つれづれ日記

心と目の記録

海に行った日の絵巻

2008-11-07 23:46:31 | Weblog

昭和16年の8月16日に父と海に行った日を描いた絵巻物の初めのほうです。
この日から4か月も立たない時から戦争がはじまったなんて・・・・
妹と弟は体が弱かったので、父は私だけを連れて逗子の海に行きました。
私の家は吉祥寺と三鷹の中間にあり、歩いているのは現在は井の頭通りとなっていますが、当時は水道道路と呼ばれて、地下には浄水場から東京につながる大きな水道管が入っているので、道路には砂利がひかれて、車の通行は禁止されていました。汽車が走っているのは中央線です。
広い原っぱがあり、萩や女郎花など沢山の花があってよく取りに行ったものです。
私の着ているワンピースは母の手作りです。
昔の写真や私の描いた絵は、母が縫ってくれた服の記録になり懐かしい思い出が蘇ります。


西暦1941年に

2008-11-07 17:21:49 | Weblog

1942年に発行された「大東亜戦争第一周年記念」寄付金付き記念切手です。
切手は、真珠湾とバターン半島の戦場を描いたものです。

1941年(昭和16年)の12月8日、マレー半島侵攻、真珠湾攻撃をして、日本政府は対米宣戦布告をしました。小学6年生だった私達には忘れられない日であり、
1945年8月15日玉音放送があり、終戦になった瞬間のことも生涯忘れられない日なのです。
戦中派の私たちは大東亜戦争の言葉が身にしみてしまいましたが、終戦後GHQによる「大東亜戦争」という用語使用は禁止され、すべて「太平洋戦争」に置き換えられたことを後で知りました。
GHQは公文書だけでなく、すべての出版物から「大東亜戦争」という言葉を抹殺しようと検閲を行い、占領軍に都合の悪い記述があれば、出版物の発行は禁止されたそうです。

私たち少女の手紙まで抜き打ち検査で開封されて届いたのを思い出します。

昭和16年に描いた絵巻物を出して見ながら、12月8日のことを思い出してしまいました。