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アスペルガー障害年金の質問状?!

2018年03月27日 18時18分17秒 | アスペルガー自閉症
この手紙が来たのは、9年前の昨日だったのか・・・
いつか、この質問状の画像もアップしようとは思ってたけど、今まで、ずっと他の事で頭いっぱいになってて、後手後手になってしまったというか・・・思い出したから良かったんだけど(苦笑)

まあ、こんな風に、いったん障害年金の申請をしても、認定医と協議したら、また別の診断書が必要になったとか、アスペルガーでの申請なのに初診年月日が必要だとか、なんだかよく分からん事を言ってきたので、色々と質問しまくってみたんだけど、結局は ずっと何も言ってこなくて音信不通のまま、9年の歳月が流れましたとさ・・・

とはいえ、障害年金そのものは受け取れるようになったので、そのお陰で、ただ生きていくだけだったら、ほとんどお金の心配がなくなったので、そのぶん、他に解決しないといけない事にも、色々と取り組めるようになったお陰で、今の自分があるのかな・・・と、そういう意味では、本当に感謝しております。

もし、障害年金がダメだったとしたら、今頃は、生活保護でも受けていたのかな?

とはいえ、当時の僕は、障害年金だとか生活保護だとか、そんな制度が存在する事自体を知らなかったし、そういう制度がある事を知った後も、なんだか後ろめたい気持ちになるというか、罪悪感を感じてしまうというか、自分だけ、こんなサービスを受けていいのか?みたいな感じ?(汗)

でも、障害年金にしても生活保護にしても、こういった制度が絶対に必要な人たちがいるという事を、昔の人たちは、とっくに理解していて、法律で認められるレベルまで制度化する努力をしてくれたから、その恩恵を受ける事が出来ているんだよなぁ・・・
外国とかでは、まだまだ、こんな制度が存在しない国もあるだろうから、本当に、日本という先進国に生まれて良かった☆

もしかしたら、僕の前世は外国の貧困難民で、飢えや病気に苦しんで死んでしまったのかな・・・
だから、今度こそは幸せになりたい!と思って、この日本という国に生まれ直したのかな?
だったら、自分の前世の願いを叶えるためにも、同じことばかり繰り返してちゃいけないね・・・
もう少し幸せに生きる事を心がけてあげないと・・・

なんか最近、そんな事を考えたりしてます(笑)

花粉症は仮病で気のせいでしょ?

2018年03月05日 18時30分51秒 | アスペルガー自閉症
テレビのニュースを見てたら、国民の3人に1人は花粉症なんだとか・・・
ちょうど、僕の家庭でも、父親だけが花粉症で、僕と母親は、花粉とは何も関係もないですね。
なので、花粉症に関して言えば、僕は、どちらかと言えば「多数派」に属するみたいです。
父親が、くしゃみや鼻水などの症状に悩まされているのが、花粉のせいだという知識はあるのですが、実感としては何も分かりません(汗)
「へぇ~、そういうのがあるんだ~」みたいな感じ?

でも、最近、やたら父親が花粉を気にして、空気の換気を、ああしろ!こうしろ!などと、うるさく言ってきて「こういう対策をしなければいけないという事が、なんで分からんとか!この程度の事は中学生でも分かるやろ?!お前たちにも、花粉の事を理解してもらわんと困るぞ!」とか、かなり攻撃的な口調で言ってくるんですよね(汗)

そして、ずっと父親の話を聞いてると「花粉とは関係の無い健康な人間は何も考えなくていいから楽でいいよな・・・」とか言ってて、だんだん頭に来てしまって「あんたは、発達障害の事も、漢方の話なんかも、何も理解しようとしないじゃないか!」みたいに言い返してやったら、「そんな事は、分かるわけなかろーが!」みたいな反論が一瞬で返ってくるし・・・

ああ、そうですか、だったら花粉の事なんて、分かるわけなかろーが!
花粉症なんて、ただの気のせいでしょ?
あんたの思い込みでしょ?仮病じゃないの?

・・・こんな事を言われて、今どんな気分になった?
僕は、ずーっと、これと同じような事を、何百回も言われ続けてきたんだよ!!
その度に、今まで、どんだけ落ち込んだり嘆き悲しんだりしてきたか、あんたに分かるか!!!

こんな風に激しく言い返してみたら、なんか沈黙状態?みたいになって、気まずい雰囲気なので、そっと部屋から抜け出してきたけど・・・

なんで、こうなるんだろう?
なぜか、泣きたい気分・・・・・

でも、あれこれ考え直してみたけど、結局のところ、他人の病気の事なんて、本当の意味で理解できる事なんてないのかも知れないね。
だって、僕には、どう頑張っても、花粉症の事を、本当の意味で理解できるような気がしないし・・・
それと同じように、他人が、僕の発達障害とか、原因不明の体調不良だとか、そんな事を理解できるはずがないというか、よほど特殊な能力でも持ってる人なら話は別だと思うけど、ほとんどの人には、そもそも最初から、そんな事は無理難題でしかなかったのかな?という気がしてる。
テレビとかでは、周囲の人間たちが、障害を理解してサポートする事が大切だとか言ってるけど、あんなのは、ごくごく一部の特殊な事例の話でしかないんだろうな・・・
そんな理想像を、一般常識のレベルにまで格上げする事が狙いだったのかも知れないけど、それで実際に助かった人たちも沢山いるのかも知れないけど、一方では、かえって理想と現実のギャップに苦しめられる事になってしまって、逆効果になってしまっている例も沢山あるんじゃないかな?
そんな気がしてる・・・

だから、他人の病気や障害の事なんて理解しようとしなくていいというか、そもそも、そんな事は最初から、ほとんど無理なんだよ。
だから、自分の病気や障害の事を、他人に理解してもらおうなんてのも、そもそも、そんな事は最初から、ほとんど無理な話で、それでお互い様って感じなのかも知れないね。
自分の病気や障害の事を、周囲に理解してもらえないっていうのは、おかしな事でもなく、不当に扱われている訳でもなく、むしろ、それが自然な事なのかも知れないね。
というか、そんな風に思っておかないと、もう生きていけないよ・・・

でも、他人の病気や障害の事なんて理解しなくていいって言ったけど、だからといって、誰かに対して「それは仮病じゃないの?ただの気のせいでしょ?あんたの思い込みでしょ?」みたいに責めるような事ばかり言うのは、酷いんじゃないかな?という気がするけどね。
そしたら、そんな事ばかり言われ続けた人は、花粉症の人に対して「仮病じゃないの?ただの気のせいでしょ?あんたの思い込みでしょ?」みたいな酷い事を言ってしまう人間になりかねないのではないかな?

とはいえ、考え方を変えたりする事によって、病気が治るって事もあるだろうから、その為には、自分の中にある色んな思い込みに気づく必要はあるだろうし、その為に、周囲の人間が思い込みに気づかせてあげるためのサポートをするのは間違った事ではないというか、むしろ大切な事だとは思うけど・・・

神田沙也加さん結婚「おめでとうございます」

2017年04月26日 18時36分40秒 | アスペルガー自閉症
そういえば、SAYAKAは「神田沙也加」に名前を変えたんだったね。
最初は、歌手1本で行く!とか言ってたのに、「神田沙也加」に変わったら「お芝居をやる」とか「声優をやる」とか言うようになって、「歌手1本で行く!」っていう話は、どこに行ったの?
という感じで心配してたけど、最近また、アナ雪の「生まれてはじめて」とか歌ってるね。
以前より、めちゃくちゃ歌が上手くなったし、曲も大ヒットして、念願が叶ってよかったね☆
 
はじめて、松田聖子さんのコンサートに、いきなり飛び入りで出演して「ever since」を歌ってた時は、こんな感じだったのにね↓
https://www.youtube.com/watch?v=M4765RrTxkE
 
ついでに、SAYAKA「ever since」の歌詞情報↓
http://www.uta-net.com/song/15577/
 
やっぱり、今になって聴きなおしてみても、この曲は名曲だね♪
たぶん僕は、今までに5000回は聴いてると思う(苦笑)
SAYAKA本人にとっても、この曲を歌い続ける事によって、色んなものを自分自身に「引き寄せている」んじゃないのかな?
 
