ろっくぶっくのいつものように

身のまわりの出来事、思うこと、などなど。
絵手紙を始めました。見てください。

杉原 千畝記念館-心震えます

2016-08-17 23:07:48 | 雑記(コト)
 岐阜県八百津町にある杉原千畝記念館に行ってきました。
木をたくさん使ったしゃれた感じの小ぶりな記念館です。(写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました)
これは入場券です。

 第二次大戦中に、リトアニアの日本領事館に赴任していた外交官ですが、ナチスの迫害から逃れるポーランド系ユダヤ人達に日本の通過ビザを発給した人です。命のビザと言われているものです。外務省にお伺いを立てるも、返事はNOだったにもかかわらず、人道的見地から自身で決断しビザを発給しました。日本通過ビザが取得できたことで、ソ連の通過ビザも取得でき、唯一のルートであるシベリア鉄道経由で、ウラジオストック、舞鶴と渡り、その後、中国やアメリカ、オーストラリアに渡ったそうです。6000人もの命がそれによって救われたといいます。
 本人は帰国後、結局外務省の外交官としての職はなく、貿易会社に職を得てモスクワ勤務などしていました。千畝氏のビザで助かったユダヤ人が戦後随分と経った1968年に千畝氏を探し訪ねてきたことから、話が広く知られるようになったようです。

 記念館内は、千畝氏が発給したビザや、助かった人たちのその後の写真、外務省との公電などの展示があります。千畝氏の生い立ちもあり、さらに、リトアニアのカウナスの日本領事館執務室が再現されています。説明文は、日本語と英語、それにもう一つ見慣れない言葉で書いてあります。受付で聞いたところ、ヘブライ語だそうです。イスラエルからの見学者が結構来られるのだそうです。

 まわりは「人道の丘」と呼ばれる公園のようになっていて、モニュメントなどもあります。千畝氏の出身地である八百津町が力を入れているようです。

 リトアニアのカウナスにも杉原記念館があるようです。機会があればそちらにも行ってみたくなりました。

 話は少しさかのぼりますが、6月に広島へ行く機会があり、原爆ドームを初めて見ました。原爆資料館は、心の準備が出来ず入ることはできませんでした。



 という訳で、ポーランドへ行く気持ちの準備は少しできてきたつもり。単に観光ですけど、アウシュビッツとかピルケナウに行くのに、自国のそれなりの場所を全く知らないで行くのは気が引けるというものなので。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体操は美しいのが一番:男子団体金メダルおめでとう!

2016-08-09 21:11:30 | スポーツ(主に観戦)
 12時間時差のあるリオデジャネイロ・オリンピックをついつい見てしまいます。毎日とんでもなく暑い日々で、日中はぐったり状態ですが、夜の割と遅い時間と早朝はリオ観戦です。スポーツはライブでなくては感動を共有できません。
 体操男子、予選がなんだかピリッとしなかったので、どうなんよと思っていましたが、すごかったです。つま先までピタッと決まった美しい体操は良いです。あんだけひねったり、離れ技をした後で、マットに吸い付くような着地は見ていて気持ちがいいです。
 2004年のアテネの体操金の時も見ていました。あの時は最後の演技者の富田選手の鉄棒の着地が本当にきれいに決まって、その後何年も何度もあの場面が流れましたけれど、今回の最終演技者の内村選手のゆかは、全種目やりきって、やや疲れ気味だったのでしょうか、最後の着地が少し動いたのがちょっとだけ残念かも。

 余談ですが、客席にたくさん両親とかが応援に来ています。皆さん若いのでびっくり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀悼 千代の富士様

2016-08-06 00:11:20 | 相撲
 なんということでしょう、九重親方が逝ってしまいました。61歳という若さです。
膵臓ガンを患っていることを知りませんでした。北の湖理事長が急逝した時に、八角さんが急遽理事長になって、次の正式な改選時にも引き続き八角さんが理事長になったので、ちょっとびっくりしてました。八角さんより九重さんの方がどう考えても先でしょと、素人は思ってました。
 千代の富士の相撲で心に残っているのは、なんといっても双葉山の60連勝を超えようと連勝記録を伸ばしていたときに、千秋楽に大乃国に敗れた一番です。あの時は既に千代の富士の優勝は決まっていて、片や大乃国は全く星が上がらず、見ている方は千代の富士の勝ちを疑っていませんでした。それがなんと、大乃国が勝ってしまい、千代の富士が土俵の(テレビ画面で)右下の方に尻もちをついて、何とも天真爛漫な顔で見上げていました。九州場所の千秋楽の出来事で、年が改まってすぐに昭和天皇が亡くなり、結局あの一番が昭和最後の本場所の相撲になってしまいました。そういえば、天皇崩御で初場所も初日が一日延びました。

 九重部屋に献花台が設けられたというので、よほど行こうかと思いましたが、北の湖理事長の時に行かなかったのに、九重さんの時に行っては、北の湖理事長に対して私の気持ちとして申し訳が立たぬと思い、行くのはとどまりました。今回の報道で、弟子の育成に力を尽くしていたと知りました。もっともっと弟子の育成をしてほしかったです。千代大海の佐野山親方が九重部屋を継ぐそうです。いい相撲取りを育ててほしいです。

 九重親方(千代の富士)のご冥福をお祈りします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする