日本で、電車の中吊り広告で青年海外協力隊募集のポスターを見た。
テレビではCMまでやっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/7c/8097008a74c9524f982aa8483c7d1faf.jpg)
日本の震災の影響もあって、協力隊の応募者は減っているのだと聞いた。
ポスターを見ると、複雑な気分になる。
協力隊募集のポスターは笑顔の隊員と途上国の子どもが
明るい日差しの下、笑顔で向き合う。
テレビのCMもそう。
爽やかに風が吹く中、肌の黒い子どもの肩に協力隊員がそっと手を乗せ笑顔でほほえむ。
とにかくさわやかで、明るい。
こういうイメージを打ち出したいのだろうと思うのだが、
ポスターの中で笑顔を見せる協力隊員は作られすぎてきて、真の姿ではないと思う。
絵になるからか、日本人とは肌の色が全く違う国の子どもとの写真が
こうして広告に使われることが多いのも、いつもひっかかるところ。
私もそういうポスターに惹かれ、憧れた一人で、
隊員の多くがそうだと思うが
こういうポスターで意識的に与えられるイメージから、憧れや理想が過度に膨らむように思う。
実際の協力隊員は、理想とのギャップに苦しみ、異文化世界でうまくいかないことの連続。
四苦八苦しながら生活している。
つまづき転びながら、その中で道を見つけ、意義を見つけ、存在価値を見いだしていく。
協力隊員が任国の人たちに「してあげる」側であるなんていう考えは、全くの間違いだったと
ほとんどの隊員が任国で知り、そこからまた新たなスタートをする。
こんなに苦しいことがありました、
その時こうやってのりこえました、
こんなに大変でしたが、こうやって助けられました、
それこそ、協力隊の真の姿で、それを見せられるような広告にはできないんだろうか、と思う。
このポスターには作り手の意図があるのだろう。
私は、よほど、涙を流している隊員の横顔でもポスターに使う方が
真実だと思える。
イメージや第一印象というのは、とても強い力を持つもの。
応募してくる人たちに夢と希望だけではなく、
こういう苦しさもあり、こうやって乗り越えていくのが協力隊の生活なのだと、
本当の部分を見てもらいたいような気がする。
テレビではCMまでやっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/7c/8097008a74c9524f982aa8483c7d1faf.jpg)
日本の震災の影響もあって、協力隊の応募者は減っているのだと聞いた。
ポスターを見ると、複雑な気分になる。
協力隊募集のポスターは笑顔の隊員と途上国の子どもが
明るい日差しの下、笑顔で向き合う。
テレビのCMもそう。
爽やかに風が吹く中、肌の黒い子どもの肩に協力隊員がそっと手を乗せ笑顔でほほえむ。
とにかくさわやかで、明るい。
こういうイメージを打ち出したいのだろうと思うのだが、
ポスターの中で笑顔を見せる協力隊員は作られすぎてきて、真の姿ではないと思う。
絵になるからか、日本人とは肌の色が全く違う国の子どもとの写真が
こうして広告に使われることが多いのも、いつもひっかかるところ。
私もそういうポスターに惹かれ、憧れた一人で、
隊員の多くがそうだと思うが
こういうポスターで意識的に与えられるイメージから、憧れや理想が過度に膨らむように思う。
実際の協力隊員は、理想とのギャップに苦しみ、異文化世界でうまくいかないことの連続。
四苦八苦しながら生活している。
つまづき転びながら、その中で道を見つけ、意義を見つけ、存在価値を見いだしていく。
協力隊員が任国の人たちに「してあげる」側であるなんていう考えは、全くの間違いだったと
ほとんどの隊員が任国で知り、そこからまた新たなスタートをする。
こんなに苦しいことがありました、
その時こうやってのりこえました、
こんなに大変でしたが、こうやって助けられました、
それこそ、協力隊の真の姿で、それを見せられるような広告にはできないんだろうか、と思う。
このポスターには作り手の意図があるのだろう。
私は、よほど、涙を流している隊員の横顔でもポスターに使う方が
真実だと思える。
イメージや第一印象というのは、とても強い力を持つもの。
応募してくる人たちに夢と希望だけではなく、
こういう苦しさもあり、こうやって乗り越えていくのが協力隊の生活なのだと、
本当の部分を見てもらいたいような気がする。