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氏名変更の権利がないのは日本国憲法違反だ!

2008年12月23日 01時16分42秒 | ユインシュタイン裁判
2008/12/23 2:24に また最後あたりの「遺言」を修正

下記の文章は 2008-12-22 04:51:47に 一度 投稿したのですが 特に一番最後の「遺書」とか「遺言書」あたりを あれこれ修正したり加筆したりしたので・・・というか むしろ このブログの記事自体が「遺言」になってる?(汗)
・・・まあ そんな感じで 再度 投稿し直します(おそらく今度こそ完成)
●●●●●●●●●●


苗字の変更の件ですが 1つ前の記事の 家庭裁判所に提出しようと思ってる文章の続きです。
・・・ここ数日間 かなり睡眠時間メチャクチャ状態で この文章を書く作業と格闘してました(滝汗)
とりあえず これで完成にしとく?(謎)
って事で 公開しておきたいと思います(一部 修正あり)


それから 自分の氏名を決める権利が なぜ その本人には無いのか?という疑問もある。
先祖代々の苗字を受け継ぐとか 親から名前を授かるというのも あっても良いとは思うが 日本国憲法の「表現の自由」に基づいて考えてみれば 自分の氏名を自由に決められる権利もあって良いハズだろう。
人の名前というモノは 単に個人を特定するために 法律で管理する目的のためだけに存在するのではなく 個人のアイデンティティーとも密接に関わっていると考えられるからだ。
それなのに なぜ 自分の氏名なのに 国家の一方的な都合や 親の一方的な判断だけで 強制的に決め付けられなければならない制度になっているのかが どうしても納得できない。
そのような制度は 日本国憲法の精神的自由権に違反していると言えるだろうし その責任は 人の氏名を容易に変更できないようにしている 堅苦しい法律や制度しか作れない国家の政治体制に問題があると言えるだろう。
もし いくら訴え続けても 苗字の変更が許されないというのであれば 最終的には それほどまで堅苦しい法律や制度を作り上げてしまった国家を 最高裁判所にまで訴え続けなければならない。

まあ 僕の場合は 下の名前のほうの「●●」という名前は 自分なりに「●●●●●●●●●●」という意味に解釈していて とても気に入った名前を授かっていたので感謝している。
そして実際に 何事に対しても 純粋に真実を追求していくような生き方をしていきたいと思っている。
だが 姓(苗字)の「酒●」のほうは どうしても納得が出来ないという事は 上記の文章で述べた通りだ。
だが「酒●」に代わる別の新しい苗字というのが 今まで思い付かなかったし そもそも「苗字を変更できる可能性がある」という事も 今まで良く分かっていなかったし ただ生きていくだけでも大変な世の中なので 苗字の変更の事について詳しく調べたりするヒマもなく そのままの状態で 今まで我慢し続けて生きてきたが 最近になって ようやく「ユインシュタイン」という姓(苗字)に変更したいと 心の底から思うようになった。
その理由を率直に述べると 福岡県出身のシンガーソングライターの「YUI」と ノーベル物理学賞受賞者の「アインシュタイン」という 2人の人物が好きなので これらの「YUI」と「アインシュタイン」の名前を掛け合わせた結果 「ユインシュタイン」になったという具合だ。
なので 自作の苗字なので 外国人のような苗字だと思われるかも知れないが 外国を探してみても この「ユインシュタイン」という苗字の人は おそらく存在しないのではないかと思う(詳細を調べたわけではないが)
ちなみに この先の人生で「恋愛」をしてしまう可能性を否定する事は出来ないが 「結婚」をしたり「子孫を残す」などという愚かな計画は 全く考えていないので それらの点については「ユインシュタイン」という苗字が不都合になる事はない。
結婚などという制度は 一見 華やかなように見えるが 実際には 相手に自分や身内の世話をさせる事になったりして 相手から自由の身を奪ってしまうなど 相手を一種の所有物として扱う事になりかねない 偽装された奴隷制度のようなモノだと思っているからだ。
また 子孫を残さない理由についても述べておくと 地球にも寿命があるので いずれ人類が滅びる運命にある事は 避けられない事実だろうし 人類絶滅の時期については 異常気象などによって 地球の寿命がくる時期よりも もっと早く訪れる可能性のほうが高いと考えられるだろう。
つまり この先 子孫を残し続けて 人類の繁殖活動を無限に繰り返してしまうと 人類絶滅が避けられないような異常気象が起こる時代にまで残されてしまった最後の子孫は 絶望の中で死んで行く事になりかねないので 子孫を残すという行為は そんな最後の最後に残される子孫の事を まったく考えていない身勝手な行為だと考えられるからだ。
なので この先の人生で 異性に心を奪われる事があるとしても その人とは出来る限り「友達(amigo)」としての範囲内で 付き合って行きたいと思っている。

