京都見物を終えて又汽車に乗り鳥羽の宿に帰りました。
晩御飯をゆっくり頂いて帰りの船に乗り早く寝ました。
朝,目を覚まし、船の甲板に出て日の出を見ました。
その時の心地よい感動が書かれています。
京都見物を終えて又汽車に乗り鳥羽の宿に帰りました。
晩御飯をゆっくり頂いて帰りの船に乗り早く寝ました。
朝,目を覚まし、船の甲板に出て日の出を見ました。
その時の心地よい感動が書かれています。
13mの修学旅行の絵巻きは、京都の平安神宮が最後の方にあります。
緑と赤の鮮やかな平安神宮の写真と比べて見ました。
絵巻に描いた平安神宮
PCにあった平安神宮
当時は観光の絵葉書も、印刷物も見たことがなく
記憶だけで描いたのだと思います。
京都見物の泊まった宿は三条大橋のすぐ近くの宿でした。
東海道五十三次の歌川広重の描かれた三条大橋は、長い立派な橋です。
京都の三条通り鴨川にかけられたこの橋は、架橋の時期は1590年で
秀吉によって改修された際の、擬宝珠が残されているそうです。
80余年前に、 私が描いた三条大橋は小さい橋に見えますが
当時の実際の画像を調べると、やはり似た大きさで木の橋でした。
欄干の擬宝珠を黒く塗ってありますが、広重の絵の橋には、まだ欄干がありません。
橋にもいろいろな歴史があるようです。
乃木神社にお参りしてから、建礼門に行きました。
建礼門は京都御所の南に位置する正門です。
天皇皇后と外国元首級のみが通ることができる
最も格式の高い門です。
六年生の時に描いた絵ですから、82年経った今はどんな門になっているでしょう。
夜は一番仲良しのMちゃんと同じ布団で寝ました。
太平洋戦争が始まる昭和16年の春11歳の私が
、2泊3日の修学旅行に行けたのは
本当に幸運だったのです。行かれない学校が沢山あったと後でわかりました。
なつかしい思い出を描いた絵巻は、当時の様子を
はっきりと思い出させてくれます。
現在の光景を検索してみると建物やあたりの様子が変わっていて
およそ80年の歴史の流れを痛感します。