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障害年金2級

2010年07月13日 15時16分25秒 | 資格マニア検定42段
上にアップしている画像が 障害年金2級という検定試験に合格した 認定証の写真です!
この試験は さすがに難易度が高すぎるので なかなか合格できる人は少ないと思うけど もしかしたら アナタも アスペルガー症候群のフリをする努力を重ねて 時々 精神科に通院しながら 日々の生活を送り続けていれば いつか合格できるかも知れないよ?!

・・・とかいう冗談は置いておいて(苦笑)

もう だいぶ前に(去年の11月くらい) 障害年金2級が通ったっていう通知(年金証書)が来てたんだけど このネタを書くのを すっかり忘れてたというか なんか知らんけど とにかく書く余裕が無かったというか・・・(汗)
で 障害年金の申請書を提出したのが 去年の去年の11月(2008年)だったので 結局 年金証書が届いて 障害年金が受給できるようになるまで 申請してから まる1年も掛かったという感じだったね(汗)
社会保険事務所の人からは だいたい3ヶ月くらいで結果が届くって言われてたし 控えの書類にも「おおむね3ヶ月となります」って書いてあって この所要日数を「サービススタンダード」として設定していて 特段の事情がない限り 3ヶ月以内という期間を守って サービスを提供できるように努力してます!みたいな事も 書いてあるんだけどね・・・(汗)
でも 実際には 申請して4ヵ月後くらいの 去年の3月の終わりごろに手紙が来て 「認定医との協議の結果 アスペルガー障害の初診年月日は アスペルガー障害の診断をした病院に通い始めた日(22歳の時)という事になったので その初診日から1年6ヵ月経過した時点での診断書が必要です(つまり24歳の時が「障害認定日」になって その時の診断書も必要になったらしい) なので 一旦 診断書を返しますので 診断書を書き変えてもらってから また診断書を再送付して下さい!」みたいな事を言ってきたんですよね(汗)
アタシは てっきり アスペルガーは西洋医学では先天性の障害って言ってるんだし 社会保険事務所の担当者の人も 「アスペルガーの場合は 20歳からの本来請求が原則」みたいな説明もしてたから 本来請求(遡及請求)になるもんだって思い込んでたから こんな手紙が来た時は ちょっと頭に来てしまったんだけど 当時 すでに「アスペルガーは本当に先天性だけなのか?」っていう疑問も持ってたので 「もしかしたら アタシの場合は 認定医たちの協議によって 後天性っていう事になったのかな?」みたいな事も考えたりしてたし 他にも「アスペルガーってのは軽症化したり重症化したりする場合もあるのかな?」みたいな疑問もあったから この手紙の内容が ぜんぜん納得できない回答だった!っていう感じじゃなかったんだけどね(汗)
でも いきなり相手(社会保険庁)の条件を突き付けられて そのまま飲み込んでしまうのも悔しい気持ちがあったので もうちょっと食い下がってみて 「なぜ本来請求ではなく 事後請求になったんですか?」「そもそも認定医による協議というのは何人の医者で行ったんですか? その時の議事録はありますか?」「協議の結果 アスペルガーであっても初診年月日が必要という結論になったんですか?」「アスペルガーは先天性とは限らないという事なんですか?」「アスペルガーは重症化したり軽症化したりする場合があって 重症化した時を障害認定日とする結論になったんですか?」みたいな質問を いろいろと書きまくって 一応 言われた通りに診断書も書き変えてもらった上で その新しい診断書と同時に 質問状みたいなのも添付して送ってたんだけど 結局は ずっと何も言ってこなくて音信不通のまま 半年くらい時が流れて やっぱり障害年金はダメだったのかな・・・みたいに 半分あきらめてたような感じだったんだけど 去年の11月に いきなり「年金証書」が届いたから ちょっとビックリしたんだけど なんか当時のアタシの気分は 障害年金どころじゃなかったというか とにかく別の事で頭いっぱいになってて 「ああ 障害年金の通知が やっと届いたんだ・・・まあ障害年金の事は 後で ゆっくり考えようかな・・・」みたいな認識だったんだよね(汗)
そんな感じで 結局 こんな風に 障害年金の記事を書くのが 後手後手になってしまったというか・・・思い出したから良かったんだけど(苦笑)

で 詳細な結果についてなんだけど 障害認定日は やっぱり手紙で言ってたように アスペルガー障害なのに なぜか24歳からになってて 「本来請求」じゃなくて 「事後請求」になってるし(汗)
質問状に対する返事も まったく無視のままで 本来請求にならなかった理由も さっぱりワカランっていうか 結局は ただ単に「認定医と協議したら そういう結論になったんです!」という説明だけなんだけど・・・Is this all?(汗)

