朝日があんまり美しいので、早朝カメラを持って外に出た。
そこに雑草がアスファルトからにょっきりと生えていた。
その生命力に小さな感動を覚えて、写真を撮る。
雑草の目線に下がって写真を撮るので、当然、アスファルトに這いつくばることになる。
アスファルトに這いつくばって、何枚も写真を撮っていると
早朝散歩をする人たちが、怪訝な顔で見ていく。
通り過ぎても、また振り返り振り返り、怪訝な顔で私を見る。
何をしているのか?と問いたいのが分かる。
だけど、決して聞いてこない。
ただ、目で「何をやっているんだ。」と制する。
見て分かるとおり、写真を撮っているのだけど、
だけど、その自分の常識から外れた私の撮り方が、私の格好が
許容できないのだろうと思う。
タイだったらどうだろう、とふと思う。
たぶん、ちらりと見るだろう、けれどそれ以上は見ない。
何をしているんだ?と思えば、「何してるの?」と聞くだろう。
ある時、コンケンのセンタン(デパート)で、焼きサバのお総菜を買った。
お腹がすいていたので、パックを手に握ったまま、帰りながら
歩きつつ焼き魚を手でむしゃむしゃとつかんで食べた。
女の人が焼きサバを手づかみで食べながら町をウロウロする。
日本でなら、じろじろと見られ、目で制されるだろう。
だけど、コンケンでは、目があったおばちゃんが言ったのは
「アロイマイ?」(おいしい?)
だった。
日本では電車内でも人は目で人を制す。
電車マナーは、「人が見ているから恥ずかしいよ。」と教える。
だけど、タイでは疑問に思えば聞くし、そもそもの許容範囲のとんでもない広さがある。
その何でも許してもらえる感じに安心する。
タイ人の懐の広さが恋しくなる時がある。
そこに雑草がアスファルトからにょっきりと生えていた。
その生命力に小さな感動を覚えて、写真を撮る。
雑草の目線に下がって写真を撮るので、当然、アスファルトに這いつくばることになる。
アスファルトに這いつくばって、何枚も写真を撮っていると
早朝散歩をする人たちが、怪訝な顔で見ていく。
通り過ぎても、また振り返り振り返り、怪訝な顔で私を見る。
何をしているのか?と問いたいのが分かる。
だけど、決して聞いてこない。
ただ、目で「何をやっているんだ。」と制する。
見て分かるとおり、写真を撮っているのだけど、
だけど、その自分の常識から外れた私の撮り方が、私の格好が
許容できないのだろうと思う。
タイだったらどうだろう、とふと思う。
たぶん、ちらりと見るだろう、けれどそれ以上は見ない。
何をしているんだ?と思えば、「何してるの?」と聞くだろう。
ある時、コンケンのセンタン(デパート)で、焼きサバのお総菜を買った。
お腹がすいていたので、パックを手に握ったまま、帰りながら
歩きつつ焼き魚を手でむしゃむしゃとつかんで食べた。
女の人が焼きサバを手づかみで食べながら町をウロウロする。
日本でなら、じろじろと見られ、目で制されるだろう。
だけど、コンケンでは、目があったおばちゃんが言ったのは
「アロイマイ?」(おいしい?)
だった。
日本では電車内でも人は目で人を制す。
電車マナーは、「人が見ているから恥ずかしいよ。」と教える。
だけど、タイでは疑問に思えば聞くし、そもそもの許容範囲のとんでもない広さがある。
その何でも許してもらえる感じに安心する。
タイ人の懐の広さが恋しくなる時がある。