それから 「YUI」と「アインシュタイン」が どれくらい好きなのかという事について述べておくと まず「YUI」については ちょうど僕の26歳の誕生日の平成20年7月22日に 初めて YUIの歌を聴いて YUIの事を知ったのだが YUIが作詞した歌詞には 僕の心に衝撃的とも言えるほど 凄まじいメッセージが直撃してくるものが多かった。
特に「Bye my weakness」と「I can change my life」という 2つのフレーズは それまで僕の心を支配していた「障害者としての人生」という概念を 完全に吹き飛ばしてくれた。
この2つのフレーズのお陰で 本気で「自分の障害にサヨナラして人生を変えていく事が出来る」と思えるようになったし それまでは人生の真っ暗闇の中にいるような感覚で ほとんど生きる希望も失いかけているような状態だったのだが それが「まだ生き続けても良いのかな?」という感覚に変わってきて 感動しすぎたのか何なのか良く分からないが とにかく1日に何十回も大声で泣き叫ぶような日々が 約10日間くらい続いた。
あの時は本当に 自分でも「なぜ こんなに涙が出てくるのだろう?」と思うほど 不思議な感覚だった。
そして今では 本当にYUIの事は「命の恩人」としか言い表せないほど感謝していて YUIの歌は 僕の26歳の「神様からの誕生日プレゼント」だったというような そんな奇跡的なモノを感じている。
また YUIの歌詞には 他にも好きなフレーズが沢山あり 少し例を挙げてみると・・・

「もう振り向かない きっとこの手で いま確かめたいよ いつも単純なほど苦しんで 生きてゆく意味を知りたいから」
「初めて 素直に言うかも ダメだって 決めつける前に 愛し方など わからないけど 誰にも 負けないよ」
「子供の頃はママの事 ひどく傷つけた日もあったよね 変わりたい いま全部」
「カンタンに行かないから生きてゆける」
「欲しいものなんてないよ 捨てられないものばかりある」
「欲しいものはたった一つ 見つけたらそれだけでいい」
「叶える為 生まれてきたの 幼き日々に描いた宇宙」
「まっすぐに生きてゆきたい ただまっすぐに生きていたい あの日の少年みたいに」
「誰かの言葉に つまずきたくない 惑わされたくない」
「つよがりは いつだって 夢に続いてる 臆病になったら そこで途切れるよ」
「何も犠牲にしない 優しさなら いらない」
「わかったようにアタシのこと話すのはやめてよ」
「努力を続けた学生だって 結果にならなきゃ 家族はきっと悲しむ 世渡り上手が うまくはいっても そんなの尊敬できない人生 矛盾ばっかな感情を いったい いつまで抱えて生きてゆくのでしょう?」
「もう我慢ばっかしてらんないよ 言いたいことは言わなくちゃ」
「夢にまで見たような世界は 争いもなく平和な日常」
「もっと もっと 話してみなくちゃ わかりあえないこともあったよね?」
「今さらだって思っても このままなんてやりきれない」
「だけど思うんだ 誰かのために きっと僕らは生きてる」
「かっこよくない優しさに会えてよかったよ」
「うしろ指 さされたって 振り向いたりしなかった あたしならまだやれるはずだって」
「描いた夢を信じきれない弱さにただ支配されてた」
「ちょっと危険すぎるから止めときなよと言われても 後には引き返すようなことはできない」
「ニセモノもホンモノも ないでしょ? マガイもの そうじゃないもの 集めて 値段をつけてる そんなんに負けんなって言ってんだ どうなんの?この先・・・教えてほしい」
「だって 目指してきたじゃない? だって 我慢してきたじゃない? そんな あなたのこと ずっと見てきたから 逃げないで」
「守るものはたったひとつ 心に嘘はつけないの」
「困らせたりしたくないよ でも譲るわけにいかないよ」
「人生は 捨てたもんじゃないらしい」
「平等なんかじゃないよ 気づいているはずなのに 同じ事してちゃダメだって 誰も教えてはくれないね」
「ふみだす勇気 もっていくよ これからは」

