エヴァの次はガンダムだ!という事で「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」を観てきました。
3部作の1作目という事で、今回はストーリーにはほとんど触れません。まだまだ導入部ですので。
原作は富野由悠季で小説版がありますが、その内容は発行された当時からガンダム史上最大の悲劇と称されたりしました。今回の映画化で小説版を忠実になぞっていくのかははっきりしていません。
「ガンダム」が富野由悠季の手を離れて久しいですが、それでも今でも多くのファンの心をとらえているのはアムロであったりシャアであったりすると思います。
今回の「閃光のハサウェイ」でも原作にはないアムロのセリフが出てきます。ファンにとっても制作側にとっても「宇宙世紀」を語る上ではいわゆる「富野ガンダム」は無視できない、これが現状だと思います。
その印象というか呪縛から逃れるために「新世紀」という世界観を変えていくつかガンダムが出てきました。宇宙世紀として富野監督以外では「ガンダムUC」からだと思います。
「UC」がニュータイプやサイコミュというガンダムのフォーマットや流れを使いながらも、
新しさを出して出来上がったのは、富野ガンダムというプレッシャーから上手に逃げることに成功した面があると思います。
それは具体的には「閃光のハサウェイ」中にも出てくる、富野演出としての「間」であったり「セリフ回し」ではないかと思います。
「UC」が意外とスッと腑に落ちたように受け入れられてのは、富野節がほとんど感じられなかったという事実があると思います。
独特のセリフや以心伝心を表現するようなセリフのない「間」、これらは富野作品にはよく見られます。
「閃光のハサウェイ」においても、原作が富野氏だからしょうがないのですが、作中にその「間」が出てくるのですが、違和感がすごいというか中途半端というか消化しきれていない感じです。
それはキャラクター設定にも出ていると思います。
ギギ・アンダルシア
彼女は重要なキャラクターですが、その素行は10代?にして男を手玉に取るような面もありながら、純粋無垢な子供のようでもあり、という支離滅裂な近くにはいて欲しくない性格の人物です。
今後彼女がどういった役割を担っていくのかはわかりませんが、今はクエスの焼き直しでしかなく、いずれ消えていく運命ではないかと感じます。ハサウェイやケネスに影響を与えるも誰の物にならず自分の思うままに動くさまはクエスにそっくりです。
その彼女が他人を意識し考えることによって自由を失い、結局クエスと同じ運命をたどるような気がしてしょうがないです。
富野作品にはギギのようなキャラクターは珍しくありません。
が、少なくとも1作目の今回だけでは「嫌」なキャラクターにしかなっていないのが残念です。
先述しましたが、3部作の1作目という事で今後の展開を評価は今後の展開を待つべきだと思いますが、私見としては「富野イズムに引っ張られ過ぎ」というのが感想です。
原作ありきの作品ですので仕方に面もありますが、その意味では「UC」は上手く消化し昇華できていたと思います。
映画の90分という枠や原作ありという条件下では難しいかもしれませんが、今後に期待という所でしょうか。
何かご不満な点でも?(笑)
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