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「芦田愛菜の新ドラマは偏見を与えるから放送中止しろ!」というドラマへの偏見

2014年01月18日 16時46分28秒 | ふつうの日記

この前の水曜日の夜10時から「明日、ママがいない」っていうドラマが始まったね。
ちょっと期待してたから見たけど、芦田愛菜ちゃんの演技、すごいねぇ~^^;
もう「子役」って感じがしない・・・立派な「女優さん」だね!
このドラマ、何か知らんけど、公式サイトで、放送終了後7日間は無料で再放送が見れるようになってるので、気になる人はチェック↓
http://www.ntv.co.jp/ashitamama/

で、本題に入るけど「このドラマは児童養護施設の子供や職員の人たちへの偏見を与える内容になってるから放送を中止しろ!」とか言ってるニュースがテレビで流れてたから、あれこれネット検索してみたけど、本当に色々と叩かれてるんだね(汗)
叩かれる理由としては、芦田愛菜が演じてる役の子が、赤ちゃんポストに捨てられていたという設定なので、あだ名で「ポスト」っていう風に呼ばれてるから、子供を傷つける差別的な内容になってるとか・・・
養護施設での暴言や体罰とかの虐待みたいなシーンがあって、現実の養護施設の実態と、かけ離れていて、「施設や職員って、こんな感じなのか!」という風に誤解されてしまうとか・・・そんな感じ?
まあ、そういう部分だけを見れば?そういう視点だけで見れば?そんな解釈になってしまうのも分かるけど・・・
ちょっと質問!

芦田愛菜が「ポスト」と呼ばれて、いじめられているだけでしたか?
施設の職員は、暴言や体罰で、子供たちを虐待しているだけでしたか?

もし上記2つの質問に対して、両方とも「はい」と答えられる人がいたら、このドラマに対して、かなり強い偏見を持っていると言わざるを得ないだろうね。
ちゃんとドラマを見れば分かると思うけど、芦田愛菜が「ポスト」と呼ばれてるのは、本人が「親からもらった名前なんていらない」って言ってて、自分から周りに「ポスト」と呼ばせているだけで、いじめられてるから「ポスト」と呼ばれてるワケじゃないし・・・
それじゃあ、なんで、あだ名が「ポスト」とかいう、わざわざ批判を浴びるような設定にしてあるのか?って考えてみると、親から捨てられた子供たちからすれば、「ポスト」とかいうヒドイあだ名で呼ばれる事よりも、自分を捨てるような親からもらった名前で呼ばれる事のほうが苦しくて耐えられないほど追い詰められてるんだ!っていう事じゃないのかな?
「親に捨てられた」って考えてたら生きていけないから、自分のほうから親を捨てる覚悟をする事によって、何とか生きていこうと・・・
だったら、親からもらった名前よりも「ポスト」と呼ばれるほうがマシ!
こんな心境にならなければいけないほどの子供たちの深い苦しみが、アナタたちには理解できますか?っていう疑問を投げかけようと思った時、「ヒドイあだ名で呼ばれてる」という設定を作らずに、どうやって表現しろって言うの?
つまり・・・

「ポスト」というヒドイあだ名で呼ばれてるから差別的な内容だ!という考え方そのものが偏見なんだよ!!
※追記:あだ名で呼ぶ事によって嫌がらせる意図があるか、あだ名で呼ばれる本人が嫌がっているかという部分が問題なのであって、そういう問題がなければ、ただ単に「ポストと呼ばれている」というだけで「差別的だ!」と主張するのは考え方が偏ってるんじゃないの?って事。最近は「あだ名禁止」っていう校則のある学校が増えてるらしいから、それに対するメッセージなのかも知れないね。いじめや差別の根本的な原因は「あだ名」じゃねぇんだよ!っていうか、むしろ「全ての人間は親からもらった名前で呼ばれるべきである」という誰かが決めたルールが常識になってしまっているという所に、根本的な原因が潜んでるんじゃないの?