・・・で 障害の等級は 「2級 16号」って書いてあって この「16号」っていうのが何なのか分からなかったので ちょっと調べてみたら・・・
↓こんなページ
http://www.wheel-to-wheel.com/nenkin2.htm

ここに書いてある情報で たぶん合ってると思うけど 「2級 16号」っていうのは 「身体の機能の障害若しくは病状又は精神の障害が重複する場合であって、その状態が前各号と同程度以上と認められる程度のもの」という事らしいね。
まあ 今のアタシの状態は たしかに 身体も精神も やっぱり ちょっと狂ってるかもね~みたいな自覚はあるけど(汗)
でも 最近は 主に陰陽五行説に基づいた考え方で 漢方薬とか 薬膳とかで 自分なりの治療方法の研究が進んできてるので 耳管開放症が出現する頻度とかも だいぶ減ってきたな~みたいな感じになって来てると思うので もうちょっと研究が進めば 本当に もうすぐ完治できて 別人になれそうな感じもしてるんだけどね。
進研ゼミのCMでも YUIちゃんの「GLORIA」が流れてるCMで 最近は「この夏で別人になれ!」とか言ってて また応援してくれてるんだし・・・アタシは学生じゃないけど ああいうCMには やっぱり励まされるんだよね(笑)
それから 「引き寄せの法則」とか哲学的な概念も勉強したので それ以前よりは 心身ともに だんだんマシな感じになってきてるかな?(笑)
とにかく 西洋医学だけの考え方に偏らない方法で いろいろ試してみれば いつかきっと アスペルガー障害だって 耳管開放症だって 治せる方法が見つかる時は 必ず来るって信じてるんだけどね。
まあ ずっと前から同じような事は言ってると思うけど こんな風に また改めて書いたのは 「診断書の種類」っていう所が 「100」って書いてあって 「次回診断書提出年月」という部分が 「**年**月」っていう感じで 文字が消去してあるカタチになってて どういう意味なんだろう?って思ってたら・・・なんと!!!
「診断書の種類」の 「100」っていう数字は 「1」の事だったらしくて 1の右側の「00」は意味不明なんだけど とにかく この「1」っていう数字が「永久認定」を示す数字らしいので 2年おきとか 5年おきとかで 診断書を提出する必要もないっていう意味らしい!!
こういう所は やっぱり診断名が「アスペルガー障害」で障害年金が通ったっていう感じがするというか 統合失調症とか 躁うつ病とかの場合は 障害年金が通っても 2年おきで 診断書の再提出が求められたりして その時に病状が良くなっていれば 障害年金は中止されるとかっていう話も聞くし 身体障害とか知的障害でさえ 場合によっては 診断書の再提出は必要らしいんだけどね・・・
まあ 診断書を2度と提出する必要がなくて 面倒じゃなくなったから 嬉しいと言えば嬉しい結果なんだけど ある意味 この障害年金の認定についての協議を行った医者たちの結論では 「この人の病気(アスペルガー障害)は 一生 治りません!」っていう風に判断されたようなものなんだよね?(滝汗)
まあ 一般常識的にというか 西洋医学からの視点だけで考える人たちからすれば そうなるのかもね・・・(汗)
でも アタシは どんな判断をされてしまったって 「いつか必ず治るハズ! 奇跡ってあるでしょ? ねぇ そうでしょ?」っていう風に信じてるというか そうじゃなきゃ やってらんなーい!!!って感じだし・・・(苦笑)

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オレだって 恋愛とか 結婚とか セックスとか 子供を持つとか・・・他の人間たちと同じような 色んな事 やってみたいに決まってるだろ!!!
そうじゃなきゃ 学生時代に あんなにバカみたいに頑張って 大量の資格を取得したりする訳がないだろ!!!
それなのに 心身の調子が悪くて病院に行っても こんな20代の盛んな時期に「治らない病気」みたいに言われて それでも SSRIとかいう違法じゃない覚せい剤を飲んでみたり トランキライザーとかいう違法じゃない麻薬を飲んでみたりしても ぜんぜん上手く行かないどころか 逆に どんどん病状が悪化するばかりで(厚生労働省が認めた薬って言っても 中身はドラッグそのものなんだし) この現実を どうやって受け止めたら良いのか分からなくて 途方に暮れてしまって 苦しすぎるから 強がりを言ってみたりして気を紛らわしたり ちょっとグレてみたりしてるだけ・・・本音じゃないとは限らないけど。
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ちょっと心が爆発してしまったね・・・冷静になろうっと(汗)
で このブログは 障害年金の認定をした医者の人たちも見てるハズだと思うので(障害年金の申請書にも このブログのアドレスは書いておいたからね) もしかしたら そのうち認定医の人たちが このブログを見て「やっぱり永久認定の判断は間違ってました! 申し訳ありませんが 障害年金の支給は ストップさせて頂きます!」とか言って来たりする時が来るかもしれないね~(笑)
まあ もし本当に 障害年金の支給をストップする!とか そんな事を言ってくる事があるなら その時のアタシは 何らかの形で 本当の意味で やりがいのある仕事を見つけて バリバリ働いてたりしてて ものすごく元気な状態にもなってて 「アスペルガーは治らない」っていう今の西洋医学の常識を 自分の力で完全に覆した!っていう事にもなるし そういう 未来のアタシの努力を 障害年金の認定をした医者たちが認めてくれた!っていう意味にもなると思うから もしも 一度は「永久認定」っていう風に判断された障害年金がストップになる事があるとしても その時のアタシなら 激怒するどころか 逆に 喜んで応じる事が出来るようになってるかもね(笑)

