ナムプリック屋のお母さんが言った。
「このソイローポーショーに、自閉症の甥っ子がいる人がいるのよ。
昨日、店に来たから、さちえが作った本を見せたのよ。
わかりやすいように、お母さんが読んで聞かせてあげたの。
彼女はとても喜んで、その本が欲しいって言ってたのよ。」 (→ 過去ブログ 「自閉症ガイドブック完成」)
私の活動最後に作った自閉症のガイドブック。
一冊をお母さんに渡していたが、まさかこういうつながりが生まれるなんて思いもせず、
目からうろこが落ちる思い。
そうか、そうだった、求められる場所は配属先のセンターとは限らないのだ。
お母さんから聞くと、その子は14才だが学校には行かず、ずっと家にいるのだという。
配属先でその話を聞いたことはないので、おそらく、個別教育計画も作ることなく、
第9特別教育センターにもかかわらず、放置されてしまっている子。
立派な特別教育センターがコンケンにあるし、知識も技術もそろっているけれど、
それがみなにいきわたっているかというと、そうではないのだと
放置されている子どもの存在がすぐ近くにあると、お母さんの話を通じて肌に感じる。
この近所にいながら、私は知らなかったこと。
地元の名士であるお父さんお母さんたちだから人々から頼られ、
様々な情報が入り、だから知っているのだ。
ぜひ、この本を渡してほしい、センターに来られない子どもや保護者にこそ、
家の中でこの本が手助けになることを願うし、
そういう手をさしのべられていない人たちにこの本が役立てば嬉しいと伝える。
配属先にいって、本を10冊もってくる。
お母さんにわたして口を開こうとすると、先にお母さんが言う。
「この本はお母さんが預かるのね。
そして、自閉症の子どもがいるのっていうお客さんがいたら
この本の説明をして渡してあげるのね。」
すごい、お母さんはどうして私が言おうとすることが分かるの?
「お母さんはさちえが何をしたいか、わかるのよ。
さちえをみて、何を考えているのかなあって、お母さんも考えているからね。」
「自閉症の子どもと親にこの本がわたれば、きっと役立つはずよ。
さちえは とてもいいことをしている。 お母さんは嬉しい。」
お母さんからそう言われることが、私は何よりも救いで、
「ディージャイ」(うれしい)と一言言って、あとは泣きそうになってこらえるばかり。
センターの中ばかりを見て足元を見ていなかった。
センターに来られない子どもたち、センターに在籍を登録されていない子どもたちが
たくさんいて、学校にも行かずに過ごしている。
なんの手段も知識も情報も入らない、
そういう子どもたちと親にこそ、この本が渡ればと思うが、
お母さんがその役割を担ってくれるなんて。
どこまでも、お母さんたちは私の支えで、応援者で理解者だ。
本をほしいと言った人は、驚いたことに、いつも朝も夕も顔を合わせて
おしゃべりをしていたソイローポーショーの屋台のおばちゃんだった。
本をもらいに来て話す。
「さちえはこんな仕事をしてたのねえ。
今までこんな話をしたことがなかったものね。
私の甥っ子は自閉症で知的障害もあって、学校には行っていないの。
母親がきっと喜んで、この本を読むと思う。
ありがとう、さちえ。」
ソイローポーショーの人たちとは、仕事の話をすることはほとんどなく、
いつも他愛のない話をしていた。
最後に、こういうつながりが生まれるなんて。
お母さんに預ければ、きっと大丈夫だ。
私を理解してくれるお母さんから説明され渡されるこの本は、きっと
私の望む使われ方をするだろう。
そして、きっとお母さんは、学校に行けない子どもと保護者たちの支えにも、
理解者にもなってくれる。
明日は任地を離れるというときに、まず一冊を渡すことができ、
これからにつながるそのチャンスに間に合ったことの幸運。
すべてお母さんのおかげだ。
つながっていく、目に見えないものを感じた。
先のことは見届けられないけれど、
私のやりたかったこと、願ったことにつながっていくのじゃないかと。