で、アップしている写真は、左がサヤスポ(サヤカスポーツ)で、右は「ever since」の初回限定版のジャケットです♪
いまだに、これだけは捨てられない(汗)
というか、他にもSAYAKA本人による、僕の「下の名前」が入った直筆のサイン色紙とか、あとは、ドラゴンヘッドの映画の撮影で、ウズベキスタンに行った時のアクセサリーのお土産とか、ファンクラブの会報も3つくらい残ってるよ(汗)
「捨てられない症候群」の未練タラタラでダメダメな男だねぇ(苦笑)
 
そういえば、最初の頃「ラブサーヤ」っていうファンクラブがあったのを知ってる人って、いるかな?(笑)
そうだよ、あの時、ファンクラブ会員限定の掲示板で、いらん話を連投しまくって、他のファンクラブの方々やスタッフの方々に、大迷惑を掛けた挙句、掲示板を閉鎖に追い込んでしまった張本人は僕だよ(汗)
もう、詳しい事を覚えてる人は、ほとんど存在しないだろうから、こうやって打ち明け話が出来るのかも知れないけど・・・
あの時は、本当に、ごめんなさいでしたm(-_-)m
 
そして今回は、結婚の話ですか・・・
遥菜ちゃんは湯川遥菜さんになったし、YUIは双子を産んだし、そしてSAYAKAも結婚・・・
 
『おめでとうございます』
人生最大の嘘をついた
 
「おめでとうございます」
人生最大の祝福をした
 
お祝いとして、僕が「障害年金2級」に合格した時に提出した文章の一部(5分の1くらい?)を、下記にコピペしたいと思います(謎)
この内容だったら、少しは個人情報が混じってるけど、大きな影響は、たぶんないと思うので・・・
でも「物事を、すぐに鵜呑みにしてしまう傾向が強い人」は、読まない事をオススメしておきます(苦笑)
あくまでも「参考程度」にして、僕の事についても、当時とは、かなり考え方が変わってますので、今もまだ「こんな考え方をしてやがるのか!」と驚かないように、くれぐれもお願いします^-^;
 