♪ そんな日がくれば ♪
♪ 変われるかな ah ah ♪

それにしても アスペルガー障害で「永久認定」にするんだったら なんで「障害認定日」についても 20歳からの「本来請求」じゃなくて 24歳からの「事後請求」っていう判断になってしまったんだろうね?
やっぱり 精神科に通院する前までは そこまで重症じゃなかったんだけど 精神科に通院し始めて 治療のため?に処方された 違法じゃない覚せい剤(ルボックス)とか麻薬(リスパダール)を飲んでしまって 病状が重症化してしまった事を考慮しての事なのかな?(苦笑)
まあ それが本当だったとしても カルト宗教団体みたいな西洋医学の精神科医たちは そんな事は正直には言わないだろうし 認める事もないだろうなって事くらいは カンタンに予想できるけどね(苦笑)

それにしても 24歳からの判断になったとは言っても 最初の年金は 一気に3年分くらい(250万円くらい)支給されたから(申請してから1年後に結果が出たので その1年間の分の年金も含まれてるけど) アタシにとっては こんな大金なんて手にした事ないよ!って言いたいくらいの大金だったから 正直「こんなに沢山もらって良いの?」みたいな感じで 「宝くじに当選すると こんな気分になるのかな?」とか思ってしまったりしたね(汗)
両親とか弟とかの家族たちも 「初めて生活に役立つ資格を取得したな・・・」みたいに ちょっと皮肉っぽい言い方をしてたけど(今までの 他の資格・検定が 全く生活に役立ってない!っていう意味になるし 汗) この結果でも 十分に喜んでくれてたから 良かったんだけどね☆
お金は もちろん貯金して ほとんど使ってないというか ムダ遣いとかしようと思っても お金の使い道が ほとんど思い浮かばないというか 「お金を使う」っていう事自体に あまり慣れてないから ぜんぜん減ってないどころか 逆に2カ月おきに振り込まれる 132016円だけでも ちょっと余る感じなので むしろ貯金の額が 障害年金だけで増え続けてるような感じ?(笑)
まあ 漢方薬(煎じ薬)の研究開発のための 薬草たちを購入したりするのには だいぶ お金を使ったりはしたけどね(汗)

それにしても やっぱり YUIちゃんの歌を聴いたりして 勇気が出てきて 「アスペルガーの診断を受けて 障害者手帳3級まで来たなら 障害年金2級にも挑むべきだ! 絶対に合格してやる!!」みたいに決心できて この障害年金の申請書のために 別用紙のA4用紙で 51枚にも渡る文章を(85000文字くらいだっけ?) 約3ヶ月くらいかけて 命を削るような覚悟で書いたりしてたから 今になって考えてみると やっぱり「引き寄せの法則」が働いて 障害年金をGET出来たんだろうな~(笑)
まあ 一般的には 障害者手帳の制度よりも 障害年金の制度のほうが やっぱり「お金」が関わってくるから? 同じ「2級」でも障害年金のほうが難易度が高いっていう話は 良く聞く話なんだけど アタシからすれば むしろ障害者手帳の3級よりも 障害年金2級のほうが突破しやすい感じだったというか 障害者手帳の場合は「医者の診断書だけで判断」になってしまうんだけど 障害年金の場合は「医者の診断書だけで判断」じゃなくて 自分でも「病歴状況申立書」を記入できる(書き足りないぶんは 別紙を使ってもOK)っていう話を聞いた瞬間に これは行ける!っていう確信みたいなのは あったんだけどね(笑)
そういう事については 以前にも この記事で書いてるけど↓
http://blog.goo.ne.jp/rollingstar648000/e/eebe9112eaa2e4f6f78a9d8b984d4896

