1683年、日光周辺で大地震が発生したとか!?
このため、当時の幹線道路であった下野街道(現在の国道121号)が通行出来なくなったので、1695年に代替路としてこの松川街道が作られたそうです。場所はここ→〝マピオン〟
詳細はこちら↓
街道沿いには古い家屋や街道跡を忍ばせる案内がいくつかあります。
写真を撮っていると後ろの方から「何ですか~」とおじいさんの声!
お宅の写真を勝手に撮っては怒られるのかな?と少々ビクビクしながら受け答え
するとおじいさん、松川街道のことを色々と教えて下さいました
この辺にあった集落は戊辰戦争の時、官軍に焼き討ちされて当時のままの民家は一軒だけだとか!
ここを官軍が進軍してきたとはビックリ
戊辰戦争当時は下野街道も再開通していたようですから、あらゆる街道を官軍は進軍して会津藩を目指したんですね
おじいさん曰く、「ここら辺は水の豊富なところで、下郷町の水源でもある」とか!?
でも、杉の植林が増え、夏場には水が減るようになったそうです。
はて?なぜ?と聞くと。。。
「杉は保水力がないから水を直ぐ流す。ならの木やとちの木みたいなのは水を蓄えて少しずつ流すから夏でも水が枯れない」とか!
なるほど
そんな話を伺いながら、しばし談笑。
いつも思うのですが、こちらでは朴訥な挨拶で話が始まります。でも、決して怒っているわけではなく、話すごとに和らいで楽しいひと時を過ごす事ができます。
最後におじいさんの写真を撮らせてもらって、これもまた一期一会のスナップフォトの醍醐味
おじいさんと別れ、松川街道を行けるところまで行ってみることに!
途中には土石流の爪あとが
遥か前方にはこの街道が越えていくであろう山並みがそびえています。
この辺の自然の厳しさも垣間見えます。
中腹まで山を登ったところで、車両通行止め!
ここからは徒歩で登らなければならないようです。
紅葉シーズンにでも、この先を登ってみようかな
麓の方を見下ろすと猿倉台地のそば畑が真っ白に浮かび上がって、これまた綺麗
猿倉台地、日暮の滝、観音沼、そして松川街道と、いろいろと下見した下郷散歩。
秋が楽しみです
このため、当時の幹線道路であった下野街道(現在の国道121号)が通行出来なくなったので、1695年に代替路としてこの松川街道が作られたそうです。場所はここ→〝マピオン〟
詳細はこちら↓
街道沿いには古い家屋や街道跡を忍ばせる案内がいくつかあります。
写真を撮っていると後ろの方から「何ですか~」とおじいさんの声!
お宅の写真を勝手に撮っては怒られるのかな?と少々ビクビクしながら受け答え
するとおじいさん、松川街道のことを色々と教えて下さいました
この辺にあった集落は戊辰戦争の時、官軍に焼き討ちされて当時のままの民家は一軒だけだとか!
ここを官軍が進軍してきたとはビックリ
戊辰戦争当時は下野街道も再開通していたようですから、あらゆる街道を官軍は進軍して会津藩を目指したんですね
おじいさん曰く、「ここら辺は水の豊富なところで、下郷町の水源でもある」とか!?
でも、杉の植林が増え、夏場には水が減るようになったそうです。
はて?なぜ?と聞くと。。。
「杉は保水力がないから水を直ぐ流す。ならの木やとちの木みたいなのは水を蓄えて少しずつ流すから夏でも水が枯れない」とか!
なるほど
そんな話を伺いながら、しばし談笑。
いつも思うのですが、こちらでは朴訥な挨拶で話が始まります。でも、決して怒っているわけではなく、話すごとに和らいで楽しいひと時を過ごす事ができます。
最後におじいさんの写真を撮らせてもらって、これもまた一期一会のスナップフォトの醍醐味
おじいさんと別れ、松川街道を行けるところまで行ってみることに!
途中には土石流の爪あとが
遥か前方にはこの街道が越えていくであろう山並みがそびえています。
この辺の自然の厳しさも垣間見えます。
中腹まで山を登ったところで、車両通行止め!
ここからは徒歩で登らなければならないようです。
紅葉シーズンにでも、この先を登ってみようかな
麓の方を見下ろすと猿倉台地のそば畑が真っ白に浮かび上がって、これまた綺麗
猿倉台地、日暮の滝、観音沼、そして松川街道と、いろいろと下見した下郷散歩。
秋が楽しみです