で、施設の職員についても、「先に手を出したほうが負けだぞ!」とか大切な事を、ちゃんと教えたりもしてるし、他にも、子供たちを誤解したり差別したりするなよ!っていう感じのメッセージが伝わってくるシーンも色々あったと思うけどね。
施設の関係者を名乗る人たちの感想文とかで、「実際の施設では、暴言や体罰などの虐待なんてないし、暗くて怖い所でもないし、現実の施設の実態とは、かけ離れている!」とか言ってる人も多いけど、一方で、施設で育った当事者とかが「いじめや虐待みたいな事もあったから、ドラマをリアルに感じた」とか言ってる人もいるみたいで、どっちが本当なんだ?って思うけど、たぶん、どっちも本当なんだろうね。
ある所にはあるし、ない所にはないし、ある時はあるし、ない時はないし・・・みたいな。
だから、もし養護施設っていう所を、ものすごく美化して、明るくて平和な所であって、子供たちは親がいなくても、それほど苦しい思いをする事もなく、そこそこ幸せに生活してますよ!みたいなドラマを作ったりしたら、それこそ施設や子供たちへの誤解・偏見を与えてしまって、軽い気持ちで子供を手放してしまう親が急増して、ますます苦しい思いをする子供たちは増えるし、施設はパニック状態になってしまう・・・という危険性もあるんじゃないの?
だから、このドラマでは「カンタンに子供を手放して欲しくない!」っていうメッセージを強烈に発信するために、施設という所を、あえて暗くて怖い雰囲気で演出する必要性があったんじゃないのかな?
だから、ドラマの目的っていうのは、「どれだけ人の心に訴えかける表現ができるか?」という事であって、「どれだけ実態をリアルに表現できるか?」という事じゃないんだろうね。
つまり・・・

ドラマというものは、実態をリアルに表現すべきものである!という考え方そのものが偏見なんだよ!!
※追記:「実態をリアルに表現すべき!」っていう主張は、そもそも誰からの視点なんだろうね?
大人の視点?子供の視点?虐待のない施設の関係者?虐待のある施設の関係者?第3者からの視点?誰からの視点で表現されたものが、一番「リアル」なんだろうね?

それから、ドラマって10話くらいあると思うけど、最初の1話を見ただけで「放送を中止すべきだ!」とか言い放って、このドラマをゴミ扱いするなら、それこそドラマに対する偏見でしょ?
最後まで見てみれば、すごく画期的なメッセージを社会に発信してるドラマかも知れないのに、最初の1話を見ただけで、このドラマを誤解・差別している可能性について真剣に考えたの?
「人の苦しみや悲しみ」ってのを真剣に考えてるなら、最初の1話を見ただけで「放送中止しろ!」なんて言ったら、このドラマの制作に携わってる多くの人たちの苦労を水の泡にして、どれだけ悲しませる事になるか?って事くらい想像できるでしょ?
ドラマは、見るよりも、作るほうが、はるかに大変だって事、少しくらい考えてみてよ!
たとえば、100ページの本を、最初の10ページだけ読んで「この本の内容はクダラナイ!読む価値はない!」とか言ってる人がいたら、その人の話にアナタは賛同しますか?って話。
「偏見やめろ!」って言うなら、自分たちも偏見やめろよって話。
偏見・差別に対して、別の偏見・差別で解決しても、また新しい偏見・差別が生まれるだけ・・・
そんな人類の悲劇が、今も、どこまでも繰り返され続けている・・・
そんな事に気づいたのは、だいたい1年前くらいかな?
それより昔の、どこかの障害者団体とか被害者団体とか宗教団体とかが言ってる事を、すぐに鵜呑みにしてしまっていた頃の僕だったら、今回みたいな騒動があってたら「ドラマを中止すべきだ!」っていう側の主張をしてたのかも知れないね(汗)
どーせテレビ局なんて営利団体だから、視聴率を稼いで、自分たちの利益を上げるために、過剰な演出をしてるんだろ!みたいな調子で・・・(汗)


あーもう!!
また、こんな訳のワカラン変な文章を書くのに、3日間くらい、のめり込んでしまった(汗)
最近、漢方薬(補中益気湯+四物湯)が、いい感じで効いてきてる気がするんだけど、こんな風にパソコンばっかりやってたら、漢方薬も追いつかないし、やっぱり体力的にキツイ(汗)
このままじゃ、そのうち目の病気か、脳の病気でも発症してしまいそう(汗)
まあ、パソコンにしても、ドラマにしても、何事にしても、プラス面とマイナス面の両方があるし、どちらか一方だけって事はないと思うけどね。
上記の文章の中にも、たぶん僕自身が気づいてない偏見が、いっぱい混じってるんだろうなぁ(汗)