大東亜戦争の戦禍が激しくなり、
1945年7月20日、疎開先の川越から父の生まれ故郷
広島県中部の山村に疎開しました。
女学校の四年生で広島市内の女学校に転校の手続きをする予定でした。
「8月6日の朝、8時過ぎにピカ!っと光って台地がぐらっと揺れました。」と
日記帳に書いてあります。二日後8月8日の新聞に、
広島は新型爆弾で攻撃された書いてあります。
父は道を歩いていて山の向こうにキノコ雲の上がるのを見たのです。
そして市内の下請けの会社がどうなったか、12日に焼け野原の広島市に行きましたが
余りの衝撃で家族に様子を話しませんでした。
市内から、やけどを負った近所の娘さんが帰ってきたので母はお見舞いに行きましたが、
火傷でむごい姿の娘さんはひどい匂いだったそうで、数日後に亡くなられました。
8月6日は終生忘れられない祈りの日であります。
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