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「僕が死のうと思ったのは」という中島美嘉さん新曲の感想

2013年10月05日 22時24分39秒 | 善悪中毒(最初に読んで)

ネット検索とか色々やってたら、たまたま「僕が死のうと思ったのは」っていう衝撃的なタイトルの歌を見つけたんですけど、どうやら中島美嘉さんの新曲みたいですね。
公式サイトによれば、2013年8月28日にリリースされていたようです↓
http://www.mikanakashima.com/

この新曲の歌詞は「うたまっぷ」のサイトで見れるんですけど↓
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-130709-001

歌詞を書いたのは、秋田ひろむさんという人で「amazarashi」というロックバンドのメンバーの人という事ですけど、僕は全く存じ上げておりませんでした(汗)
それどころか、中島美嘉さんの歌というのも、今まで、ちゃんと聴いた事がなくて、この「僕が死のうと思ったのは」を聴いたのが初めてという有様なんですけど・・・(汗)
こんな僕が、いきなり感想文を書くというのも、ちょっと身の程知らずな気がするんですけど、どうしても気になって、頭の中で思考がグルグル回ってしまっているので、ここに吐き出す事にします!(笑)

この曲の歌詞の最後らへんに
「死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから」
というフレーズが出てくるんですけど、うつ病の原因とかも、まじめ過ぎるとか、頑張りすぎとか、完璧主義だとか、そういう話は良く聞くので同感ですね。
そして、そんな真面目すぎる人というのは、たぶん・・・

「何が良い事か?悪い事か?」
「何が正しいか?間違いか?」
「何が1番で2番で3番か?」
「どうすれば勝てるのか?」
「何をすれば稼げるのか?」

・・・などといった事を考えるのに集中しすぎてるんじゃないかと思うんですよね。
それは、今の競争社会の中で勝ち抜くためという意味では必要な能力かも知れませんけど、あまりにも集中しすぎて、そういう考えばかりを優先する思考パターンから抜け出せなくなると、人の気持ちに鈍感になってしまって「冷たい人」と言われてしまったり、誰かが愛情を持って接して来てくれても、そういう愛情を受け取るだけの心の余裕も無くなっていたり、「どーせ裏側に悪意があるんだろ?!」という風に、人の愛情を誤解したり錯覚してしまったり・・・
歌詞に出てくる「どこにも旅立てない心」とか「耳を塞ぐ鳥かごの少年」のような状態になってしまっている人が多いんじゃないかと思います。
いわゆる「善悪中毒」の状態だと思うんですけど、たぶん、うつ病に限らず、発達障害とか、統合失調症とか、人格障害(パーソナリティ障害)とか、不安障害、パニック障害、強迫性障害などの神経症とか、引きこもりとか、ニートとか・・・
精神科領域の色んな疾患の人たちに共通している心理状態のような気がするというか、西洋医学的には、色んな病名や障害名などに分類して治療をするんでしょうけど、それらの根本的な原因には「善悪中毒」があって、そこに気付かない限り、いくら薬を飲んで治療をしても対症療法にしかならず(ちなみに僕の場合は、薬での治療は、ほとんど逆効果ばかりで死にかけた事も・・・)なかなか根本的な解決にはならないと思うんですよね。

で、ずっと真面目すぎる生き方を続けて、いくら沢山の富や権力を手に入れる事が出来たとしても、「お金をいっぱい持ってる人だから」とか「すごい肩書きの人だから」とか「●●の大会で優勝した人だから」とか、そんな理由から生まれる愛情ってのは「条件付きの愛」(偽りの愛?)でしかないですよね?
なので、歌詞に出てくる「ゴールはどうせ醜いものさ」というフレーズの意味は、そういう「条件付きの愛」(偽りの愛?)を手に入れるために、必死に見えない敵と戦って、もがき苦しんでいる自分に気付けよ!っていうメッセージなんじゃないかと思いました。
そして、そういう自分に気付いた時、「今までの自分がやって来た事は何だったんだ?」みたいに、心が空っぽになったような感覚に襲われて、人は死ぬほど悲しくなるのかな?
って、こんな事を書いてたら、過去の自分の、あんな記憶や、こんな記憶がよぎる・・・
子供の頃に大人たちから言われた、いい加減なアドバイスの数々と、それを全く疑う余地もなく受け入れてしまった自分に対する、はらわたが煮えくり返って爆発しそうな感情?(怒り?憎しみ?)


うわぁぁぁあああ!!!!!