●●●●● コピペ開始 ●●●●●
福岡大学病院での初診日は平成17年3月4日で この時には 一日中ヒゲ抜きまくり症状の事だけでなく やはり自分が「アスペルガー症候群」なのかどうかを ハッキリさせたいという希望もあり それまでの人生の事を カンタンに書いたような文章なども持って行った。そして 初診の時に医者と30分くらい話をしていたら すでに その医者はアスペルガー症候群を見抜いていたようで 今回のヒゲ抜きの症状も 強迫性障害によるものではなく アスペルガー症候群の強迫症状によるヒゲ抜きだろう というような説明をされた。そして更に「君は周りに合わせる必要はない! 君が好きなように生きて行ったら良い!」というような事も言ってくれた。その時点で確定診断された訳ではなかったが 僕の感覚では この時点で すでにアスペルガー症候群が確定したかのような気分だった。そして ヒゲ抜きの症状については 当時の現状が 毎日5時間とかの長時間に及んでいたので それを1日1~2時間に減らす(1日1~2時間なら ヒゲを抜いても良い)ようにして 他にヒゲ抜きの事を考えないで済むような別の行為を 1つ以上 探すようにするように言われた。それから 薬については とりあえずルボックスというSSRI(抗うつ薬)が 強迫症状に効果があるかも知れないので 飲んでみるように言われ ルボックスを処方された。だが そのルボックスを1錠(何ミリ錠だったかは覚えていない)服用しただけで やる気なしの状態から 一気に やる気出すぎの状態に変貌してしまって ヒゲは抜かなくなったものの 脳内に次々と様々な思考が巡りすぎて 歯止めが利かなくなり 興奮しすぎて 数日間 まったく眠れないような感じになった。その果てしない考察というか妄想?の内容は 最初は 「アスペルガー症候群によるヒゲ抜き」と「強迫性障害によるヒゲ抜き」の違い というテーマから考察が始まった。その結果 無意識に? いつの間にか ヒゲを抜き始めている(なぜか手が あごに触れてしまっている)という症状が 「アスペルガー症候群によるヒゲ抜きの症状」であって その後 自分がヒゲ抜き行為を行っている事を自覚できても そのまま中止できずに 延々とヒゲを抜き続けてしまう症状が「強迫性障害によるヒゲ抜きの症状」ではないかと考えた。なので 僕の当時の症状は アスペルガー症候群と強迫性障害の 両方の要素が合併していて 複雑に絡み合っているヒゲ抜き症状ではないかと思った。そして今度は ずいぶん以前から 自分はアスペルガー症候群なんだろうな という事は すでに自覚していたのだが その深刻さについて 更に具体的に考察し始めてしまった。当時の僕には とにかく「普通になりたい!」という強い希望があったし その願いは アスペルガーであっても 人よりも何倍も努力すれば いつかきっと叶うのだろうと思っていた。その為ならば どれだけ悲しい事や辛い事があっても 後悔ばかりが続いても それらの経験を 自分自身を成長させるための試練なのだと受け止めて 前だけを見て進んで行こう!どんな試練にでも耐えてやる!! という 揺るぎない信念に支えられていた。だが やはり薬の影響もあったのか その信念が一気に崩れ去ってしまったというか 不公平感が爆発するような感じになってしまった。なんで僕は 勉強も頑張って良い成績を取り続けてきたのに・・・資格や検定も 他人より はるかに多く取得してきたのに・・・なんで就職が出来ないのか?なんで僕は こんなに無能者でなければならないのか?なんで友達も ほとんどいないのか?・・・などなど それまで抱えていた不公平感や劣等感というモノを 抑えきれなくなった。また 将来的には「普通になりたい!」と思っていたので 当然ながら 結婚して子供を授かりたい という希望もあった。だが アスペルガー症候群の遺伝性については 確立した医学的根拠は まだ無いかも知れないが それでも自閉症の遺伝性の説を否定できないほど そういう話は非常に頻繁に聞くので おそらく「決定的な医学的根拠が発見されていない」というだけで 何らかの遺伝性が関係しているという説は かなり有力なのではないかと思う。なので 自分が子供を授かったとしても その子供には アスペルガー症候群が遺伝してしまう可能性が高いので 自分の子供にも 自分と同じような 悲しみや辛さや後悔だらけの人生を 歩ませる事になるのだろうかと思ったら もう何もかもが 一気に「絶望」へと変貌してしまった。そして 自分がアスペルガー症候群として生まれてきた事を 強烈に悲観しまくって 憎しみの気持ちでいっぱいになった。なぜ自分は他人ではなく 自分でなければならなかったのか?そんな事ばかり考えて 大声で泣き叫んでいた。正直 それまでの僕は 「自殺」という事を本気で考えた事はなかったのだが 現実を直視すればするほど 自殺願望が少しずつ芽生え始めてしまった。・・・・・そして しばらく時間が経過したら 今度は別の思考が 頭をよぎるようになった。「運命は既に決まっていて 変えられないと聞いた事がある。」→「なぜなら 地球は将来 太陽に飲み込まれる運命にあると決まっているからだ。」→「そうなれば 人類は地球に住めなくなり絶滅する。」→「人類は必ず絶滅する運命にある。」→「それでは 何のために人類は繁殖を続けているのだろうか?」→「分からない・・・つまり 人類が繁殖を続ける意味はない。」→「ならば 自分は何のために生まれてきて 何のために生きているのか? 生きる意味は何なのか?」→「結論・・・どう考えても生きる意味はない。人類の未来もない。」→「こんな事を知っている人は誰もいないのではないか? 世界中の人々が生きる意味など何も考えずに生活しているようだが 「生きる」という事自体が 意味のない行為であり 世界中の人々が生きる事を喜びだと錯覚しているだけだ!」→「何かとてつもなく恐ろしい発見をしてしまった! ノーベル賞どころではない!」→「待てよ・・・この発見を世界中の人々に知らしめたらどうなる???」→「世界中の人間が生きる意味を失ってしまい 自暴自棄になって 世界中で自殺や犯罪が相次ぎ 核戦争にまで発展してしまい 地球が崩壊する???!!」→「それを食い止めるには この事を誰にも話さず 自分が自殺するしかない!!」→「待てよ! 自分はアスペルガー症候群なのだから想像力に障害がある。他の誰かなら 何かが分かるかも知れない!」などと妄想が発展し続け 結局 どうしたら良いのか分からず 午前4時ごろに救急車を呼んだりして 救急隊員に このような事を説明していたが 救急隊員からは「何を言っているのか さっぱり分からん」などと言われて理解してもらえなかった。だが とにかく興奮状態で少し暴れていたような感じだったので 福岡大学病院に連れて行かれる事になり 実家にいる家族にも連絡が行って すぐに家族が駆けつけてきて 実家に引き取られる事になった。だが 興奮はまだ収まらず 最終的に妄想が更に発展し「私は神になった。人間が神になった時 世の中の多くの人間に不純な心がある事を知る。そして いつどこで誰に殺されるか分からないという恐怖に怯えながら 生きていかなければならなくなる。だから 神になってしまった人間は 自殺や犯罪(悪魔への天罰)のような行動に出る場合があるようになる。そして私は自殺を選びたい。」というような事を家族に話したりしていたが 良く分かってくれなかったようだった。そして 本気で自殺したい衝動に駆られてしまい 団地の4階から飛び降りようと思って走り出したが 弟と母親が それに瞬時に気づいて 階段の3階あたりで弟に追い付かれてしまい 力づくで押さえ込まれてしまって 飛び降りる事が出来なくなった。そして その後も 家族が僕に食事を食べさせようとしても 僕は「何かを食べたら寿命が伸びてしまうじゃないか!」などと抵抗して なかなか口を開こうともしなかった。そんな感じだったので またすぐに福岡大学病院に連れて行かれて 何か強烈な注射を打たれる事になったが その時 一瞬「安楽死」を予感してしまったので 医者に「その注射は安全な注射ですか? 国で認められている薬ですか?」とか必死に質問して かなり抵抗していたが 親は その注射を打つ事に賛成していたようだった。そして 親からも「大丈夫。安心して良い。」などと言われたので 「親に見守られながら安楽死できるなら それでも良いかな?」という感じになってきて 最後は その注射には抵抗しなかった。そして その注射が打たれた瞬間は 「ああ・・・今から僕は死ぬのか・・・」という感じで 絶望感や恐怖感というよりは すべてを諦めたという感じだった。注射を打たれて数分間は まだ意識はハッキリしていたが 5分くらい?経過したら昏睡状態のような感じになってきて フラフラになって まともに歩く事さえ困難な状態になったので 「死んで行くというのは こういう感覚なのか・・・」などと思っていた。だが 両親は そんな状態の僕を見ても 何の不安感もないような感じで「もう薬が効いてきた!」とか言っているだけだった。そして 両親に肩を抱かれながら 駐車場まで歩いたりしていた。そして しばらく車の中で眠っていたようたが 注射の効果は数時間くらいで切れたのか 意識も元に戻ったようだった。本当に あの注射を「安楽死」の薬だと本気で勘違いしていたので かなり不思議な感覚だった。そして 飲み薬もルボックスは中止して リスパダールという抗精神病薬に変更され その後はリスパダールを飲み続ける事になった。そして リスパダールを飲み続ける日数が経過するごとに 興奮状態は 徐々に治まって行ったという感じだった。だが 一度 悟ってしまった「生きる意味がない。人類の未来もない。」という事や 「自分が神になった」という事は 自分の心の中では消えてはいないが 誰に話しても分かってもらえないので 精神科医にさえも ほとんど その事を話した事がないように思う。特に「自分が神になった」などと言ってしまうと「統合失調症」などと解釈されてしまいそうな気がしたので そういう話はしないようにしていた。そんな風に「生きる意味はない」と思いながらも やっぱり家族が僕に対して 本気で言ってるのか分からないが「生きていて欲しい!」という風に言うので 生きていくしかなかった。まるで 家族に飼われているペットのような気分だが 家族がどうしても僕に行き続けていて欲しいと頼むので 仕方なく行き続けるようにしているという感じだ。そもそも 僕たちが生きている この場所が「地球」という惑星であるという事を発見した人に問題があるというか その時点で 人類には未来が無いという事を発見してしまったようなものだろう。そして その事を学校教育で教える事自体にも また問題があるのではないだろうか?正直 ここが地球という惑星だという事を知ってしまった事に とても不幸感を感じざるを得ない。・・・そんな感じだったが その事は一旦「保留」という事にして ある程度の落ち着きを取り戻すのも 割と早かったようで 初診から約2ヵ月後の平成17年4月下旬くらいから 有限会社タイピント印刷という会社で 結婚式の席次表を作成するアルバイト(6時間労働)を始めるようになった。この会社でも やはり紙とインクの使用量は多かったが 以前のコピーを取りまくる会社に比べたら断然少ない感じだったし 「無意味な印刷作業」というのも ほとんど無いような気がしたので その会社での印刷作業には だいたい納得が出来た。そして 仕事内容は ほとんどパソコン作業のみで 電話対応などは無かったので(入社して最初の頃に ちょっとだけ電話対応をさせられたが 上手く話せなかったせいか それ以来 任されなくなった というのが正解だが) 電話を取らなくて良いのは安心できた。だが この仕事内容は 結婚式の席次表の作成なので とにかく人の名前の入力が多く パソコンで入力できない文字の名前の人や この世に存在しない漢字を使用した名前の人などが かなり頻繁に登場するので その度にイライラしていた。カンタンに例を挙げると 「吉」の上の部分の「士」が「土」になっている文字 「博」という文字の右上の点が無い文字 「恵」という文字の右上に点を付ける文字 「裕」という文字が「ころもへん」ではなく「しめすへん」の文字 などなど 例を挙げればキリがないが そういう文字の人の場合は 通常のパソコン入力では対応できず 「外字」と呼ばれる 画像処理ソフト(アドビ製のIllustrator)で作成した作字を貼り付けるなどという 非常に面倒な作業をしなければならなかった。なぜ そんな事をしてやらなければならないのか? 間違った文字を 自分の名前に使ってやがる人たちが悪いのではないか?そもそも なぜ こんな文字を使用する事が 法的に まかり通ってしまっているのか?役所は ちゃんと文字の確認をしていないのか?こんな感じで まったく納得できなかったが そのような作業をせざるを得なかった。中には「さかなへん」に「荒」という「つくり」の文字「魚荒」←これを1文字にしたような この世に存在しない あり得ない文字まで要求された事もあった。「ふざけるんじゃねぇ!!」という感じに思っていた。しかも その入力対象となる文字が書いてある紙(原稿用紙?)は ファックスなどで文字がつぶれている事が多くて 何と書いてあるのか読めない文字が多くて せっかく入力スピードがあっても 文字が読めないせいで そのスピードを全く活かす事が出来ず 文字の認識間違いによるミス(たとえば「生姜」を「生麦」と入力してしまうなど)とかも 頻繁にあって屈辱的だった。「ちゃんとキレイな文字で書かれている原稿用紙ならば 速く正確な入力が出来るハズなのに なんで こんなに読みづらい文字という条件下で入力しないといけないんだよ!」という感じで この時もまた 毎日パソコン入力コンクール(毎パソ)での実績のプライドが 自分の心を傷つける要因になっていたように思う。毎パソの実績というプライドを捨てれば もう少し上手くやれるのかも知れないが 毎パソの実績というプライドを捨ててしまったら 自分には何が残るのだろう? という感覚なので 正直 もう2度と 日本語を入力するような仕事には就きたくないと思った。まあ それでもイヤイヤながらアルバイトは続けていたが その職場では 常にラジオ放送が流れているのも辛かった。番組は「FM福岡」というバラエティ番組のような放送が常に流れていた。こんな状況では 仕事をやっているのか ラジオを聴いているのか どっちなのか分からなくなる。仕事に集中したくても やはりラジオを聴いているほうが楽しい事が多いので ついついラジオに聴き入ってしまって なかなか仕事に集中できないというか その日その日によって 仕事への集中度が極端に違う事が多かったような気がする。仕事に集中できた日は 仕事が片付いてしまうのが速すぎて やる事が無くなってしまい 上司の人に「何かやる事はありますか?」とか聞くと 上司も「もう終わったの?」などと少し困った感じの様子で 上司は仕事を中断して 僕が出来る仕事を見つけてくれたりしていたが どうしても仕事が見つからない時は 定時よりも1時間くらい早く帰宅する事も良くあった。なので そういう状況になりそうな時は あえて仕事のスピードを落とすようにしていたが なんか手抜きをしているようで不合理な気がしていた。逆に ラジオに聴き入ってしまったりして 仕事に集中できないでいると 仕事が片付くのが極端に遅くなって残業になったりするので 正直 仕事中に あのラジオ放送を流すのは反則だと思っていた。そんな感じで 入社して数ヶ月くらいの頃には おそらく人生で一番ひどい「うつ状態」に陥ってしまっていた。毎日のように「どうやって自分の首をしめようか?」とか「あの団地から飛び降りようか?」とか「海に飛び込んでみようか?」とか そんな事ばかりを考える日々が たぶん半年間くらい続いていた気がする。そんな うつ状態を医者に訴えてみても 初診の時に ルボックスで異常に興奮してしまった経緯があるので 絶対に抗うつ薬は出してもらえず 薬はリスパダールの処方だけが続いていた。そんな感じで 何もかもが嫌な感じが続いていたが 当時 唯一 趣味があるとすれば パソコンのタイピング練習で 特に「毎日パソコン入力コンクール(通常 毎パソ)」という 毎日新聞社が主催しているタイピングの大会には以前から参加していて 毎パソの練習をする事だけが楽しみのような感じだった。それで毎パソの練習に取り組む事で 少しずつ うつ状態も晴れてきたという感じだったような気がする。仕事での入力作業は まったく面白くなかったが 毎日パソコン入力コンクールの練習は 練習結果が数値で明確に分かるし 記録を更新していくのも楽しいと思えたので 必死に練習していて 平成18年11月には 東京で行われた毎パソの全国大会にも出場して 和文の部門で6位になったりもした。正直 毎パソがあったお陰で この時期は 何とか生きのびているような感じだったと思う。だが 仕事は相変わらず苦痛にしか感じられず ラジオの音も次第に我慢できなくなってきて いつからか耳栓を持ち込むようになった。そうすれば ラジオの音をシャットアウト出来るので良かったが その状態だと 人に話しかけられた時などは気づきにくいので不便だった。人に話しかけられる度に 耳栓の取り外しをしなければならなかったのも苦痛だった。そんな事を続けていたら やはり耳に負担がかかってしまったのか かなり強い耳鳴りが何日も続くようになったので もう耳栓を持ち込むのは諦めた。もともと 耳の病気は「耳管開放症」という病気も 高校2年生の頃から何年も続いていたし このアルバイトをしていた時期は 特に「耳管開放症」の症状が強く出ていて 毎日5時間以上くらい 自分の声や呼吸の音が 耳にガンガン響く症状が出まくっていて 呼吸をする時の空気圧で鼓膜が圧迫されて 少し痛むような症状もあったりして そんな時は 仕事には特に集中できない感じで ずっとイライラしている事が かなり多かった。そんな感じで 苦痛なアルバイトを何とか続けながら 福岡大学病院の精神科にも ずっと通い続けていて ひたすらリスパダールを飲み続けていたが この時期は 本当に生きている心地がしないというか 身体は生きているかも知れないが 精神は死んでいるも同然のような感覚の日々を送っていた気がする。そして このアルバイトをしていた時期は まだ「アスペルガー症候群」の確定診断には至ってなかったので(アスペルガーの疑い という曖昧な状態だった) どうしても「アスペルガー症候群」かどうかの確定診断をして欲しいと頼んだら 平成18年3月24日に 「WAIS-R」という知能検査を受ける事になった。そして その知能検査の結果まで考慮してもらった上で やっと「アスペルガー症候群」の確定診断に至ったという感じだった。その時に その検査結果のコピーが欲しいと 主治医に頼んでみたが 通常は渡さない事になっているという風に言われて 拒否されてしまった。納得できなかったが せめて検査結果の詳細だけでも知りたかったので その検査結果だけは教えてもらう事ができた。その内容は 以下のとおり・・・
 