・・・などなど 他にも沢山の 凄まじいメッセージ性のある歌詞が散りばめられていて とにかくYUIの歌詞を必死に読み込みながら 涙を流す日々が続いた。
それまで僕が「人生」について疑問に感じていた事について いろいろと教えられたような部分も沢山あったし 沢山の勇気がもらえる感じがする歌詞も沢山あったし 「よくぞ僕が言いたかった事を代弁してくれた!」という感じの歌詞も沢山あった。
そして何より このような歌詞が書ける YUIという人物が どれだけ「人生」に悩み苦しみながらも ここまで はい上がってきた人物なのかという事が 鋭く伝わってきたので こんなYUIのような信念を持って これからの人生を 生きて行きたいと思った。

その後 インターネット上の とあるサイトで YUIが好きで感謝しているというような事を書いたりしていたら とある人から「アインシュタイン150の言葉」という本も参考になるかも知れないから 読んでみると良いというメッセージを頂いた。
それまでの僕は 「アインシュタイン」と言ったら ノーベル物理学賞を受賞した天才的な人とか 相対性理論を考え出した人という程度の事しか知らなかったが この「アインシュタイン150の言葉」という本や その続編として出版された「アインシュタインにきいてみよう 勇気をくれる150の言葉」という本を読んでみると アインシュタインの1つ1つの言葉にも 「人生」について深く考えられたようなメッセージが鋭く伝わってきて とても参考になったり共感できる言葉が多かった。
少し例を挙げてみると・・・

「わたしは天才ではありません。ただ、人より長くひとつのこととつき合ってきただけです。」
「わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。」
「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
「何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。」
「寛容であるということは、他者の行動や気持ちに無関心でいるということではありません。そこには理解と共感がなければなりません。最も大切なのは、個人に対する、社会や国家の寛容さです。」
「国家は、現代における偶像となっています。その催眠術を逃れることのできる人はほとんどいません。」
「知的な馬鹿は、物事を複雑にする傾向があります。それとは反対の方向に進むためには、少しの才能と多くの勇気が必要です。」
「すべての物理学の理論は、数式は別にして、『子供でさえも理解できるように』簡単にすべきである。」
「人生で最も大切なものは、お金では手に入りません。」
「どれほど仕事に打ち込んで富を築いたところで、人類を前進させるのには役立ちません。モーゼやキリストやガンジーが お金をいっぱい持って、いろんなモノを買いあさっている姿を想像できますか?」
「物質的充足を満足させようとする気持ちをできるだけ取り除いてはじめて、有意義で調和のとれた人生を送ることができます。わたしたちが目標にすべきことは、社会の精神的価値を高めることです。」
「成功者になろうとするのではなく、価値のある人間になるよう努めるべきです。」
「人を動かす唯一の方法は、みずから模範を示すことです。」
「なぜ科学は、生活を楽にしたにもかかわらず、人々をあまり幸せにしなかったのでしょうか?簡単に答えるなら、わたしたちが科学を有効に利用する方法を学んでこなかったからです。」
「現代人のモラルが恐ろしく荒廃している原因は、生活が機械化して人間性を失っているからだと思います。それは科学技術の悲惨な副産物です。」
「文明人の運命は、いよいよ、どれだけ力のある道徳を生み出せるかにかかってきています。」
「わたしは平和主義者であるだけでなく軍国的な平和主義者ですから、平和のためなら喜んで戦うつもりです。戦争という自分にとって不本意な状況に苦しむより、平和という自分の信念のために死ぬほうがいいではありませんか。」
「人々の偏見とは違う意見を冷静に表現できる人はごくわずかです。ほとんどの人は、そのような意見を持つことすらできません。」
「真理の探求は、それがどれほどささやかなものであろうと確固たる一歩を踏み出すことがいかに困難であるか、わたしは身にしみてわかっているつもりです。」

・・・などなど 他にも沢山の これからの人生において非常に参考になる言葉や 共感できる言葉や 生きる勇気を与えてくれるような言葉があった。
そして このように アインシュタインという人物が 物理学者としてだけではなく 熱烈な平和主義者でもあり 平和活動への貢献もしていた人物だったという事も分かった。
そして このアインシュタインの考え方と YUIの考え方が 似ている部分が多いようにも感じられた。
なので これら2人の人物の考え方に 非常に共感できる部分が多く もはやYUIとアインシュタインは「他人」とは思えず 自分の体の一部に組み込まれたと言っても過言ではないように感じているので YUIやアインシュタインのような信念を持って これからを生きて行きたいと強く思うようになった。

