みなさん、人間の社会にとって一番大切なことは何だと思いますか?
・・・人権でしょうか?
・・・自由でしょうか?
・・・それとも、平和でしょうか?
どれもそれなりに重要だということは間違いありません。しかし、私の考えは違います。
それは、「ルールを守ること」です。
今の日本の社会を見ていて思うことは、このルールというものの取扱が実にぞんざいなものになってしまっているということです。それは、ルールを破った人間に対する処遇によく現れています。
たとえば、みなさんは次のような記事を見て、どう思われるでしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060615-00000198-kyodo-soci
(以下引用)
【光市・母子惨殺】 「生きたい。悪人で終わりたくない」 "死刑の可能性"出てきた元少年、語る
・山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪などに問われ1、2審で無期懲役(求刑死刑)を
言い渡された男性被告(25)=事件当時(18)=が20日の最高裁判決を前に「罪は重く
極刑以外ないが、生きたい。悪人のまま終わりたくない」と話していることが15日、関係者の
話で分かった。被害者の遺族に謝罪の手紙を書き続けているという。
上告審では2審判決を変更する際に開かれる弁論があり、最高裁は死刑相当と判断する
可能性もある。弁護側は「ようやく事実と向き合い、反省している」とし(中略)ている。
(引用以上)
この事件ではすでに確定している事実があるので、それを簡単に紹介します。
・突発的に犯行を思いつき、強姦目的で
女性を殺害
・死体を姦淫した後、側にいた赤ん坊を
床にたたきつけ殺害を図る
・さらに、生きている赤ん坊を絞殺
弁解の余地も無いようなひどさです。そして、重要なことは、彼がこのようなルール違反をしたことが明白だということです。そこで、この公判は専ら、量刑の面が争われることになりました。
こういう事件にも、弁護人というのが付きます。その弁護士というのがまた、少々問題のある方でした。
●こちらのブログに、簡潔な論評がありますが、弁護人は死刑廃止運動に従事している有名な弁護士でした。そして、上記事件の被告人の死刑を先延ばしにするためとしか思えないタイミングで、法廷を欠席するという「戦術」を取りました。裁判官が交替するのを狙った引き延ばし策だったと言われています。
●なぜか妙に好意的な東京新聞の記事によると、どうやらこの人は大学時代に左翼の活動家だったようです。世論という多数派に抵抗するために死刑廃止運動を推進し、難しい弁護も引き受けていたということです。
これだから人権や平和などと言っているやつは・・・という一言でおしまいにしては、いわゆるただのネット右翼になってしまいます。それどころか、「司法試験に落ちた腹いせではないか?」と邪推されてしまう(笑)のがオチです。
そこで、以下では死刑制度、ひいては刑罰制度に対する私の意見を述べてみたいと思います。
そもそも死刑の存在意義は、三つの側面を持っています。
一つは、「犯罪に対する一般予防」です。
つまり、一般人に対して、重い罪を犯せば死刑になるぞ、という威嚇を行い、これによって犯罪をやる気を無くさせるわけです。
二つ目は、「私刑(リンチ)による報復の予防」です。
ひどいやつを殺してやりたいからといって、普通の人間が復讐することを認めてしまっては、際限のない復讐合戦になってしまいます。それに、一般人が犯人が誰かを間違えるやすいことは否定できません。だから、国が間に入って、復讐を代行してやろうというわけです。
そして、三つ目は、「危険分子の除去」です。
刑法学者のほとんどはこの側面を論じていないようですが、生命を奪えば、再び犯罪を犯す確率の高い人間を社会から除去できます。矯正の余地がないほどの重症者に対しては、そういうことも許されるのです。
人間の命は同じように重要なのに、国家が勝手に命を奪ってもいいのか、と言いたくなる人は、日本国憲法の第13条の2文目を見てください。
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利