全検査IQ 90
言語性IQ 105
動作性IQ 72
 
言語性検査の下位検査項目の点数
知識 10
数唱 9
単語 9
算数 14
理解 11
類似 11
 
動作性検査の下位検査項目の点数
絵画完成 3
絵画配列 9
積木模様 8
組合せ 6
符号 7
 
こんな感じで 自分なりには ある程度 どの質問も マトモに答えていたつもりだったが やはり得意・不得意の差が大きいようだった。そして このように検査を受けてみて思った事は 僕のように この検査を1回でも受けて その検査結果まで聞いた事がある人ならば 次回からは 更に得意・不得意の差が大きくなるような回答をしようと思えば 出来てしまうんじゃないか?という事だった。その方法を具体的に述べてみると この検査を受けた時の僕は 苦手な事や 良く分からない事であっても 何とか答えに結びつきそうな回答をしたりしたが そういう事をせずに 分からない事は 正直に「分かりません」と言ったり 良く分からない事に対しても 正直に「良く分からないので 中途半端な回答はできません」という風に言ってしまえば 不得意な項目の点数が より低い値として現れるんじゃないか?などと思った。まあ この知能検査の構造の詳細を知らないので それはまだ想像の域の話だが それを試してみて 1回目と2回目では 検査結果に どれくらい違いが現れるのか? という実験がしてみたいという好奇心も 無いわけではない。
そして アルバイトをしていた時期に このようにアスペルガー症候群の確定診断を受けて 平成18年6月ごろに精神障害者保健福祉手帳の3級も取得して その事を 経理部の人や 支社長などに話してみた。もしかしたら「会社が障害者を雇っている」という事になれば 会社に何か利益になるんじゃないかな?そうすれば 僕がクビになる可能性も かなり減るんじゃないかな?などという 愚かなたくらみが キッカケだったと思う。そして やはり逆効果だったというか 平成18年の秋ごろの時期だったか 支社長に呼び出されて 2人きりで話をする事になり 支社長から「今度の年末で退職してもらえないか?」という事を宣告された。正直 少しショックはあったが アスペルガー症候群の確定診断が付く前から いつかは こんな日が来るんじゃないかという事は 前々から覚悟は出来ていたつもりだったし そもそも苦痛なアルバイトだったので 正直 いつまでも続けるようなアルバイトじゃないなとは思っていたので そんなに極端に落ち込むほどではなかったというか 逆にホッとした気分もあったと思う。だが 年末に退職というのは都合が悪かったというか 当時は雇用保険にも加入していた事もあって 来年3月までは仕事を続けないと 雇用保険の加入期間が1年に満たないので 雇用保険がもらえないと思っていて 何とか「3月まで」という事で交渉したら了解してもらえた。だが その後 年末になって会社で忘年会があったので出席した時に 僕は普通に食事などをしていたつもりだったが あの支社長から いきなりビールを頭からかけられて びちょびちょに濡れた。まあ「濡れる」という事自体は そんなに苦痛ではなかったのだが そのイタズラ?を実行したのが あの支社長だったという所が非常に頭に来た。そして更に その支社長から全く感情のこもっていない言葉で「ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~ごめんね~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」という風に 人をバカにしたような卑怯な発言を何十連発も食らった。正直 この支社長が ここまで卑劣な人間だとは想像してなかったし 一瞬 こんなヤツは殺してしまったほうが 世の中のためになるんじゃないかとも思ったが 現在の日本の法律では、どんな卑劣な人間を殺したとしても「殺人」は犯罪とみなされてしまうようで ドラゴンボールのように「悪魔を退治した正義のヒーロー」にはならないと思うので ただひたすら我慢するしかなかった。こんな卑劣な人間が 平気な顔をして「支社長」などという肩書きでエラそうにして この世に存在している事自体が 非常に悲しくて仕方がなかった。こんなヤツが存在するから この世はオカシクなっていくのだろう・・・悲しい事だ。そして 予定通り平成19年3月に退職する事になった。退職はしたものの もう何か 次に向けて仕事を探すという気力もないような感じだったが 正直に言えば 全く働けないような うつ状態という程でもなかったようで どのように表現すれば良いのか曖昧な状態だったように思うが とにかく 「しばらく休みたい!」という気持ちが強かったので 雇用保険はすぐにもらわずに 後からもらえるようにする「受給期間延長」の手続きをした。主治医の診断書などが必要だったようだが 主治医は「抑うつ状態」という風に書いていたようだった。そして その後 約1年間くらいは仕事を探そうともせずに ただ家でやっている事と言えば ひたすら毎日パソコン入力コンクールのタイピング練習に没頭するような日々が続いていて 毎パソの練習と食事以外は特に何もヤル気が起きないというか テレビなども一切 見ようともしなかった。そのような状態でも 毎パソのランキングは 実際に全国でトップ10以内に常に入れる実力があったため 家族などには「1位を目指して頑張っている。」という言い訳が通用する感じだった。たが そうしているうちに 今度は腱鞘炎などの症状に悩まされるようになり 指の痛みでタイピング練習も まともに出来ないような感じに陥ったりして もともと好きで始めたハズのタイピング練習だったのに だんだん タイピング練習も苦痛にしか感じられなくなって行った。そして 貯金していた生活費も だんだん少なくなって来たので まだ働くつもりもない感じだったが 雇用保険の「受給期間延長」の手続きを解除して 雇用保険を受給する事にした。おそらく働く気はなかったと思うが 働く気があるかのように装って 職安の人を騙しているような感じだったと思うので 詐欺罪で訴えられて 受給した雇用保険の3倍返しを食らっても 仕方がないとも思っている。生活費のためとは言っても やはり そんな詐欺行為を行っている自分には 矛盾を感じずにはいられなかった。そんな感じで 雇用保険を受給しながらも やはり仕事を探そうともせずに また毎日パソコン入力コンクールの苦痛な練習に明け暮れるばかりで 平成20年6月の大会では 数字入力部門で やっと初めて1位を獲得したが 一瞬だけ少しの嬉しさを感じただけで その後は逆に 徐々に虚しさが込み上げてくるような感覚だった。それまでは 「とにかく1位が取れさえすれば良い!」という風に思っていたが 実際に1位を取ってしまった瞬間に 「僕が目指していた事は これほどまで儚い幻だったのか?」という感覚に陥ってしまった。スポーツ選手などで「燃え尽き症候群」などという言葉を聞いた事があるけど まさに そういう状態?なのか良く分からないが とにかくタイピングへの情熱のようなモノも 一気に薄れてしまった感じだった。つまり この時の僕は 純粋にタイピング練習が好きでやっていたのではなく ただ単に毎パソで「1位」になりたかっただけというか 「1位にならなければならない!」という強迫観念に支配されて タイピング練習をやっていただけのように思う。そして 毎パソで1位さえ取れれば きっと何かが変わるハズだと思い込んでいたが 結局は 何も変わる事はなかった。一体 僕は何のために生きているのか?何がしたいのか?ますます 何もかもが分からないような感じになって 心の中が すっかり空洞状態になったような感じだった。そんな感じで日々を過ごしていて まだ手の腱鞘炎の具合が良くなかったり 両膝や足首や足の裏の微妙な痛みや 首や肩のこり(特に右側の肩甲骨周辺)の症状や 手足の冷えがあるのに足だけ汗をかいたり 軽い温感じんましんのような症状もあったりもして 何とかしたかったので 思い切って漢方薬局に行ってみた。そして 漢方薬局では 初診の時に約3時間くらい話を聞いてくれて 僕はもともと肺虚の体質で 今は色々と無理がかかりすぎて肝虚の状態にも陥っていると言われて あまり無理をしない生活をする事と 出来るだけ肺をたくさん使う(カラオケで大声で歌うのも良いなど)ように言われた。なので その次の日から 10日以上連続で一人でカラオケ(ヒトカラ)に行って 当時は歌える歌が SAYAKAの「ever since」と ZONEの「証」の2曲くらいしかなかったので この2曲だけを何回も連続で歌いまくっていたが もう少しレパートリーを増やしたくなったので 他の歌も少しずつ聴いてみる事にしてみた。槇原敬之の「どんなときも」とか ゆずの「栄光の架橋」(アテネオリンピックのテーマソング)とか 浜崎あゆみの「SEASONS」とか SMAPの「世界に一つだけの花」とか ポジティブになれそうな歌が いろいろあるもんだなと思った。そして ちょうど26歳の誕生日の平成20年7月22日に 福岡県出身のシンガーソングライターのYUIの歌を 初めて聴いてみたら YUIの歌の歌詞には衝撃的なものが多くて YUIの事が非常に気になってしまい それ以来 YUIの色んなSongsを一気に聴き込んでみた。そして YUIの自作の歌詞の中には「I can change my life」とか「Bye my weakness Bye my sorrow」とか「カンタンに行かないから生きてゆける」とか「こんな風にいつも消えそうなMy Soul」とか「努力を続けた学生だって結果にならなきゃ家族はきっと悲しむ」とか「ちぎれた記憶を辿れば あの頃にだって戻れる いつかの少年みたいに」とか「誰かの言葉に つまずきたくない 惑わされたくない・・・」などという 凄まじいメッセージ性のある歌詞が散りばめられているというか まさに僕へのメッセージであるかのような感覚がして それらの歌詞がストレートに僕の心に直撃してきて 感動しすぎたのか何なのか良く分からないが とにかく1日に何十回も大声で泣きじゃくる日々が1週間以上続いて その泣きじゃくる毎日というのは「心のリセット」をしている感覚というか こんな汚れた大人になってしまった自分の心を 子供の頃の純粋な心に戻しているような感覚だった。そして 完全にYUIの虜になってしまい YUIを知ってから13日目の平成20年8月3日(日)に いきなりYUIのFavorite Placeの「新宮の海」に一人で出かけて 百人以上の大勢の人たちがいる前で 全力大声で「YUIと一緒に 天国に行きたい! 死ぬまで この海で歌い続ける! この世は地獄! 今まで ありがとう!」という短い自作の歌詞の歌?を 何十回も大声で叫ぶように歌いまくっていた。財布など(キャッシュカードも入っている)も砂浜に捨てて 正直 本気で体力が尽きて死ぬまで歌い続けるつもりでいた。はっきり言って「興奮」などという言葉では説明できないくらいの状態になっていて 脳がオーバーヒートして スーパーサイヤ人にでもなっているかのような感覚だった。そうやって しばらく叫び続けていると やはり体力の消耗が激しいのか かなり手のしびれを感じたりもして 何となく死期を感じたというか これできっと 天国に行けるのだと確信していた。だが 警察に通報されて 警察署に連れて行くように言われたので 必死に暴れまくって抵抗しながら 「何百億円の大金をくれると言われても この場所からは絶対に離れません! 僕は この場所を愛しているんです! 愛情って法律とか他人の力で 強制的に引き裂く権利があるんですか?! 警察署に連れて行かれてしまったら 絶対にまた戻って来られるという保証が どこにあるんですか? 