里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

神秘に包まれた星居山

2011年08月29日 | その他
神石高原町の星居山(ほしのこ山、標高835m)には、
「今から約1400年前に “三つの星” が降って来た」
という言い伝えがあるそうで、面白そうなので訪ねてみた。

駐車場に到着。   右側にドコモの中継塔が立っているのが山頂だ。
一帯は“星居山森林公園”として整備され、研修施設や遊具、テニスコート、キャンプ場、バンガローもあり、訪れる人は若い家族が多いようだ。

受付で入園料300円を支払う。

領収書には、
「有限会社三和農業公社之印」が押されていたが、聞いてみると、
ここも嘗てはお役所が経営していたのが行き詰まり、今は地元の有志の人達が主体で経営しているそうだ。
いずこも同じだ!
受付棟の裏手に回り、先ず“星の池”を覗いた。
ほんの水溜り程度の池だが、
「孝徳天皇の時代645年に、この地一帯に星が
 降り、それを伝え聞いた天皇が自ら来訪し、
 天から降った“三つの玉”を祀ってこの山を
 “星ノ居山”と命名した。
 又、聖武天皇が726年に行基と来訪した際に
 も“三つの星”が降って来た」
という言い伝えがあるらしい。
ゲートを潜り、遊具の間を通り抜け、
いよいよ登山開始。

登山道は良く整備され、登りも緩やかだ。
あっという間に山頂に到着した。

展望台からは360°の視界が開け、東に瀬戸大橋、北に大山、南に四国連山が見えるらしいが、案内図を見てもサッパリ分らない。
展望台の脇には三角点があった。

標高は835mで、広島県下92番目だが、神石郡では一番高いそうだ。
その隣には宝篋印塔(ほうきょういんとう)があった。
墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、嘗て孝徳天皇の御陵所だったという説と、性空上人(※)の廟所として1,005年に建立されたという説があるらしい。
 ※平安時代中期の天台宗の僧で山
  岳で修業した後に書写山・圓教寺
  を創建した。
登って来た登山道の反対側へ少し下った所へは精土山星居寺という小さなお寺があった。
真言宗醍醐派に属し、嘗て多くの天皇が参詣したとか、多くの僧侶が修行した、と伝えられているそうだ。
古くから山岳仏教の聖地として崇められ、中世まで女人禁制の山とされていた星居山も、修験者の減少とこの地方の過疎化でスッカリ廃れてしまい、今は見る影も無い!
車で帰る途中、道路脇の林内には
性空上人の硯岩なるものもあった。

星居山に、このような色々な言い伝えがあるのを初めて知った。
三つの星”の痕跡も無く、修験道の隆盛も不確かな話だが、神秘的な話を楽しませて貰った!

修験道
日本古来の山岳宗教と、神道・密教(仏教)・道教(中国古来の民間信仰)などが
結びついて平安末期に成立した宗教で、霊験を得る為の山中の修行と加持・祈祷、
呪術儀礼を主とする。
明治政府の“神仏分離令”で廃止されたが、その後仏教系と神道系に分かれ、現在
でも信仰されている。
 ※加持祈祷:病気・災難などを払うために行う祈祷又は儀式。
 ※呪 術  :神や精霊などの超自然的な力や神秘的な力に働きかけ、種々の願望
         を叶えようとする行為及び信念。
 ※開 祖  :役小角(神変大菩薩)。 生没年は不詳。
         奈良時代に大和国葛城山で修行し吉野の金峰山や大峰山などに霊場
         を開いたが、文武天皇(697~707年)の時に讒言によって一時伊豆
         に流された。


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