それから 僕は ●●●●●●●●●●病院で 「アスペルガー症候群」という発達障害があるとの診断を受けていて この世の中の多数派の人たちとは なかなか波長が合わず 社会的な対人関係などに馴染めない事が多いと感じている。
なので 僕は法律上は「日本人」らしいが 日本の「常識」や「文化」や「習慣」などというモノにも 馴染めない部分が多いと感じているので 正直 自分が「日本人」である事にも違和感がある。
他のアスペルガー症候群の当事者の作家の人たち(泉流星さん等)が 自分たちの事を「異星人」と表現したり 自分たちの感じ方や考え方の事を「異文化」と表現したりしているが そういう事にも強く共感できたので 僕も「異星人」とか「異文化」などというアイデンティティーを持って これからを生きていきたいと思った。
なので 「ユインシュタイン」という まだ地球上に存在しないような苗字に変更して 新たな人生をスタートさせたいと願っている。

そして今では 外出時などでも必ず YUIのCDや歌詞カードと 「アインシュタイン150の言葉」という本などを 自分の体の一部であるかのように 常に持ち歩いていて それらの空白部分には いつ死んでも良いように 「自然葬で海に還して欲しい」という内容の「遺書」も すでに記述しているので 墓に入るつもりはない。
決して 酒●家の先祖代々を恨んでいるという訳ではないが 「酒」という文字が付いている墓になど とても入る気になれないし 海が好きで 海の波の音を感じている時や 海に吹く風を感じている時こそが 僕にとっては大自然に溶け込んでいるように感じられて とても幸せな気分になれるので やはり自分が最期を迎える場所は海だと思っている。
なので 死んだら海に帰りたいという思いが強いので 酒●家を困らせたい訳ではないが それだけは絶対に譲れないからだ。
だが それらの「遺書」には あくまで「自然葬で海に還して欲しい」という内容の事しか記述しておらず 相続に関する事については まだ何も記述していなかった。
なので 改めて「正式な遺言書」を作成しようと思って 「自然葬で海に還して欲しい」という内容だけではなく 「預金は争いを避ける為に誰にも相続せず すべて海岸を守り続けるための寄付に使って欲しい」などという 相続に関する内容も含めて記述した。
そして その「遺言書」には すでに「ユインシュタイン●●」の署名入りで記述している状態なのだが 今の印鑑は「酒●」という文字の印鑑なので すでに署名している「ユインシュタイン」の姓(苗字)とも 文字が異なってしまうし そもそも自分の最期の言葉である「遺言書」に「酒」という文字が付いている印鑑など とても押す気になれず 「正式な遺言書」が作成できない状況になっている。
なので 何としてでも 姓(苗字)を「ユインシュタイン」に変更して その苗字での印鑑を新しく作って その印鑑で「遺言書」に捺印して 「正式な遺言書」を作成した上で 効力を発揮させたいという強い願いがあり それが叶わなければ 安心して この世を去る事が出来ない。
この今の26歳という年齢で「遺言書」を書くのは 早すぎると思われるかも知れないが 現在の社会状況を見ていれば いつどこで誰が 通り魔事件や 列車事故や 火災や大地震などの災害に巻き込まれるなどして死んだとしても 全く不思議ではない世の中なので 「遺言書」が書きたいと思うのであれば 誰でも今すぐにでも「遺言書」を書いておくほうが妥当だろう。
なので 早く「正式な遺言書」を作成したいと思っているので 何としてでも「ユインシュタイン」に姓(苗字)を変更する必要がある。
そして これからの人生は「ユインシュタイン」という苗字を 「神様からの贈り物」だと受け入れて この世から酒による薬害問題を撲滅する「使命」を果たしたり 他にも YUIやアインシュタインのように 世界平和への活動に貢献して行けるような生き方をして行きたいと強く願っているので 苗字を「ユインシュタイン」に変更することを 許可して下さるように お願い致します。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-01-09 13:22:10
私の場合は氏名とも気に入らないものなので変更の申し立てを行いましたが不当に却下されました
自分の名前は自分で決めていいはずです
憲法の表現の自由に抵触します
ともに戦いましょう
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