南会津生活記

南会津での日々の〝ひとコマ〟をご紹介しています。
by s-k-y (presented by taito)

南山六義民の見た風景 兵左衛門編その2

2011年03月03日 05時57分10秒 | いにしえへの思い

集落内をプラプラ歩いていると、じい様と遭遇
義民知ってますか?の問いに、じい様・・・???
じい様曰く「あっちさ古い民家あっから行ってみな!」
ホ~~~、そうですか? 移築されたのかな?と行ってみることに



言われるがまま訪れたここは南郷民俗館
移築された古民家は江戸時代当時の豪農宅のようで、町の重要文化財とのこと。
残念ながら兵左衛門の家ではありませんでしたが、当時の主流だったこのような曲屋の家屋が、やはりこのように雪の中に埋もれるようにあったことでしょう



御蔵入騒動記録誌によると、「兵左衛門はかなり豪胆な人物であったらしく、1693年(元禄八年)に幕府が松川新道開削工事を施工した折りに下請けながら大峠・板室間の工事を250両で請負った。」とあります。松川新道とは、1683年に日光周辺で発生した大地震によって当時の幹線道路であった下野街道(現在の国道121号)が通行出来なくなり、代替路として作られた松川街道を指します。

奇しくも3年前探訪し、去年は松川街道から三倉山トレッキングもしていたルート。義民を辿っていて再びこの街道の歴史に触れるとは。。。驚きとともに考え深い



この工事を250両で請け負ったということは、1両が5~10万円程度として、1,250~2,500万円もの工事を請負い、人を集めて指揮していた 兵左衛門はこの界集落周辺地域のみならず南山御蔵入領きっての有力者だったことが伺えます。ツワモノです



ツワモノ振りは「勘定奉行所の御門前にてさえ百姓に彼是と指図している」と指摘されるほど!
江戸に呼びつけられた後でもこの振る舞いですから、相当に胆の座った人物だったのでしょう。



兵左衛門の墓は界集落の近くにある安照寺にあるそうです。
ここは直訴を行おうと有志たちが集った謀議の場。
兵左衛門を中心に様々な意見が飛び交い、やがて切なる願いは13ヶ条の直訴案へと姿を現し、みんなの意志が一つになっていったのでしょう。



集落の真ん中に立ち、兵左衛門が見たであろう景色を眺めながらボ~~っとします
写真の右側の山陰には南郷スキー場あり、さいたま市の保養施設あり。。。
でもここはそんな開発とは無縁で、当時の空気感が味わえる静かな空間を残しています。
この山を眺め、伊南川を眺め、兵左衛門は何を思っていたのか。。。



義民の見た風景を歩んでいて、最大の難事は、家や道や電線はいいとして、河川改修で水の流れが変わり、さらに農地基盤整備で田畑の配置が様変わりしていること。。。
唯一ボクの味方は彼方にそびえる山々
それを眺めながら、当時の様相に想像を巡らし、パシャ

兵左衛門、あなたは地域のツワモノとして、多分に代官や郷頭から煙たがられる存在だったのでしょう。
しかし、それを分かっていながら、立った。
地域のツワモノとして、恥じることない最後を選んだのですね







●●●○○○  南山六義民の見た風景  ○○○●●●


プロローグ

喜四郎編(小栗山集落)
その1、 その2、 その3

久次右衛門編(新遠路(にとうじ)集落)
その1その2

喜左衛門編(滝沢集落)
その1、 その2

茂左衛門編(布沢集落)
その1、 その2

儀右衛門編(黒谷集落)
その1、 その2

兵左衛門編(界集落)
その1その2

エピローグ






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