徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

番犬メロと私-メロの53回忌に寄せてー

2016-02-21 22:41:49 | フラッシュバック
「クゥーン、クゥーン」
メロの鳴き声がする。
私は廊下に走った。
廊下の下の縁の下がメロの寝床。
廊下の隙間からメロの様子を伺った。

よく見えない。
でもまたクゥーン、クゥーンと鳴く。
「メロ・・・」ってそっと呼んだ。

メロは13歳。もう老犬だ。
足腰も弱くなっていた。
ここ2,3日、こうしてクゥーン、クゥーンと鳴く。
13歳の私は、胃が痛くなりそうだった。
何にもできない・・・。

次の日の朝。
いつもはメロのいるところを回って中学校に行く。
けれど父が言った。
「今日はこっちから行け!」
有無を言わさぬ調子で、
メロの前を通らない方の道から行けと言うのだ。
私は胸騒ぎがした。
メロの声は朝は聞こえなかったから。
でも父に「どうして?」と聞く勇気はなかった。

夕方下校した。
縁の下にメロはいなかった・・・。

母が言った。
「メロは死んだのよ。
お父さんが毛布にくるんでお庭の隅に埋めたの」

私はすぐに飛んで行った。
「メローッ!!」
涙が出た。

メロはこんもりした土の下に埋まっていた・・。


祖父が亡くなったのは小学校3年生の時。
お葬式の時は泣かなくてはいけないと思っていた私。
ところが、いくら泣こうとしても涙が出なかった。
でも、メロの時は違った。
あとからあとから涙が溢れた。

メロは私が0歳のとき、
父が会社の帰りに拾ってきた。
子犬の野良犬だった。
何でも、父についてきたという。
犬好きの父は迷わず拾ったのだろう。

子犬ということもあって、
初めは家の中で飼っていたらしい。

あるとき、メロはまだ寝ているだけだった私の
布団の上に乗ってしまったという。

母はメロを飼い続けることに反対した。
父は仕方なく、かなり遠くにメロを捨てに行った。

ところが・・・、
一週間後にメロが家に現れたという。

そして再び飼い犬となったが、
以来、メロを家のなかには入れなかった。
彼の縁の下生活が始まったのである。

私が生後半年を過ぎた頃、
私たち家族は祖父母の家に同居することになった。
メロも一緒に引っ越した。

「メロ」、ちょっと変わった名前だ。
これには訳がある。
父は、10代の後半にインドネシアのスマトラ島で、
ゴムのプランテーションの仕事をしていた。
もともとインドネシアはオランダ領。
そのオランダを追い払って、日本が植民地にした。
だから、父の住んでいた家は、
直近までオランダ人の家族が住んでいた。

彼らは犬を飼っていた。
けれどオランダに引き上げるとき、
その犬は家に残された。
その犬を父はそのまま飼い始めた。
父が、現地で軍隊に召集されるまで、
その犬と共に生活していた。
その犬の名は「メロ」。
多分オランダ語なのだろう。
意味は分からない。
このメロはまたしても主人に
置き去りにされる運命となった。

一方、父は捕虜生活を経て復員した。
そして結婚して、私が生まれた。
その時に拾った子犬にも、父はメロと名付けた。
「スマトラのメロは利口だったからなあ。
黒い犬だったんだ」と父。

このメロも含めて、父は合計4匹の犬を飼った。
いずれの犬も名前はメロ。
拾ってきた犬も黒い柴犬の雑種だった。

私と同い年のメロ。
犬は人間よりずっと早くに大人になる。
一方私はまだ幼かった。
だからメロが怖かった。

メロは強者で、発情期になると鎖を引きちぎって、
彼女を求めて放浪することもあった。
挙句に「犬殺し」(野良犬を捕獲する保健所の職員)に
捕獲されてしまったこともある。
父が引き取りに行って一命をとりとめたことも
一度や二度ではなかった。
でも、メロは番犬の役目も忠実に果たした。
ペットではない。番犬だったのだ。

私がメロの散歩を一人でできるようになったのは5年生の時。
父が行かれない平日に散歩に連れていくことも多くなった。

そしてそのあたりから、メロは私の話の聞き手となった。
学校から帰ってくると、よくメロのところに行った。
そしていろんなことを話した。
そんな時、メロはきちんとお座りをしてじっと聞いてくれた。

母にも言わないことをメロに言うこともあった。
それは黙って聞いてくれるから。

こうして6年生、中一の頃の私は、
メロにずいぶん助けられた。
私は中一、13歳。メロは老年期の13歳。
思春期に足を突っ込んだ私には
メロはなくてはならない存在だった。

13歳になる頃から、少しずつ足腰が弱くなってきた。
でそれも「メローッ」て呼ぶと、必ず縁の下から出てきた。
そして話を聞いてくれた。

そんなメロが天国に旅立ったのは、
2月17日。曇り空の寒い日だった。

メロはペットではなかった。
私の話の聞き役も務めてくれた。
だから、ペットだなんてとても言えない。

多感な時期の子どもたちには
家で一緒に暮らす動物は格別の意味をもつのだと思う。

メロが亡くなった日が来るたびに、
今でも悲しくなる私がいる。
もう、大概のことでは涙が出ない私だというのに。

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1 コメント

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Unknown (ururu)
2016-02-23 23:25:35
ステキなお話・・・ありがとうございます。
私が子供頃飼っていた犬も、全部父が貰って来た?拾って来た?・・・
そんな犬たちでした。
で、そのワンコたちからいっぱい色んな思い出を貰いました。

ホント!
「格別の意味」をもつていたのだと思います☆
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