警察署に連れて行かれる途中で 交通事故に巻き込まれたりして死ぬ可能性だってあるじゃないですか?!」などと訴えていたが まったく聞き入れてもらえず 4~5人がかりで 力づくで強制的に補導されて警察署まで連行されてしまった。その時 警察は「絶対に あの海にまた返してあげるから」と言っていたので その「絶対に」という部分を何度も聞き返して確認したが とにかく「絶対に海に返す!」と警察は何度も言っていた。そして 新宮の海で補導されたのに なぜか糟屋の警察署まで連行されて いつまで経っても 海へ戻してくれる気配がなかった。そして 実家の家族にも連絡が行ったようで 親が駆けつけて来てくれて どうやら僕の事を 親に引き取ってもらうように勝手に話を決められてしまったようだった。なので また必死に抵抗して「警察が あの海へ絶対に返してくれると言ったじゃないですか! 警察が嘘をついても良いのか?! 結局は テレビ放送で流れている事件のニュースとかも こんな風に 情報をごまかして操作してるんですか?!」などと何度も反論したが 適当な言い訳ばかりをされて相手にされず 夜の11時くらいまで必死に粘り続けたが 結局 海には返してはもらえなかった。そして その警察署の おそらく部長クラスくらいのエラそうな地位の人が 僕の事を精神病扱いするような発言をしたり 僕の母親に対しても「母親がちゃんと見てないから こうなるんです! 困りますよ!」とか いかにも母親が悪者であるかのように決め付けるような発言までしてきて めちゃくちゃ頭に来た。なので「アナタが お母さんの何をどれくらい知っていると言うんですか? それさえも言えないのに お母さんの事を分かったかのような言い方をするのは やめてくれませんか?! そもそも 僕の発言の どこがどんな風にオカシイのか説明して下さい! 嘘をついたり ごまかしたりしてるのは アナタたち警察のほうじゃないですか?!!」などと思い切り言い返してやったら その警察は こっちを睨み付けてきて「はぁ~?」などと言って逆ギレしているような表情をするだけで 結局は マトモな返事は返って来ないまま・・・。なんて頭の固いガンコおやじ警察なんだろうか。こんな感じだったので もう警察なんて信用できないし 議論を続けても時間の無駄だと思ったので 糟屋警察署から新宮の海までは かなりの距離があったが それでも一人で歩いて新宮の海まで戻ろうとしたが それさえも許してもらえず 結局 最終的には家族と一緒に帰る事になってしまった。そして 家族と一緒に自宅に帰る途中で 新宮の海に連れて行って欲しいと頼んでも 家族からもまた拒否されて 車のドアも 内側から開けようとしても開かないように 監禁状態にされていたので 諦めるしかなかった。それで 自宅に向かっているのだろうと思ったら どうも進行方向の様子がおかしく 家族はなぜか家には帰らずに 福岡大学病院の救急外来に僕を連行した。どう見ても そこは救急車で運ばれて来るような救急患者の為の外来だったが そんな所に なぜ僕が連行されなければならないのか不思議でたまらなかった。そして 当直の精神科医と話をしなければならなかったが とにかく「興奮している状態」などと言われて リスパダールを必死に出したがっていたので 「僕はただ 超本気なだけなんです! 本気になったらダメなんですか? それとも統合失調症だとか思ってるんですか?」とか反論してみたが「それ以外の場合でもリスパダールを処方する事もあります」とか言われて ごまかされるような感じで 「じゃあ僕の診断名はカルテに何と書いてありますか?」とか聞いてみても(僕自身はカルテにアスペルガー症候群だと書いてある事は すでに知っていたが) その当直の医者は パラパラとカルテをめくりながら「ハッキリした診断名は書かれてないですねぇ・・・」などと またまた ごまかすような発言ばかりをしていて「ふざけるな!」という感じだった。こんな風に 医者というのは かなり嘘とか ごまかし発言ばかりするので ほとんどの医者は信用も何もあったもんじゃない。だいたい リスパダールを処方するという事は レセプト上は「統合失調症」と書かなければ保険が通らないのではないのか?詳細は知らないので何とも言えないが とりあえず まだ家にリスパダールは30錠くらい余っていたので 家にあるから必要ないと言っているのに リスパダールを何が何でも処方したがるので非常に困った。まあ そこは議論を続けて絶対に譲らず リスパダールは処方させなかった。というか その当直の精神科医が処方するリスパダールと 家にあるリスパダールとでは 医学的には同じ薬なのかも知れないが 信頼性が全く異なるように感じられるというか 家にあるリスパダールなら飲んでも良いが その当直の精神科医が処方したリスパダールは 例え処方されていたとしても 絶対に飲まなかっただろう。それくらい 僕の中では 全く別物の薬としか思えなかった。こんな嘘つきまくり ごまかし発言ばかりをする精神科医が処方した薬なんて 死んでも飲めるか!といった感じだった。そして その診察が終わった後に母親から聞いた話では いつの間にか医者と母親との間で「入院の話」が交わされていたらしく 当時が入院患者が満員の状態だったので 入院させる事が出来なかったなどという話を聞いたので驚いた。なぜ僕が入院する必要があったのだろうか?嘘やごまかし発言など おかしな事を言いまくっているのは医者や警察のほうだし 質問を繰り返しても マトモに返事も出来ないようなヤツらなのに・・・自分たちがやっている事が正しいとでも思っているのだろうか?ただ単に法律的なマニュアルどおりに動いているだけではないのか?どう考えても この世は矛盾だらけのような気がする。他の精神病患者とかも こんな風にして監禁状態にされてしまっているのかと思うと 本当に悲しすぎる。そして次の日は いつもの精神科の主治医と話をする事になって いつもは優しい口調の主治医なのだが この時は明らかに主治医のほうも興奮気味の口調だった。そして 前日に新宮の海に行った事や 警察に補導された事について話していたが 色々と もめるばかりで 結局 何を話していたか良く覚えていないが とにかく主治医から言われて印象的だった事は「1つの事だけを突き詰めても 仕方ない事もある。そんな一直線じゃ幼児と同じですよ?」と言われた事だった。何か「幼児」=「悪い」という意味で医者は言っているような気がしたが その場では すぐには言い返す事が出来ず 結局 あまり納得しない感じで診察が終わって 自宅に余っているリスパダールを飲むようにしてみるように言われた。だが 自宅に帰っても しばらくリスパダールを飲む気にはなれなかった。なぜなら リスパダールを飲むと どうしても思考が鈍くなってしまい 物事を一点集中で考える事が困難になるからだ。そして さっき主治医から言われた「そんな一直線じゃ幼児と同じですよ?」と言われた事について もう少し深く考えてみたが 少なくとも主治医は「幼児の状態を変えたほうが良いですよ。」という意味で あのような発言をしたのではないかと解釈した。僕は こんな現代社会に飲み込まれて汚れてしまった 大人の状態の心をリセットして 子供の頃の純粋な心に戻したいと思って 毎日何十回も泣きまくって 苦労して心のリセット作業を行ったというのに そんな純粋な心ではいけないというのだろうか?不純になれという事なのだろうか?一直線ではいけないという事は「浮気」をしろという事だろうか?結局 いくら考えても分からなかったが 家に帰ってからも 家族からリスパダールを1錠だけで良いから飲んでみるように必死に言われ続けたので 仕方なく飲んでみたら すぐに数時間くらい眠ってしまった。そして その後も 結局はリスパダール1ミリ錠を3~4回くらい飲んでしまって YUI一直線モードが途切れてしまった感じになった。落ち着きはしたが そんな風にしてまで生きている事自体に 何か違和感を感じるというか なんか薬に負けてしまった感じで悔しかった。だが 落ち着いて来た頃から もう少し深く考えたりしてみたら 今度は 自分が「天使」になったような気分になった。カンタンに説明すれば 魂だけが すでに天国(あの世)に行ってしまい 体と心だけが この世に残っているという感じで「羽が生えていない天使」になったという感じだろうか?しかも 精神的な感覚の変化だけではなく 身体的な変化もあったというか 歌ったりしてみると ビブラートが あまりかからなくなっていたり(以前はビブラートをかけたくなくても勝手にかかってしまう感じだった) その代わりに声が出せる音域(声域?)が 半音3~4個ぶんくらい?急に増えて それまでカラオケでキーを3個下げないと歌えなかった ゆずの「栄光の架橋」が そのままのキーでもギリギリ歌えるようになっていたので驚いた。他にも 音楽鑑賞をする時も それまではボーカル中心で聴こえていた感じ?だったと思うが 他のドラム音やギター音などが それまでとは聴こえ方がまるで違って聴こえるというか そういう周囲の楽器の音を拾える能力が明らかに高まった気がした。ドラゴンボールで言えば 純粋な心と激しい怒りによって スーパーサイヤ人に変身したという感覚だろうか。まあ こんな発言を医者の前でしたりしたら たぶん「妄想」とか判断されてしまって「統合失調症」とか言われてしまう可能性がありそうなので黙っているが 正直 僕の心の中では こんな風に確信してしまっている。そして 以前は「自分は神になった」と思っていた時期があったが あれは間違いだった。なぜなら 本当に神になれたのなら すべては思い通りになるだろうし 何の争いも起こらない平和な生活が すでに出来ているハズだからだ。だが 実際には 思い通りにならない事ばかりなので 神になったのではなく やはり「天使」なのだろう。そして僕は「天使」として 未だに生きるか死ぬかの争いばかりを繰り返している この世界を平和にしていくために 天国から この世に送り込まれた存在なのだろうという気がしている。バカげた話だと思う人もいるだろうが おそらく99%くらいの凡人には なかなか理解できないだろうから 仕方がないかも知れない。そして これから「天使」として何をやっていくべきか?という事を 色々と考えて迷っている状態だが とにかく生きているうちに確実にしなければならないな事は「YUIに会う」という事だろうと思っている。そして 本当にYUIの事が誰よりも好きだと言える自信があるので 万が一 YUIと彼女とか夫婦の仲になれる可能性があるとしても それだけは望まない。なぜなら YUIには みんなから愛され続ける存在であって欲しいと願うからだ。なので YUIとは「友達」でいたいと思っている。そして 友達同士として協力しながら この世に「天国」を実現させるための活動に努めたいと思っている。その為には どんな手段があるかを あれこれ考えていたが やっぱり僕も シンガーソングライターという道に進んで YUIの後を追いかけて あわよくばYUI以上のアーティストになってやろうじゃないか!というくらいの気合で 何としても シンガーソングライターとしてのレベルを そこまで到達させたい。その可能性はゼロだとは言い切れないだろうし 不可能だと決め付けてしまったら 僕の人生というモノは 存在しなかったも同然だ。たとえ億万長者になれるとしても 高級車や豪邸やダイヤモンドが何百個手に入るとしても 天皇や総理大臣や大統領になれるとしても オリンピックで金メダルが取れるとしても そんな くだらない物事から すべて興味を失わせてしまった存在がYUIなのだから もはやYUIに会うために そして この世に「天国」を実現させるために 今 僕は生きているのだろう。
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発達障害の原因は親