については、公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大限の尊重を
必要とする。 」
これを裏返せば、「公共の福祉に反」するなら、「生命」に対しても「尊重を必要と」しないということになります。死刑は、憲法上ちゃんと根拠があるのです。
それでも上の弁護士のような、「人権派」と言われる方々は、死刑制度には反対しているようです。反対者には、●最高裁判事も務めた著名な刑法学者や、●郵政民営化に反対したあの国会議員もいるほどです。
死刑反対派は、危険分子の除去なら、『終身刑』でもいいではないかという主張をよくします。現行の無期懲役のような、仮出獄(これも考えてみればおかしな制度だが)を認めさえなければ、おかしな人間は社会に戻ってこないからです。
また、もし冤罪だった場合、とりかえしのつかないことになるという主張もよくされます。つまり、無実の人間が間違って死んだ場合、普通の刑罰のように釈放して補償しておしまいというわけにはいかないということです。
第一の理由は、恩赦などによる釈放があることを考えると、論拠としては弱い気がしますが、第二の理由は、かなりいい線を行っています。おそらく、直情的な死刑肯定派は、これを持ち出された瞬間に言葉に詰まってしまうのではないでしょうか。
私の考えをごく簡単に述べさせてもらいます。
まず、「現行の」死刑制度は、無期懲役制度も含めて廃止すべきだと考えています。
そして、それが無理だというなら、死刑は絶対に存続させるべきです。
その理由は、次回詳しく説明いたします。お楽しみに。
・・・人権でしょうか?
・・・自由でしょうか?
・・・それとも、平和でしょうか?
どれもそれなりに重要だということは間違いありません。しかし、私の考えは違います。
それは、「ルールを守ること」です。
今の日本の社会を見ていて思うことは、このルールというものの取扱が実にぞんざいなものになってしまっているということです。それは、ルールを破った人間に対する処遇によく現れています。
たとえば、みなさんは次のような記事を見て、どう思われるでしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060615-00000198-kyodo-soci
(以下引用)
【光市・母子惨殺】 「生きたい。悪人で終わりたくない」 "死刑の可能性"出てきた元少年、語る
・山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪などに問われ1、2審で無期懲役(求刑死刑)を
言い渡された男性被告(25)=事件当時(18)=が20日の最高裁判決を前に「罪は重く
極刑以外ないが、生きたい。悪人のまま終わりたくない」と話していることが15日、関係者の
話で分かった。被害者の遺族に謝罪の手紙を書き続けているという。
上告審では2審判決を変更する際に開かれる弁論があり、最高裁は死刑相当と判断する
可能性もある。弁護側は「ようやく事実と向き合い、反省している」とし(中略)ている。
(引用以上)
この事件ではすでに確定している事実があるので、それを簡単に紹介します。
・突発的に犯行を思いつき、強姦目的で
女性を殺害
・死体を姦淫した後、側にいた赤ん坊を
床にたたきつけ殺害を図る
・さらに、生きている赤ん坊を絞殺
弁解の余地も無いようなひどさです。そして、重要なことは、彼がこのようなルール違反をしたことが明白だということです。そこで、この公判は専ら、量刑の面が争われることになりました。
こういう事件にも、弁護人というのが付きます。その弁護士というのがまた、少々問題のある方でした。
●こちらのブログに、簡潔な論評がありますが、弁護人は死刑廃止運動に従事している有名な弁護士でした。そして、上記事件の被告人の死刑を先延ばしにするためとしか思えないタイミングで、法廷を欠席するという「戦術」を取りました。裁判官が交替するのを狙った引き延ばし策だったと言われています。
●なぜか妙に好意的な東京新聞の記事によると、どうやらこの人は大学時代に左翼の活動家だったようです。世論という多数派に抵抗するために死刑廃止運動を推進し、難しい弁護も引き受けていたということです。