でも いくら 資格マニアだと言っても 障害年金の申請で提出した あの51枚の別用紙に書いてる内容は さすがに本音丸出しすぎ!!みたいな感じというか ちょっと読み返したりしてみても バカな事を書きまくりすぎてしまったな~みたいな気がするというか たぶん100人中 99人は ドン引きしてしまいそうな内容なんだよね・・・(苦笑)
もしも あれだけの内容の文章を書いてて 事後請求の障害年金さえ通らなかったら ほとんど恥さらしになってしまっただけの結果になってたから たぶん納得できなかっただろうな~(汗)
というか 結局は 障害年金なんて 攻略しようと思えば ヤル気次第で可能というか もしも「認定できませんでした」みたいな結果通知が来ても 異議申し立てというか 不服申し立てみたいなのが 2回も出来るらしいし それでも却下されたなら 今度は裁判でも 不服申し立てみたいなのが出来るらしいし それでも無理だったとしても また最初から申請し直せば良いんだし(しばらくすれば再申請できるみたいなので) 結局は 最初から「通るまで何度でも申請し続ければ通る!」っていう風に思ってたというか 今まで 他にも色んな検定とか資格を取得して来たけど どれも「1発で合格した」っていう資格ばかりじゃないんだし 何度も挑戦して やっと取得したような資格もあるから そういう「何が何でも合格してやる!」みたいな 資格マニア根性?を鍛えておいたのが 障害年金の攻略にも役に立ったみたい(笑)

小郡ロードレース大会2010 ハーフマラソン1時間56分31秒

2010年04月04日 01時00分30秒 | 資格マニア検定42段
先週の日曜日(3月28日)は 予定どおり 小郡市陸上競技場に行って ハーフマラソンを走って来ました!
この大会は 日本陸連公認のコースになってるという事を 開会式の時にも アナウンスで かなり強調して言ってたみたいで 「もしも この大会で世界新記録を出されますと その記録は公式記録ですので 世界に発信される事にもなります!」とか言ってたし(笑)
それにしても 陸上競技場なんて所に来たのは 中学生の時以来かな~?
陸上競技場に到着した瞬間 なんか ものすごく懐かしい景色に見えたというか たぶん久留米の陸上競技場の記憶があるんだけど 構造が良く似ているみたいで トイレの場所とかまで そっくりそのままだったので ちょっとビックリ?!(汗)
というのも 実は 中学生の時までは 陸上系のスポーツは かなり万能タイプの人間だったんだよね・・・ちょっと自慢話になるけど。
●100メートル走 13秒台
●走り高跳び 1メートル50センチくらい
●走り幅跳び 4メートル60センチくらい
●縄跳び 2重跳び344回 3重跳び71回 4重跳び12回 5重跳び1回
・・・こんな感じで ほとんど縄跳びにハマってて そこに基盤があったから 特に走る練習とか 高飛びや幅跳びの練習はしてなかったけど 走力や跳力系の運動が強かったという感じかな?
でも 球技系は 野球もサッカーもバスケットもバレーボールも 全部ダメダメ状態で クラスの中でも最下位レベルというか むしろ邪魔者扱い?
サッカーとか 授業中に数回だけボールに触れるのがやっとだったから 試合中に「豚が飛んでる!」とか言って空を指差して 相手の目をそらして ボールを横取りしよう!などという愚かな作戦を実行していたレベルだったし(この作戦は 1回目は効果あったけど 2回目以降は全く効果ナシ・・・苦笑) バスケットのフリースローのテストとかあった時は 15回連続で失敗して0点とかもあったしね(汗)
そんな風に 中学の時くらいから スポーツに関しても 万能なのか下手クソなのか どっちか良くワカランというか 種目によって まるで別人みたいな 変人キャラだった訳ですけど まあ こういうのを西洋医学的にはアスペルガーって言うんだろうと思うから書いてるんだけど。
で 僕が通ってた中学校には「陸上部」ってのが存在しなかったんだよね。
だから 授業中の体育の成績から判断して 中学校の陸上部の大会に出場できそうな生徒を 勝手に選抜されて 結局 中学1年~3年まで通して 何らかの種目で 学校の代表選手として陸上競技場に来ていたので 今回 ハーフマラソンで 超久々に陸上競技場に来てみて ものすごく懐かしくなったというか・・・
そんな気持ちになれた自分が ちょっと嬉しかったかな?(笑)