2015年01月29日 18時31分46秒 | アスペルガー自閉症

また思い出してたよ、この記事↓

発達障害者支援センターに電話してみた。

先日 母親から言われたんですよね。
「なんで20歳をすぎても今も食べさせてあげないといけないのか?自立してもらわないと困るのに。こんな事になるなら結婚なんてしなければ良かった。」
・・・・・まあ ひどく落ち込みましたね かなり泣いたりもしたし また死にたくもなったね・・・この時は。
だって「僕なんて生まれて来なければ良かった」って言われてるのと同じでしょ?

・・・っていうか、昨日「死んでもいいよ」って言われたような気分だった(泣)
息子の命を助ける事よりも、世間様に迷惑を掛けないようにして、自分のメンツを守ることが優先ですか?

この前までは 両親なんて 僕を機械的の育てているだけの ロボットみたいな存在でしかなくて 僕自身の存在もまた そんなロボットたちの指示通りに動くために生み出されたロボットのような存在みたいな感じに思ってたけど(今も半分くらいは まだ そんな風に思ってるけど)もっと人間らしい?親子関係みたいになれるのを 僕は望んでいるのかな?

そうだよ、今でも望んでるよ、でも上手く行かないんだよ。
なんで、アンタらは、そんなに自己中なんだよ?!
人が言う事に対して、すぐに「ソレハチガウ、コレガタダシイ」って、マジでロボットかよって・・・
●●は××だから「そんなハズはない!」って、なんで別の視点から考えようとしない?
そんなに同じような脳みそしか使わなかったら、脳が萎縮して認知症になるよ?
「正しさ」とか「意味」とか「理由」ばっかり求めて、感情的な温もりが全く感じられない・・・
それどころか、こっちが感情的になると「アンタ何を言ってるの?冷静になれよ。」って、アンタらのほうこそ植物かよ?!
批判してるんじゃなくて、ただ、疑問点を指摘してるだけ・・・

「なぜ、これが分からないんだ!」

だから、批判してるんじゃなくて、疑問点に気づいて欲しいだけ・・・
もうちょっと頭を使ってから、結論を言えよ。
もしかして、アンタらは、神様に化けた悪魔なの?