これだから人権や平和などと言っているやつは・・・という一言でおしまいにしては、いわゆるただのネット右翼になってしまいます。それどころか、「司法試験に落ちた腹いせではないか?」と邪推されてしまう(笑)のがオチです。
そこで、以下では死刑制度、ひいては刑罰制度に対する私の意見を述べてみたいと思います。
そもそも死刑の存在意義は、三つの側面を持っています。
一つは、「犯罪に対する一般予防」です。
つまり、一般人に対して、重い罪を犯せば死刑になるぞ、という威嚇を行い、これによって犯罪をやる気を無くさせるわけです。
二つ目は、「私刑(リンチ)による報復の予防」です。
ひどいやつを殺してやりたいからといって、普通の人間が復讐することを認めてしまっては、際限のない復讐合戦になってしまいます。それに、一般人が犯人が誰かを間違えるやすいことは否定できません。だから、国が間に入って、復讐を代行してやろうというわけです。
そして、三つ目は、「危険分子の除去」です。
刑法学者のほとんどはこの側面を論じていないようですが、生命を奪えば、再び犯罪を犯す確率の高い人間を社会から除去できます。矯正の余地がないほどの重症者に対しては、そういうことも許されるのです。
人間の命は同じように重要なのに、国家が勝手に命を奪ってもいいのか、と言いたくなる人は、日本国憲法の第13条の2文目を見てください。
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利
については、公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大限の尊重を
必要とする。 」
これを裏返せば、「公共の福祉に反」するなら、「生命」に対しても「尊重を必要と」しないということになります。死刑は、憲法上ちゃんと根拠があるのです。
それでも上の弁護士のような、「人権派」と言われる方々は、死刑制度には反対しているようです。反対者には、●最高裁判事も務めた著名な刑法学者や、●郵政民営化に反対したあの国会議員もいるほどです。
死刑反対派は、危険分子の除去なら、『終身刑』でもいいではないかという主張をよくします。現行の無期懲役のような、仮出獄(これも考えてみればおかしな制度だが)を認めさえなければ、おかしな人間は社会に戻ってこないからです。
また、もし冤罪だった場合、とりかえしのつかないことになるという主張もよくされます。つまり、無実の人間が間違って死んだ場合、普通の刑罰のように釈放して補償しておしまいというわけにはいかないということです。
第一の理由は、恩赦などによる釈放があることを考えると、論拠としては弱い気がしますが、第二の理由は、かなりいい線を行っています。おそらく、直情的な死刑肯定派は、これを持ち出された瞬間に言葉に詰まってしまうのではないでしょうか。
私の考えをごく簡単に述べさせてもらいます。
まず、「現行の」死刑制度は、無期懲役制度も含めて廃止すべきだと考えています。
そして、それが無理だというなら、死刑は絶対に存続させるべきです。
その理由は、次回詳しく説明いたします。お楽しみに。
http://azur14.at.webry.info/200606/article_12.html
彼のやったことは許される余地はありませんが、司法関係者がよく口にする反省という「手続き」もわかりにくいです。所詮、法曹は法律の専門家に過ぎず、人の深層心理までわかりようがありません。いかようにでも犯罪者が演技できます。
それを承知で、市民裁判員に任命されれば判断を下すわけです。
池袋の通り魔殺人の犯人も「今度は造田博教を作りました」とか
意味のわからんことを言ってましたね。
責任無能力に見えるかも知れないからやっておけ、と
人権派弁護士に指導でもされているんでしょうか?
>>舎さん
>司法関係者がよく口にする反省という
>「手続き」もわかりにくいです。
弁護人としては、一応被告人のためになるような行動を
取らなくてはいけないので、事実認定で争えない以上
情状で仕事するしかないんでしょう。
あるいは、自分は弱者を守る正義の味方だと悦に入っているか。
ちなみに、アメリカのかなりの州は死刑を廃止していません。
次次回の記事で述べますが、刑罰制度自体を変えなければ
死刑はやはり存続すべきだと考えます。