里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

福山藩初代藩主の家紋

2010年01月26日 | 歴 史
久し振りに福山城へ登城した。


初代のお殿様は徳川家康の従弟の水野勝成だ。

銅像の顔は優しそうで、家紋はオモダカの葉と可愛い花だ。
ところがこのお殿様、若い時からの乱暴者で初陣の18歳にして首15級を挙げたという剛の者で、戦場での働きにはめざましいものがあったという。
どうも不釣合いな家紋だと思ったが、オモダカやトンボは“勝ち草”や“勝ち虫”と呼ばれ、武士に好まれて家紋に採用する者も多かったらしい。

“オモダカ”の名前の由来は、葉が人の顔に似ていて、しかも柄の高い所へつく事から
“面高”と名付けられたという説があるらしい。
一方の“勝ち草”については、葉の形が鏃に似ている事から名づけられたというが、私
の百姓の経験からは、その旺盛な繁殖力から“雑草の勝ち組”という意味で名づけられ
たように感じる。

(オモダカの葉)


(オモダカの花、左:雌花、右:雄花)



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2 コメント

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知らなかった~ (aki)
2010-01-27 20:43:04
福山城のお殿様が家康の従兄弟だったなんて知りませんでした。
歴史は紐解くと面白いですよね。
銅像のお顔は温厚に作ってあるのかな?
家紋はいろんな植物が使われていていわれを調べると
いろいろ解るのでしょうね。
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家紋 (仙人)
2010-01-28 14:05:16
水野勝成は、西国に強力な外様大名が多かっただけに、それらを抑える為に登用されたといわれています。
鬼日向(日向守)といわれるほど乱暴だったそうですから、銅像のような穏やかな顔をしていたとは到底思われませんね。

家紋も以前調べてみたのですが、植物・動物・器材・建造物・文様・天体・文字など何千もありました。
なにしろ、自分の家を代表するだけに、家紋についても随分こだわったのでしょうね。
仰るように、そのいわれも調べて見ると面白いと思います。 また折を見て調べてみます。
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