中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

七夕

2007-07-07 23:12:40 | 身辺雑記
 今日は曇り空。天の川は見えない。今は梅雨の最中、晴れることは少ない季節だ。天の川をはさんで別居している牽牛星と織女星が年に1度会うことのできる日としては適していない。やはり旧暦の方がいい。今年の旧暦7月7日は8月19日だから、その頃なら晴天になる確率は今頃よりは高いだろう。

 もっとも晴れていても、このあたりでは大気や都市照明の関係で天の川はもはや見ることができない。私が中高生の頃は滋賀県の大津市に住んでいた。その頃は空気が澄んでいて夏の夜、庭に敷いた茣蓙の上に仰向けに寝そべって天を見上げると、漆黒の夜空に銀の砂粒を撒いたような天の川が美しく流れていたものだった。風が涼しく、辺りは静かだったあの時のことを今でもはっきりと思い出す。あのような時間が持てたことは幸せだった。今でも大気が澄んでいて天の川が見られる所は多いのだろうが、羨ましく思う。

 七夕は星祭の日で、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きこうでん)と言う風習と、わが国の機織女が神を待つ棚機津女(たなばたつめ)と言う信仰とが習合したものと考えられているそうだ。奈良時代から行われて、江戸時代に民間信仰として広がった。七夕と言えば笹竹に願い事を書いた短冊を吊るすことは欠かせない。

  「五、六月になると、竹が伸びて柔らかな葉を広げ、今年竹になります。その緑の若竹を切り出して五色の短冊を飾り、里芋の葉から受けた朝露のしずくで墨をすって願い事をしたためます。その水で墨をすり、字を書くと、字が上手になると言われています。」(柳原一成・柳原紀子「ニッポンの縁起食」NHK出版)

 書の上達だけでなく、元来は機織女にまつわる信仰でもあったから裁縫の上達も願ったが、今では願い事なら何でもと言うことになった。

  各家庭で笹竹を飾ることはだんだん廃れてきて、このあたりでは駅前再開発で建てられた商業施設が「代行」している。願い事を書いた短冊とボールペンなどの筆記具を用意していて、なかなかの盛況である。


願い事を書く学校帰りの女子高校生。だいぶ思案していた。願い事がありすぎるのか。


  短冊を吊るす。本来は紙縒りを使うが、ここでは簡単な針金のようなものを用意していた。「写真を撮らせてね」と言うと、にこにこして承諾してくれた。どんな願いをしたのか。叶うように。


20代の娘さんも吊るしていた。


 吊るされた短冊を見ていると、多くは子どもか若者のものらしい。中にはふざけたようなものもあるが、ほとんどはまじめなものだ。中には「○○学院がつぶれますように」などという物騒なものもあった。

本当に切実な願いだね。いじらしい。


「力ちゃん」は弟で、小学生の姉の願いではないかと想像した。


そうだねと共感する。


教「員」採用試験ではないかな。試験当日は慌てないように。




  七夕には関係ないが、デパートの果物売り場に置いてあった巨大西瓜。展示用に作ったものか。北海道の「でんすけ西瓜」がとてつもない値段で落札されたとか、立方体の西瓜が出荷されたという新聞記事を読んだが、どれもデパートなどの客寄せ展示用に使われるとのことだった。