それで ハーフマラソンについてですけど こんな超長距離系の種目にチャレンジするのなんて これが人生で初めてなので 勝負にこだわる必要もないというか 「取り合えず1回 参加してみて どんな大会なのか要領をつかむ」というのが目的のような気分だったし 今現在の自分が体力が無さ過ぎるという事も ハッキリ自覚しているので まったく緊張感も何もなかったですね(笑)
だから スタート時間が 朝の10:15だったんですけど 10:10くらいまで 隣に野球場があったから その周囲を走ったりしてウォーミングアップしていて 「あら? もう こんな時間? ヤバイ!」とか思って 慌ててスタートラインに向かって走って行ったら すでに大勢の人たちが 100メートルくらいに渡って ズラーっと並んでるし それで やっとスタートラインに到着したら すでに息切れ状態で(滝汗) アナウンスで「スタートまで あと30秒です!」とか言ってて 「ちょっと待ってくれー!」 「5分くらい休憩させて!」みたいな感じだったけど そのまま息切れ状態からスタートするハメになってしまったとか もうスタート前の準備の段階から メチャクチャでした(汗)
でも いざスタートを切ってみると 一番後ろの集団に紛れて走っていて あまりにもペースが遅すぎる感じで スタート前の息切れを緩和するのには ちょうど良かったかな?(笑)
で 一番後ろの集団と いつまでも一緒に走ってたら 全然 息切れとかしないで楽勝すぎるペースだったので ちょっとペースを上げたら 一気に200人くらい追い抜いた? みたいな感じになって そこら辺の集団と合わせてたら やっぱり一番後ろの集団よりペースが少し速くて リズム良く走れる感じのペースだったので それに合わせて走り始めたみたいな感じでしたね。
それで 今回 ハーフマラソンを走り切って思ったのが 息が切れるよりも先に 「足のスタミナが切れる」のが早い!という事。
もうね・・・呼吸は そこまで苦しくないんだけど 両足が死んでるというか 特に ふくらはぎが 鉛みたいに重くなる症状が 中間地点の10キロも走り切る前から襲ってきてるし・・・
こりゃ やっぱり 足の筋持久力を もっと付けないとダメだね(汗)
それから ペースの掴み方が ずっとワカラン状態で 途中 急に足の疲労感が抜けた感じになったりして 少しペースが上がったりして 一気に50~100人くらい追い抜いたりする事もあれば その後 オーバーペースしていたのか かなりペースダウンして また50~100人くらいに追い抜かれるとか そんな事を繰り返したり あと 休憩所では アクエリアスが配られていたんですけど 最初は周囲の人たちに合わせて 走りながらアクエリアスを飲んだりしてたけど 途中からは(何回か休憩所があった) 休憩所に来るたびに アクエリアスをもらったら しばらく30秒くらい?歩きながら インターバルの要領で体力回復をはかりながら 同時に水分補給もして その間は 周囲から 一気に追い抜かれるんだけど 30秒くらい歩いて休憩した後は またペースアップして追い抜き返す! みたいな感じで そんな事を繰り返しながら どうにかこうにか・・・ゴールまで走り切る事が出来ました。
なんか ラスト2kmくらい辺りからが 一番ペースアップしたような感じがしたけど ゴールが見えてきて「早くゴールに到着したい!」という気持ちが強くなったからかな?(笑)
それで 結果は「1時間56分31秒」という事で トップレベルの選手の 倍の時間も掛からずに済んだみたい(笑)
走り終わった後に 上のアップしている写真のような「公式記録証」ってのをもらったけど 「種目順位」は意味がイマイチ分からんので無視して(ぉぃ) 「総合順位」は655位だったらしいです!
受付の時にもらった説明書みたいな本で 参加人数を確認してみたら 一般男子だったら882人の参加者がいたみたい。
で 陸連登録者とか 一般女子とかまで含めると ハーフマラソンに参加した全部の人数は 1156人いたみたいだけど どっちの総合順位の事なのかワカランけど とにかく下から数えた順位のほうが早かったみたい(汗)
よーし 次回は(また出るの?) 真ん中以上を目指すぞー!!