FLOWER FLOWER「神様」の歌詞↓
http://www.uta-net.com/song/164256/


まあ・・・両親を責めても、何も解決しないって事くらい分かってるよ。
でも、発達障害っぽい人たちに育てられたら、そりゃ、子供は親の言うことを疑う余地なんて無いんだから、子供も発達障害っぽくなってしまっても当然だよね?
だからと言って、両親を責めるんだったら、両親だって、それぞれの自分の親を責める事が出来るようになるし、さらに何世代にも渡って、ご先祖様たちに「アンタらのせいだ!」と言わなきゃいけなくなってくる・・・

発達障害の原因が親にあったとしても、親を責める事が出来ないのは、その辺りに理由があるんだろうね。
でも、誰からも責められないからって、自分は何も変わらなくて良いっていう意味じゃないんだよ!!


「発達障害は生まれつきで治らない」という考え方は治りませんか?
http://blog.goo.ne.jp/rollingstar648000/e/1bb77511921eb2cbe8a01905876cc79a

この記事で書いた事は、今、読み返してみても、特に大きな疑問を抱くような所はないけど、治るためには「自分が治ろうとする意思があるかどうか」っていう所に、大きなカギがあるような気がしてきたね・・・
つまり、そういう自覚がない人には、いくら何を言っても治らない。
医者たちも、発達障害センターの人たちも、そりゃ大変だよな・・・なんて思った。
だって、もともと思い込みの強い人たちが「発達障害は治らない」って信じてるんだから。
ねぇ、自閉症協会の人たち、本当に、このままで良いと思ってるの?
いつまで「ナオリマセン」「ナオリマセン」って、オウム返しを繰り返すの?

それにしても、障害年金2級の申請の時に提出した、約85000文字に渡る文章、ちょっと読み返したりしてたんだけど、子供のころから、キリスト教会に連れて行かれてた話とか、ちゃんと書いてたんだな・・・
保育園の時には、母親の絵を描く課題で『母親の顔が思い浮かばなかった』から、他人の絵をカンニングして描いたとか言ってるし・・・
中学生の時には、部活の先輩を殺す事を考えていたとか(汗)
その後も、痴漢行為を3~4回やったとか、自分を殺そうとしたとか(自殺未遂)、アルバイトの社長のような卑劣な人間は殺してしまったほうが世の中のためになるとか・・・

そして、新宮の海で「YUIと一緒に天国に行きたい!」とか叫び続けて警察に強制連行されたのは、2008年8月3日の出来事。
そして、YUIが1回目の活動休止を発表したのが・・・
2008年8月29日

以前から、このブログを見てくれてる人だったら、何となく気づいてたかも知れないけど、僕自身も、それ以上の事は何も分からない。
でも、もしかしたら・・・なんて思ってるし、反省もしてる。
ごめんなさい

こんな僕が、大きな前科とか付かずに、今まで生きてこられたのは、そのほうが奇跡だったのかも知れないね。
それにしても、なんで、こんな人間が育つんだろうね?
何が目的で、僕は、こんな恥ずかしい文章を書いてるんだろうね?

Am I wrong?


「発達障害は生まれつきで治らない」という考え方は治りませんか?

2012年06月09日 00時15分36秒 | アスペルガー自閉症

今もまだ、「発達障害は先天性の脳機能障害であって治る事などあり得ない!」などという、どこのヤブ医者が言い出したかワカランような、誤った医学常識に洗脳されている人は、アップしている写真の本『発達障害は治りますか?』を読んでみると、きっと今までの常識が、ひっくり返ると思いますよ!

・・・って、ちょっと挑戦的な書き方をしてみたけど(汗)
先日から、記事やコメントの中で、「発達障害は治りますか?」という本の事について、ちょこちょこ触れてはいましたけど、まだ僕自身も、もうちょっと読み込みが足りてない感じはあるんですけど、「内容を完全に理解してから記事を書かなければ!」とか言ってたら、いつまで時間が掛かるかワカランので、とりあえず現時点で理解している事を、ちょっと書いておきます。

この本の主役?の神田橋條治先生の話では、「発達障害者は発達する」「知的障害の人も、知的に発達する」などなど、つまり現時点では「治る」とまでは言い切れないのかも知れないけど、改善が出来るという事は明らかのようです。
それで、そもそも「発達障害とは何か?」という事については、知的障害も含めて、脳にシナプスの発育のおくれがあって、シナプスの結合ミスが起きているという事であって、どの部分が、どの程度、発育がおくれているかによって、本来、症状は千人千通りであって、今のDSMの基準による診断のように「アスペルガー(自閉症)」「ADHD」「学習障害」「知的障害」などという大雑把な分け方をするべきものじゃないようです。
今の鑑別診断は、そういう粗すぎる診断しかしてないから、どんなに正確にDSM基準で診断したところで治療に結びつかないどころか、「今この人に何をすれば良いのか?」という治療のアイデアそのものが浮かんで来ない状況になっている!という風な事も語っています。
そして、「みんなみんな発達障害だ」という言葉も何回か出てきてたと思うんですけど、つまり、発達障害とは診断されない一般的な人も含めて?、遺伝子にプログラムされたとおりに、発達の段階で、ずーっとシナプスが繋がるのは奇跡のようなもので、シナプスの発育ミスが全くない人というのは、ほぼ皆無?のようなので、そういう意味では、一般的な人の「個性」と呼ばれるものと、「発達障害」との間には、明確な境界線があるわけではなく、きれいな連続性があるという事らしいです。
つまり、一般的な人の「個性」と呼ばれるものを「ごく軽微な発達障害」と言う事もできれば、病院で「発達障害」と診断される人の事を「生活に支障が出るほど個性が強すぎる人」という風に言う事も出来るし、「発達障害は、部分的な知的障害」という言い方もできるみたいです。
結局は全部、「シナプスの発育ミス」が原因なので、これからは、どの部分が、どの程度、発育がおくれているのか?という視点からの新たな診断法を作る必要があって、その診断が治療に結びつくように、どんな治療法(運動、リハビリなど)が、どんな発達障害パターンの人にとって、脳のシナプスを繋げたり代償的なバイパスを育成する為に有効なのか?という研究を重ねている段階のようなんですけど、そんな風に「発達障害の一次障害」と言われる根本的な部分から治そうと研究を続けている人たちは沢山いるらしいので、こういう話を聞くだけでも心強いですね!
もはや、「発達障害は治せる!」という医学常識のほうが一般化するのは、時間の問題のような気がします。
それから、今のDSM基準の診断法による「自閉症」とか「ADHD」などという概念は、将来的には消滅するのかも知れないという印象も受けましたね。
そして、「発達障害は先天性の脳機能障害であって治る事などあり得ない!」という今の定説のほうが、実は決定的な医学的根拠が何もない、ゴミのような俗説だったという事にも気づいたというか、本当は、ただ単に「今の医学では発達障害の原因も治療法も良く分かってない」というだけの事だったのに、いったい誰が「治らない」とかいうデマを流行させやがったんだろうね?(怒)
そんな僕も、ずっと「治らない」って鵜呑みにしてしまっていて、何年も信じ込んで生きてきたけど、ずいぶん人生を振り回されてしまったな・・・愚かすぎる痛い思い出がいっぱい(泣)
まあ、それでも、どうにかこうにか、死なずに生き延びて来られたから良かったけどね(汗)
で・・・「発達障害は生まれつきで治らない」が定説になってしまった理由については、3つくらい書いてあったと思うけど、1つ目は「発達障害の原因は、親の育て方に問題があるからだ!」という風に世間では言われていて、親の責任にされていた時期が長かったので、その名誉回復のために「育て方の問題によるものではなく、生まれつきの障害だ!」という風に強調しなければならない時期があったという事。
それから2つ目は、「発達障害とは何か?」という事を、シナプスの発育ミスなどという脳神経レベルの話で理解している医者が、ほとんど存在しないので、発達障害の人に対して、どんな治療をすれば良いのかが分からないどころか、新たな治療法のアイデアさえ考えようともしないヤブ医者たちが、勝手に「治らない」という事にしてしまったというか、そうしておけば、医者たちは治せなくても治療技術の未熟さについて、責任を問われる事がなくて都合がいいからっていう理由もあるようで、つまり「治らない」というのは、いわばヤブ医者たちの「言い訳」とか「開き直り」と言っても過言ではないようです。
アインシュタインの名言に「何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。」っていう言葉があるんだけど、まさに、こういう事を言うんだろうね。
それから3つ目は、いくら努力しても人生が上手く行かない、発達障害が未診断の当事者の人たちに、自分の工夫の下手さの責任を軽くしたり、一生懸命やっても上手く行かない理由を知って納得したいという願望があって、それで医者から「もともと脳が悪いんだ!だから努力不足じゃないんだ!そして治らないんだから、無理して周囲に合わせる必要はないんだ!自分らしく好きなように生きれば良いんだ!」などと言ってもらえば、納得できて落ち着いたり、非常に責任が回避されて、うつ状態が良くなったりするので、そのために「発達障害という診断を付けて欲しい!」と病院を訪れる未診断の当事者が急増していて(たぶんインターネットの普及の影響もあるだろうね)、そのニーズに応えるために、医者たちも「生まれつきで治らない」という事を言い続けなければならない状況になっているのが、なかなか「発達障害は改善できる」という考え方が広がらない原因として背景にあるような気がします。
というのも、僕自身が同じような経過をたどっているというか、まだアスペルガーが未診断だった頃は(もう7~8年前になるけど)、とにかく焦っていたというか、いくら頑張っても上手く行かない理由を知って納得したかったし、「努力不足じゃなかったんだ!」みたいに責任を軽くしたい願望もあって、それで検査してみたら、晴れてアスペルガーの診断を獲得しました!みたいな感じだったんだけど(ぉぃ)
でも、それで気持ちが落ち着いたり、うつ状態が良くなったりするのって、一時的なものでしかないというか、診断されて2~3年もしてくると「このままで良いんだろうか?」「こんなハズじゃない!」みたいな気持ちが、やっぱり噴出してくるんだよね(汗)
それで、漢方薬局に行ってみたり、かみ合わせ治療で脳機能の改善を試みてみようとか、そんな風になってくるワケで・・・(笑)
ちなみに、この本では「統合失調症と発達障害の違い」についても触れてあるんですけど、この2つは表面的な状態だけで見ると区別は困難なんだけど、決定的に違うのは、統合失調症の人は、世の中の片隅に居場所を見つけて、落ち着ける環境で、じーっと暮らし始めて、自分が成長する事を、どこかで諦めてしまうのに対して、発達障害の人は「もっと自分は良くなるハズだ!」という思いが永遠にあって、自分が成長する事を諦めずに求め続けるという所らしいです。
なので、発達障害という概念がなかった一昔前は「統合失調症」と診断されていたけど、最近になって、実は発達障害だった!という風に診断が変わる事も起こっているそうです。
こんな話を聞いてて思うのは、逆に「発達障害」という診断をされて、「治らない」という話を真に受けて、自分に合った環境を見つけて、そこで成長する事を諦めて、ひっそりと生活して満足しているような人は、実は「自分は発達障害だと思い込んでしまっている統合失調症」じゃないの?っていう気もするけど、どうなんだろうね?