あーもう!!
過去の自分を完全に受け入れるには、もう少し時間が掛かるのかな・・・

正直、このブログの過去の記事も全部、消してしまったら楽になれるかな?なんて、ずっと考えたりしてたけど、ブログのタイトルを変更するっていう手段を選びました・・・とさ。


・・・話が脱線したかな?(汗)

あと、僕は中島美嘉さんのファンじゃないので良く分からないんですけど、ファンの間では「歌声が変わった」という話があるみたいですね。
そういう所にも、たぶん「歌い方が変わったという部分だけを見て、どんな事情があったのか?などという事を全く考えもせずに、中島美嘉というアーティストが良いか?悪いか?みたいな判断をするの?!」という感じの、挑戦的なメッセージが込められているんじゃないかという風に、僕は解釈しました。

そして最後に、この曲のラストを飾る
「僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから」
「あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ」
「あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ」
というフレーズは美しいですね!
死ぬことばかり考えてしまうほど絶望的な心境だったのに、そこから立ち直るための「心」を、自分の中に発見したという事かな?
そういうのを「真実の愛」(無条件の愛?)っていうのかな?
色々と考えてみたけど、「目の前に神様のような人が現れたから絶望から救われたんだ!」という風にも解釈できると思うんですけど、その場合だと、あとで「実は神様じゃなかったのか?」という風に考えが変わった瞬間、また絶望的な心境に戻ってしまうと思うんですよね。
だから「真実の愛」(無条件の愛?)っていうのは、誰かから与えられるものじゃなくて、自分の心の中に発見するものなのかな?なんて思ったんですけど、どうなんでしょうかね?
今まで僕は、「真実の愛」っていうのは、ものすごく遠くて高い所にあって、ちょっと努力したくらいでは到底、手に入れる事なんて絶対に出来ないようなもので、もし手に入れた時には、激しく燃え上がるような感情が込み上げて来るものだとか思ってたけど、そういうのって実は「偽りの愛」だったのかな?
もしかしたら、「真実の愛」っていうのは、そんなに手が届かないような所にあるんじゃなくて、意外と身近な所に存在してるのかも知れないね。
それから、「真実の愛」っていうのは、たぶん理屈で論理的に説明できるようなものじゃなくて、「感覚」で感じて分かるようなものなのかな?
・・・などなど、この曲の歌詞を読みながら、過去の自分を色々と振り返ったりしながら、「平和の絵本」のサイトとかも併せて色々と読みながら考えてみたんですけど、何となく自分の中に、自分なりの答えが見つかってきたような気がします。
それにしても、本当に、自分の中に存在する「錯覚」や「誤解」や「偏った解釈」っていうのは恐ろしいですね!
以前の僕は、「偽りの愛」を「真実の愛」だと錯覚した事によって、死にかけたのかも知れません(汗)

今の日本では、自殺者数が毎年、3万人くらい出ているそうです。
この3万人という数は、東日本大震災の死者・行方不明者は18,537人という事なので(2013年9月10日の時点、ウィキペディアより)それよりも1万人以上多い人数が、「毎年」自殺してるって事ですよね?
それって、例えるなら東日本大震災よりも大きな地震が、毎年、日本では起こっていて、大量の死者が出ているというくらい大変な状況ですよね?
そういう意味では、日本における自殺問題は、非常に深刻な大大大大大問題だと思うんですけど、なんで、こんな状況になってるんでしょうかね?

そこには、実に多くの人たちが「善悪中毒」とか「愛の錯覚」などの問題を抱えているという背景があるような気がしてなりません。

・・・これで感想文?は終わりにしますけど、この僕の文章の中にも「錯覚」や「誤解」や「偏った解釈」をしてしまっている部分があるかも知れないので、気づいた人は、そっと指摘してやって下さい。
それにしても、4日前くらいから、この記事を書き始めて、ずっとパソコンに没頭していたので、かなりキツイ(汗)
またしばらく、パソコンを離れようかな?(笑)
余談ですけど、この記事を書いてる時間は、きゃりーぱみゅぱみゅの「ファッションモンスター」だけをリピート再生して聴いてたんですけど、150回くらいリピートしてたみたい(笑)
それにしても、可愛い声して・・・
「このせまいこころの檻もこわして自由になりたいの」
「鉄の首飾りをはずしてただ自由にいきたいだけ」
とか、あーたまらん!泣けてくる!!(笑)
真面目すぎる人には、こういう音楽がオススメかも知れません(笑)

I can change my weakness