・・・それにしても ハーフマラソンを走り終わった後のほうが むしろ大変でしたね。
両親と一緒に 車で送り迎えしてもらって来てたんだけど その帰宅途中で 過呼吸の発作症状が かなり激しく起こったりもしたし 手足が痙攣したりしてきて 特に右足の ふくらはぎが つったように痛み出すし 「敬震丹」を飲んだりしたけど イマイチ効果がないし アキレス腱を伸ばすような感じにストレッチして 筋肉を伸ばしたりを繰り返してても ぜんぜん良くならんし(泣)
そんな感じで どうしようも無かったので 途中で薬局に寄って 「フェイタス」のクリーム状タイプのヤツを 母親に買って来てもらって かなり大量に右足に塗り込んで 応急処置をしないとダメなくらい もう かなりの長時間 苦しみ続ける事になったというか・・・(泣)
まあ 「フェイタス」の痛み止め効果のお陰で 自宅に到着した頃には どうにか歩ける感じには戻ってたけど その後は家の中にいても 全身が痛すぎて 両足首とか特に痛すぎて 家の中でさえ マトモに歩けないみたいな感じで ここ数日間は過ごしておりました(滝汗)
で ようやく 心身ともに まだ後遺症は残っているものの 少し元気を取り戻して来た感じになってきたので 今になって こんな風に ブログの記事を書いてます。
本当は もっと早く この記事を書きたかったんだけど その気力がなかったというかね・・・(汗)
こんな状態になると分かってたら 先日 ウチダ和漢薬の薬草を注文した時に 芍薬と甘草も同時に注文しておけば良かったのに!(汗)
まあ エイプリルフールに書いた記事が先行してしまったけど あれはネガティブな記事なので あの記事を書いていた時は まだ疲労感だらけで 心身ともにネガティブ状態だったんですけど だからこそ むしろネガティブ感情が強く表現された記事になって良かったと思うんだけど 今回の記事は 割とポジティブな記事なので 心身ともに ある程度はポジティブな状態になってから書きたいと思ってたので 記事を書く順番が 前後してしまったという感じなんですけどね。
本当に 今回のハーフマラソン大会で ここ最近の体力不足を 思いっきり痛感させられました(汗)
こんな状態じゃ この先の人生を考えると どうしようも無い感じなので やっぱり今からは もっと体力を付けるようにして 元気になるための努力をしたいな。
・・・それにしても マラソン選手とかでも 毎日40kmとか走ってトレーニングしているのに 「大会の後の1ヶ月間くらいは 次の大会には出場できない!」とか言ってた記憶があるけど やっぱり そうなのかもね・・・という感じがしたというか 「練習」と「本番」だと かなり体力の消耗レベルが違うんだろね・・・
僕だって いきなり今回の本番に臨んだワケじゃないというか 2月中旬くらいから 10kmくらい走る練習を 毎日じゃないけど かなり練習してたんだけど そういう練習での疲労感と 今回のハーフマラソン本番での疲労感というのは 全くの桁違いだったし。
まあ こんな感じで 色々と良い経験になったような気がします!

それから 大会の受付の時にもらったパンフレット?で 「あなたの勇姿をインターネットで見られます。」とか書いてるのがあって どうやら「オールスポーツ」というサイトで 参加者全員の 走っている時の写真が見られるようになってるみたい(笑)
なので 自分のゼッケン番号を入力してみたら なんか僕がヒーローみたいに写っている写真が6枚も出てくるし(実際は検索結果で8枚出てきたけど 1つは別人で もう1つは映りが小さかったので6枚) いつの間に こんな写真を取られてたんだ?(汗)
・・・で そのネット上の写真で気に入ったのがあれば 注文して購入できるようになってるんだけど 一番小さくて安い値段のヤツでも 2L判プリントの大きさで1575円とかするし 高いのは「A3判プリント額付き」とか「大判ポスター」とかで 6980円とかするし(汗)
こういう 儲かるような仕掛けになってる商売があるんだな~って 半分くらい感心してしまったような気が・・・(汗)

毎日新聞社 第8回毎日パソコン入力コンクール6月大会 数字・記号 中・高・一般 六段(1位)

2008年11月05日 22時33分49秒 | 資格マニア検定42段
この画像は 今年度の 第8回毎パソ6月大会で 数字・記号の部門に参加した時の 結果通知と認定証の写真です。
この数字部門で1位を獲得する事は いつかは達成したいと思っていたし 本気で参加し続けていれば 1位になれる可能性は十分にあると思っていたので やっと念願だった目標を達成できました。
とは言っても この時は 全日本タイピスト連合の強豪の人たちや 過去の優勝経験者とかが不参加だった事により 上位陣のレベルそのものが低レベルだったので(参加者数は過去最高でしたが) それで1位(7381名中)を獲得できたという感じなんですが・・・
1位になれても 結果通知の1分ごとの安定感とかは 本番の緊張感にボロボロに崩された結果でしたね。
382+361+303+373+313 で 合計1732文字とか・・・
安定感がなさすぎ! 文字数も少なすぎ!! ありえねー!!って感じでした。
だって練習時には 1921文字ノーミスの2306点(七段)まで到達していたんだし 4月の初めくらいから七段以上が目標で練習を開始して 約3ヶ月弱の期間も あれこれ練習しておいて こんな結果しか出せなかったのだから・・・
なので ハッキリ言って この時 初めて毎パソで1位になれたのですが 一瞬だけ少しの嬉しさを感じただけで その後は逆に 徐々に虚しさが込み上げてきたというか・・・・・
それまでは 「とにかく1位が取れさえすれば何でも良い!」 とか思ってた時期もありましたけど 1位を取ってしまった瞬間に 「僕がずっと目標にしてきた事は これほどまで儚い幻だったのか?」という感覚に陥ってしまい それまでの僕の「一番病」も消えていったような感じで 地位や名誉というモノへの興味も 一気に薄れてしまったというか・・・