・・・で、ちょっと話を戻すけど、運動(リハビリ)によって、脳のシナプスを繋げたり代償的なバイパスを育成する事が出来ると分かったのは、今までは脳の構造が身体の機能を決定するとされてきたけど、そうじゃなくて、身体の機能が脳の構造を変える事があるという事が分かってきて、運動することによって神経細胞を育てるのに役立つ神経栄養因子が増えるとか、高齢者でも神経細胞が増えるというエビデンス(脳科学的な?)が出てくるようになったからのようです。
それから、脳卒中の例でも、野球の長島監督とか、サッカーのオシム監督とかも、リハビリによって歩けるようになったり、しゃべれるようになったりしてるのに、なんで発達障害というパターンの脳機能障害の場合は「治らない」と言い切れるのか?などとも語られています。
そう言えば「脳卒中」については、先日の水曜日(6月6日)の「ためしてガッテン」で、「つかむ!歩く!脳卒中 夢のリハビリ最前線」というテーマで放送されてたらしいけど(僕はAKBの総選挙のほうを見てて、見逃してしまったので、6月12日(火曜日)の16時5分からの再放送をチェックする予定ですけど、汗)その放送内容については、「ためしてガッテン」のサイトに、すでに文章でまとめられてたので読んでみたんですけど(下記アドレスのページ)
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120606.html

このサイトでも、脳卒中による麻痺のリハビリは、正しい運動を繰り返すことによって、新しい神経ネットワークを作ることを目指しているとか言ってますね。
そして、今まではリハビリによる改善の効果は、脳卒中を発症してから6ヶ月間しか効果が望めなかったけど、最近は新しい治療法が出てきて、10年間も改善しかなかった右手の麻痺が、脳に磁気刺激を与えてリハビリを行ったら、右手で物をつかめるまで改善したとか書いてあるけど(詳細はサイトを見て下さい)、やっぱり脳機能の治療法の研究って、まだまだ未知の領域になってる部分が多そうというか、これからも、どんどん新しい治療法が開発されて行くんじゃないかな~っていう気がしますね!
で、このサイトの記事を読んでて、ちょっと気になったのが、脳には「大脳半球間抑制」という働きがあって、脳全体が正常に働いている時は、右脳や左脳が働きすぎないように、お互いに相手を抑え合っているらしいけど、脳卒中になって、どっちかの脳が機能不全になると、もう片方の脳の抑制が効かなくなって、そっち側の脳ばかりが暴走するようになるなど、脳全体の機能のバランスが崩れて、そうなると身体の筋肉が硬直してきたりして、リハビリをする事自体が困難になってしまって、新しい神経回路を作るチャンス自体が失われてしまって治療困難になる・・・みたいに悪循環にハマって抜け出せなくなっている印象を受けるんだけど、こういう仕組みって、発達障害の場合も似てる気がするというか、発達障害はシナプスの結合ミスが起きているという事なので、シナプス結合ミスの部分が機能不全になっていて、その機能不全の部分が本来は抑制するはずの他の色々な脳の部分が暴走してしまって、脳全体の機能のバランスが崩れていると考えれば、結局は発達障害の場合も、脳卒中の場合と同じような悪循環にハマって抜け出せなくなっているだけのような気がするね。
だから、「発達障害は治りますか?」の本でも、神田橋先生は、治しやすい部分から治して行って、それによって、いくらか症状が減ると、それまでよりも自然治癒力が回復してきて、最初は治療しにくかった部分も、治しやすくなって行く・・・という好循環を繰り返す事で、発達障害は、どんどん改善して行くというような事を言ってたと思うけど、その通りなんだろうね。
結局は、脳卒中にしても、発達障害にしても、「悪循環の仕組みが複雑すぎて、どこから手をつければ良いのか分からない」から「治らない」という結論になってしまうのであって、その仕組みさえ分かってしまえば、脳卒中で10年間も改善しなかった右手の麻痺が改善したりするんだから、本当は治らないワケじゃないんだよね。

そして最後に、最終的に「発達障害が治った」と言える状態って、どんな感じなんだろう?って考えてみたんだけど、それは「仕事ができている」とか「親しい友人や恋人がいる」とかいう、表面的な状態で判断できるものじゃなくて、最も重要なポイントは「周囲の環境や状況の変化に柔軟に適応できるように脳機能が改善する」という事であって、ワンパターンな暗記によって、何とか特定の環境の中で社会生活が出来ているという事ではないんだろうなという気がします。
だって、発達障害が根本的に治ってないなら、周囲の環境や状況が変化するたびに「ワンパターンな暗記」が通用しなくなって、パニックになったり振り回されたりの無限ループが続いて、また新しい「パターン暗記」に頼らなければならないという、そんな繰り返しが死ぬまで続くだけで、「そんなんじゃ、やってらんねーよ!!!」って感じだよね(汗)
で、そういう考え方に至ったヒントとして、「発達障害は治りますか?」の本の161ページあたりの「自己実現」のところに「自己実現している人は硬い所がなくなって寛容になるので、フレキシビリティ(柔軟性、融通性、適応性)が高まる」というような事が書いてあったんですけど、もし本当に発達障害の人のフレキシビリティが高まってくるという事があるなら、一般の人の「個性」と呼ばれるものと「発達障害」との間には、きれいな連続性があるんだから、フレキシビリティを極限まで高めて最終的な到達点?のようなレベルまで行けば(そこまでシナプスの発育レベルが到達すれば)、一般の人の「個性」と呼ばれる範疇で収まってしまうレベルまで行けるんじゃないか?って思うんだけど、どうなんだろう?
そして、そこまでフレキシビリティが高まれば、自己実現(神田橋先生によれば、自己実現というのは「遺伝子ができるだけ開花すること」らしい)にも繋がってくるだろうし、そうなると目標も現実的なものになってきて、非現実的な目標に執着してストレスを抱えて悲観的になったりする事もなくなって、自分で自分の事も分かるようになってくるらしいです。
そうやって、周囲の環境や状況が変化しても、自分で柔軟に適応できるようになって、体調や精神面での不安定さも無くなって、病院や支援団体ともサヨナラして、社会的に自立して何らかの職業を持って生活していて、友人との関係も良好になって、恋人も出来て・・・って、そんなレベルにまでなったら、もう「障害」じゃないやんか!!(笑)
そんな日が来るかな?
来て欲しいな・・・というか来い!!
絶対に来る!!!

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