緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

走るか・・・?

2007-11-22 16:07:59 | 「緑香庵」的なもの
少しずつ国士舘の銀杏が色づいて来ました。
なかなかの巨木なので、まっ黄色になったあかつきには
見応えがあります。
ということを去年知りました。楽しみ。

さて今日は、走ろうかな? どうしようかな?
決心がつかない、というお話。

■ 忘れる!
読んだ本の内容をすぐ忘れます。
これは年齢のせいというより、若い頃からずーっとです。
そのせいで小説は同じ作品を何度読んでも面白いので、
気に入った本は捨てません。
次も絶対に楽しめる保証があるから。
ですが困るのは、せっかく「これは今後の糧になるから
憶えておこう」と心に決めたことまで
きれいさっぱり忘れてしまうこと。
まあ、忘れてしまうのだから所詮その程度のことだったと
割り切れば良いのでしょうが、
後々その本を読んだ時のメモを見つけて、
自分の考えていたことが今よりマシだったりすると、
ただアホになるために年齢を食って来たのかと情けなくなります。
何の蓄積もないじゃないか。
だったら、まめに日記を付けるなり記録を残せば良いのでしょうが、
それは面倒なんです。

■ 何が問題かを忘れるという問題
まあ、明確に記憶には残っていなくとも、
それを読んだ時に感じたこと考えたことによって、
確実に私の何かは変化しているので、
意識の底に眠っている(はずの)変化をもって
よしとしなければならないのでしょう。
しかし、せめて、答えを憶えておくことができなくても、
問題を忘れるようになっちゃあだめさあ。

最近感じるのは、問題を保っておく体力の衰え。
あえて体力と申しましたが、
先日、ランナーとして有名な作家の村上春樹氏が、
自身が走ることの理由として、小説を書くための意識の体力を維持するためというような内容のことを仰ってました。
うろ憶えなので(ほらまた)間違っていたら申し訳ありません。
うん、考えるには体力がいる、確かに。

■ 未解決であることに耐える
さて、問題があるとしましょう。
問題の大きさはここでは問いません。
もしかしたらそれは、「水道の蛇口が壊れた」かもしれないし、
「今後いかに生きていかに死ぬか」かもしれない。
問題を問題と認識しないのはまず問題外。
問題と気づいた上での対処の仕方。
1) 直ぐに解決する、2) 問題のまましばらく保っておく、3) 無視して忘れる。
最後の「忘れる」は正確にはあり得ないのですが、
置き場所を意識から排除して(あるいは抑圧して)
無意識へ仕舞うということですね。
で、最近この2) の「問題のまましばらく保っておく」が
本当に難しくなって来たと感じるのです。
とても耐えきれなくて、とにかくとりあえずの解決、
結論、判断をつけたくなるのです。
その態度は社会的には歓迎すべきであるケースが多いのですが
(蛇口が壊れたら直そう、それが正しい)、
ものを考える態度としては少々不利です。
思えば若い時は解決のできない問題こそが日常だったので、
それをいくつも並行して頭の中に持ち続けていることは
あたりまえでした。
だからこそ不思議な化学変化もあり、
「ああこういうことだったのか!」がしばしば起こり得たのでは
ないかと思います。

■ 日常に埋没ってこういうこと?
近頃は、とにかくどんどん解決して行かないと
懸案事項が山積みになってしまうので、日々処理することで手一杯。
ただでさえ何でも忘れていく性格なのに、
これではアホまっしぐらでしょ。
これがつづくと、ひいては価値観の固定化につながる。それが怖いです。
いつだって人はある種の偏向の中にいます。
そのことに気づいていながら「気づきを保ったまま」
とりあえず処理を続ける分にはまだかまわないのです。
でも、この状態を保つのはとても難しい。
いつのまにか「気づいていたこと」自体を忘れて、
偏見の中にどっぷりつかってしまわないかと心配なのです。

■ 体力ですかね
これってやっぱり体力が無くなって来たせいかも
と思うこのごろ。
で、これはと思う人は走ってるんだな、どうも。
村上春樹さんに限らず。どうこう言わんで走っているようなのですよ。
やっぱり走らなきゃだめかな。寒そうだな。
とか言ってる時点でだめなんですけど。
あー、決心がつかない。
サンタさんへのオーダー、ランニングシューズに変えよっかなあ。
まだちょっと待ってね。


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