「だいたい こんな意味不明な文章ばかり書いたり カネや財産や地位や名誉とかを否定ばかりするブログの中に 1位を取った事を自慢するような記事があるなんて なんか変だよなぁって感じがしませんか? 僕は一体 何がしたいんだろうね?」

・・・そう言えば スポーツ選手の「燃え尽き症候群」とかってありますよね?
まさに そういう状態? 良く分からないけど・・・
つまり この時の僕は 純粋にタイピング練習が好きでやっていたのではなく ただ単に1位になりたいだけのために タイピング練習をやっていたような気がします。
本来 競争というモノは「1位を決めるため」ではなく「お互いの能力を高め合うため」に行われるモノのハズなのに・・・その辺りを勘違いしちゃうんだろうね。
なので そのような姿勢でタイピング練習に励むという事が いかに愚かな行為であるかという事を 身をもって体験して学習できたのは ある意味では 大きな収穫だったのかな? という気もします。
そして こういう感覚で過ごしていた時に ちょうどYUIのSongsに出会えた事は幸運だったというか 空洞状態になってしまった僕の心を YUIのSongsが埋め尽くしてくれました☆

毎日新聞社 第8回毎日パソコン入力コンクール6月大会 英文B 三段(2位)

2008年11月05日 22時10分17秒 | 資格マニア検定42段
この画像は 今年度の第8回毎パソ6月大会で 英文Bの部門に参加した時の 結果通知と認定証の写真です。
英文Bに参加したのは この時が初めてではなく 実は第4回毎パソの時にも 一度だけ参加した事があったのですが その時は 1700文字くらい打っていたのに たしかミスが40くらいあったようで 「脱行ミス」を 本番でやらかしていたようでした(汗)
その為 当時は「10級-B」という 屈辱的な判定を食らってしまい その「10級-B」の認定証を 毎パソ事務局から送りつけられてしまい 「イヤミか?」という感じでしたね。
単純に「不合格」とか「認定不能」とか言われたほうがマシ!!!
まあ この時の屈辱が残っていて 一時期は「もう英文Bなど参加しない!」とか思っていたのですが やっぱり心残りだったので その屈辱を晴らすために参加したという感じでした。
それで 練習期間は1週間くらいしか取れなかったと思うのですが 短期間集中の練習だけで 2200文字(ミス1)の2529点で 部門内順位が なんと2位!(5276名中)
認定級も 第8回大会から 大幅に易しくなったので 三段!!
まあ 練習の時は たしか四段(2600点以上)も 時々 出してたと思うんですけど 本番でも ほとんど最高記録に近いような感覚の打鍵を行う事が出来た感じだったので ミスも1個で抑えられたし この本番での結果は 僕にとっては かなり満足できるものでした。
ちなみに この時に使用したキーボードは 富士通のリベルタッチ(FKB8540)で このキーボードは 東プレRealforce106並みに軽くて しかも リアルフォースと比べるとミスがかなり抑えられる感じで 打鍵が安定するし 打ち心地も良いので 毎パソ対策には かなり向いているキーボードではないかと 僕は思っています。
短期間の練習だけで 2200文字も打てたというのも このキーボードのお陰だったと思ってます。
でも たった2200文字(ミス1)の2529点程度で 2位になれるなんて 出来すぎですね(汗)
で・・・例年ならば 順位が2位ならば「全国大会出場権獲得!」となる訳なのですが なぜか第8回毎パソからは 一般の部の全国大会を行わないように されてしまったらしく どんなに頑張っても 全国大会には出場できなくなりました。

なんで「年齢差別」をする必要があるんですか?
タイピングをするのに 年齢とか関係ないでしょ?
ねぇ! 毎パソ事務局さん! ちょっと不公平だって思うよ!!!

毎日新聞社 第6回毎日パソコン入力コンクール全国大会 和文B 一般の部 審査委員会賞(6位)

2008年11月04日 21時32分30秒 | 資格マニア検定42段
この画像は 第6回毎パソの全国大会に参加した時の 参加賞みたいなモノの写真です。
全国大会出場権を獲得した8名?(和文部門)の中で 6位に入ったようなのですが 第6回毎パソでは 順位の表彰対象となるのが5位までだったらしく 順位が表示された賞状などはGET出来ませんでしたが・・・まあ別に良いんだけど。
下のほうに写っている「Windows Vista」のロゴマーク?入りの4色ボールペンも この時の参加賞のような感じで もらいました。
この4色ボールペンは かなり重宝していて 毎日ありがたく使わせて頂いてます。
こういうボールペンは どこにも売ってないだろうし 自分の努力で手に入れたモノの一つだと思うので ある意味 この4色ボールペンは「人生の友達」の気分です♪
できれば一生 使い続けて行きたいですね。
ちなみに 替芯はゼブラの「SK-0.7芯」が適合するようで 4色とも替え芯は常備しています!

