少し時間がたってしまいましたが、平城宮跡の第2弾です。解説ボランティアさんについて。
朱雀門のところと東院庭園のところは蛍光グリーンのはっぴを着た解説員さん、遺構展示館は胸のところに奈文研と書いてある白いポロシャツを着た解説員さんがいました。他の場所でも、遠めに蛍光グリーンが見えたので解説ボランティアさんがいたと思います。
皆さん、それはそれは丁寧な解説をして下さいます。「解説ボランティア。お気軽に声をかけてください。無料」みたいな案内板があり、こちらからお願いすると、1対1で解説して頂ける。何とも贅沢ではある。
これは、復原工事中の第一次大極殿(だいごくでん)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/39/df292699a974a8b4e8433bd010deae7e.jpg)
遺構展示館では、本当に詳しく解説をしていただいた。この前の稿で書いたこともほとんど、その方の受け売りです。
木をくりぬいた井戸枠や、水を運んだ(要は水道)木の樋などの展示品にのところで、このあたりもうろ覚えで、記憶は曖昧だけど。
水の中にあったから腐らずに残った。普通、水の中だと腐ると考えがちだが、そうではなくて、水の中にある間は腐らず、水から出して酸素に触れると腐る。水から出して、水が抜けていくとよじれが出たり、壊れたりしてしまう。なので、水を抜いて、水の変わりに木が腐らない液体を入れていく。
日本は四季があるので木に年輪が出来る。その年輪を調べていくことで、かなり正確に年代がわかる。多くの木の年輪の進み具合から、気候状況が分かって、基準になる木が出来て云々。
柱などは周りを削ってしまうので分からない場合が多いけれど、外側まである木が残っている場合には、その木を切った季節まで割り出せるところまで来ているそうです。
平城京時代に一時聖武天皇によって恭仁京(くにきょう)などに遷都されたのは今でも謎だそうです。というか、そのあたり知りませんでした。
平城宮跡を見た後に箸墓古墳に行く予定だと私が言うと、平城宮跡の北側にも古墳群があって、そこを見るだけでも半日は優にかかる旨言われていました。古墳は宮内庁が管理しているので中には入れないけれど、周りを見るだけでもいいとか。
あと、遺功展示館にせんとくんのポスターがはってあったので、「こちらではどうですか?」と聞いてみた。きもいのなんのと物議をかもし出していたから、地元ではどうかなくらいの気持ちで聞いたのですが、「かわいいですよね。一時ほどではないけれど人気ありますよ」とすんなり答えが返ってきた。ああ、そうなんだ、地元では愛されているんだわ。よかったな、と思いました。
そんなこんなでたっぷりと解説を聞いて、広々とした敷地内をゆっくりと歩いて、東院庭園も見たらしっかり時間がかかり、箸墓古墳は次回へのお楽しみに先送りとなりました。来年のキトラ古墳の壁画公開のときは、平城宮跡北側の古墳群と箸墓古墳も合わせてみたいけれど、ちょっと欲張りすぎかな。何年か掛かりでもいいかもしれません。じっくりとお付き合いしましょうという感じです。
朱雀門のところと東院庭園のところは蛍光グリーンのはっぴを着た解説員さん、遺構展示館は胸のところに奈文研と書いてある白いポロシャツを着た解説員さんがいました。他の場所でも、遠めに蛍光グリーンが見えたので解説ボランティアさんがいたと思います。
皆さん、それはそれは丁寧な解説をして下さいます。「解説ボランティア。お気軽に声をかけてください。無料」みたいな案内板があり、こちらからお願いすると、1対1で解説して頂ける。何とも贅沢ではある。
これは、復原工事中の第一次大極殿(だいごくでん)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/39/df292699a974a8b4e8433bd010deae7e.jpg)
遺構展示館では、本当に詳しく解説をしていただいた。この前の稿で書いたこともほとんど、その方の受け売りです。
木をくりぬいた井戸枠や、水を運んだ(要は水道)木の樋などの展示品にのところで、このあたりもうろ覚えで、記憶は曖昧だけど。
水の中にあったから腐らずに残った。普通、水の中だと腐ると考えがちだが、そうではなくて、水の中にある間は腐らず、水から出して酸素に触れると腐る。水から出して、水が抜けていくとよじれが出たり、壊れたりしてしまう。なので、水を抜いて、水の変わりに木が腐らない液体を入れていく。
日本は四季があるので木に年輪が出来る。その年輪を調べていくことで、かなり正確に年代がわかる。多くの木の年輪の進み具合から、気候状況が分かって、基準になる木が出来て云々。
柱などは周りを削ってしまうので分からない場合が多いけれど、外側まである木が残っている場合には、その木を切った季節まで割り出せるところまで来ているそうです。
平城京時代に一時聖武天皇によって恭仁京(くにきょう)などに遷都されたのは今でも謎だそうです。というか、そのあたり知りませんでした。
平城宮跡を見た後に箸墓古墳に行く予定だと私が言うと、平城宮跡の北側にも古墳群があって、そこを見るだけでも半日は優にかかる旨言われていました。古墳は宮内庁が管理しているので中には入れないけれど、周りを見るだけでもいいとか。
あと、遺功展示館にせんとくんのポスターがはってあったので、「こちらではどうですか?」と聞いてみた。きもいのなんのと物議をかもし出していたから、地元ではどうかなくらいの気持ちで聞いたのですが、「かわいいですよね。一時ほどではないけれど人気ありますよ」とすんなり答えが返ってきた。ああ、そうなんだ、地元では愛されているんだわ。よかったな、と思いました。
そんなこんなでたっぷりと解説を聞いて、広々とした敷地内をゆっくりと歩いて、東院庭園も見たらしっかり時間がかかり、箸墓古墳は次回へのお楽しみに先送りとなりました。来年のキトラ古墳の壁画公開のときは、平城宮跡北側の古墳群と箸墓古墳も合わせてみたいけれど、ちょっと欲張りすぎかな。何年か掛かりでもいいかもしれません。じっくりとお付き合いしましょうという感じです。