中 定幸 様
日本標準時の生まれる街の住人 Kです
今回の山形行きは大変だったと思います。雪が相当降っていたのではないかと思っていました。
また、メールをありがとうございます。今回の葬儀の様子が想像できました。
□Kさん(東京)
田中定幸様
山形、どうもお疲れ様でした。25日(月)は、 朝早い出発で大変だったことと思います。
明日(29日)からは、今度は、三重の研究大会。身体にどうぞ気をつけてください!
こちら、豊島作文の会の1月例会の報告(まとめ)がやっと完成、2月例会の案内を今日か明日あたり投函できそうでほっとしています。
次は、すぐに理論研1月例会のまとめに入る予定です。これが完成するまで、酒断ちです。
2016年1月28日(木)
□Tさん(千葉)
田中先生
メールを開くのが遅くなり、申し訳ありません。遠くまで お疲れさまでした。
山田ときさんのお葬式の 雰囲気が伝わり、故郷の雪景色を思い浮かべています。
実は、義母が亡くなり、昨日葬儀でした。まだ、落ち着かないですが、家族の「死」によっていろいろ考えさせられるのだなと、思っています。
□Sさん(千葉)
寒い中、山田ときさんの葬儀参列、お疲れ様でした。102歳とは、大往生ですね!私の義母も97歳で3年前に亡くなったのですが、山田ときさんと義母が歳が近いこともあって、二人を重ねて見ることが多かったです。いろいろ苦労もされたことだと思いますが、人生を全うされた大先輩ですね!私自身は、そんなに長生きしたくはないのですが、「いい人生だった」と最期に思える生き方をしたいと思います。
□また、「豊田正子を愛する会」の添田直人さんからはお手紙をいただいた。
先生のブログで山田ときさんが亡くなったことを知り、大変おどろきました。
著書『路ひとすじ』を読み終わったばかりでした。山田先生に、おたずねするつもりで、手紙を出したいと思っていたところでした。
同書は、特高砂田らしき人物の「調べ」の様子など、『小学校教師の有罪』の傍記となるものです。山田先生が赤湯に復職後に、従来と同じ方法で生徒や地域と関わっていることを「咎められ」ていないので、教師への弾圧の「原因」が、その教育内容にあるのではなく、自主的に集まった教師間の結びつきと生徒、地域との結びつきにあったことが推定できます。
また、復職後に手紙をくれたおばあちゃんの文を読むと、その保護者の世話もいかに教育を受ける権利を求めていたのか理解できます。そして、母としての山田先生と敬子さんの会話(あめふりはよいか)のように、実にあたたかい気持ちになります。
山田とき先生のご冥福を心からお祈りします。
添田さんには、お願いして、ブログに掲載させていただいた。また、メールについては、お一人ずつ確認をしなかったので、イニシャルで掲載させていただいた。お許しを!
次回は、『路ひとすじ』の中から、いくつか紹介させていただく予定。
なお、山田ときさんの著書、『路ひとすじ』『教室の記録』(国分一太郎との共著)は、「日色文庫」で、借りることができるはずである。
日色章 (綴方理論研究会・国分一太郎「教育」と「文学」研究会)
連絡先 286-0201 千葉県富里市日吉台5-7-4
電話 0476-92-3459