・・・さて この第6回毎パソからは 全国大会のルールが「課題文を初見の状態で入力する」というルールに変更されて(第5回毎パソまでは 全国大会も課題文は事前公表) しかも どういう訳か キーボードの持ち込みも禁止されるようになってしまい キーボードは東プレRealforce106か  PFUのHappy Hacking Keyboardだけしか 認められなくなりました。
なので 全国大会の直前は 東プレRealforce106にアジャストしようと 和文の5分間計測を 毎日20回くらいやってましたね。
和文対策の課題文も おそらく毎日新聞の社説の 過去3ヵ月分くらいの記事の中から 出題されるんじゃないか?と予想していたので その頃の社説から6パターンを選んで ヤマカンのつもり?で それらの6パターンだけを それぞれ3~4回ずつとか打って練習してました。
でも そういう練習方法だと どの社説も練習が中途半端になるので 800~900文字くらい打てるようになるのが やっとだった気がします。
まあ そうは言っても 初見で800文字も打てるなら上等だと思うので 全国大会で もしも 対策した6パターンのうち どれかが的中したら なかなかの上位に食い込めるかな?とか期待していたので かなり張り切って練習していたのですが・・・・・「腱鞘炎」の始まりは この時からでした。
タイピング中に 両手の中指と薬指が痛むようになってきて キーボードを打つたびに 指をコンクリートの壁にでも 打ち付けたかのような 衝撃が走るようになったんですよね・・・
それでも ある程度まで痛みを我慢して練習していたのですが 徐々に耐えられなくなって 一時的に3日間まるまる タイピング練習を休止するとかいう状況になってしまって・・・
大会直前なので 本来は もっともっと練習したいのに!! と思いながらも・・・屈辱的でした。
で 3日間 タイピング練習を中止してみても ほとんど痛みは良くなってなかったし・・・
そんな感じで 全国大会には 練習内容などに納得できない状態のまま 臨まざるを得なくなりました。

そして いよいよ 全国大会の本番の日が来たのですが 第4回毎パソの時とは違って 交通手段はヒコーキで行きました。
ヒコーキに どうやって乗れば良いのかが心配だったのですが 予想に反して 新幹線よりもヒコーキのほうが楽勝でした!!
そんな風に 大会前日に東京に着いて 予約していた安いビジネスホテルに宿泊して 夕食はリンガーハットへGO!
ホテル内の 1000円以上ボッタクリ値段の食事なんぞ 食えるか!!!
そして この第6回毎パソは 大会の会場が 秋葉原の「デジタルハリウッド大学」という所だったので 前日に近辺まで様子見に行って ついでに秋葉原の街中を歩いてみたのですが なんか人が多すぎて 単純に疲れただけだったような・・・(汗)
デジタルハリウッド大学は なんか めちゃくちゃ高いビル内の何階か?にあって 「大学」というよりも なんか専門学校っぽい感じかなぁ?なんて思いました。
そんな感じで 前日に様子見をしていたので 本番当日も 場所に迷う事なく 朝食は 歩きながらカロリーメイトだったかな?
それから デジタルハリウッド大学に到着してからは おまじないのつもりで無謀にも「キットカット」を摂取したけど・・・(苦笑)
それにしても この時は みんな時間どおりに ハリキッテ来ていたというのに 毎パソ運営の準備の遅れで 会場への入場と競技開始が30分くらい遅れたんだっけ?
なんか調子が狂った感じで お陰で? いざデジタルハリウッド大学に入場する時は 一気に人が押し寄せて エレベーター内とかが おしくらまんじゅう状態(汗)
もうちょっと 毎パソ運営には 段取りを万全にしておいて欲しかったなぁ。
そして競技開始前に 初見課題が配布されたのですが ヤマカンで対策していた6パターンとは違っていたので 本当の意味での「初見」で打たなければならなくなってしまい(それが本来の形でしょうけど 汗)その時点で もう諦めてしまったような気分になってしまったというか・・・(汗)
なので 腱鞘炎もある事だし それなりの速度で 極力ミスを抑えながら 失格しないように打てばいいやーってな感じになってしまって 結果は558文字(ミス1)の641点!
5位の人とは 200点以上も差が開いてしまったというのに 6位という快挙でした!!
まあ・・・正直 和文の部門で 全国大会への出場権を獲得できたという事だけでも 僕にとっては 10月大会の課題を3ヶ月練習し続けるとか かなりの努力が必要だったし・・・
なので 何かヘンな全国大会だったけど なかなか経験できるモノじゃないので 良い思い出になったと思ってます。