千鳥ヶ淵近辺。
桜の季節の人出での賑わいが一段落したころ、
今度はマンモス大学の入学式ラッシュとなる。
それは日本武道館があるから。
お花見シーズンと違うのは、
若い男女のスーツ姿であふれること。
そこに交じって、親と思われる40代と思しき夫婦連れ。
母と娘の並ぶ姿。
そして今年目立ったのは、息子と母が並んで歩く姿。
最近は入社式にも親が来てしまうというくらいだから
入学式に息子と母が一緒なんて、当たり前の風景か・・・。
と、思いながら歩いていると、
私の数メートル先を歩く息子と母がいた。
明らかに入学式に出席する服装。
でも武道館とは反対方向に歩いている。
どこか別のところで用を済ませてから行くのかな・・・、
なんて考えながら私も後ろを歩いていた。
ふと見ると、母の手にはA4サイズの紙が握りしめられている。
遠目にもそれはGoogle Mapを印刷したものであることが分かった。
やっぱり、武道館を目指しているのだろうか。
「こっちでいいのかしら・・・」(母)
「・・・・(無言)」(息子)
「なんか、違うような気がするわ」(母)
「・・・・(無言)」(息子)
やっぱり武道館を探しているんだ。
ちょっと行って、場所を教えようかななんて思っていると、
反対方向からやはり入学式に行くと思しき学生の集団が歩いてきた。
「やっぱり反対だったんだわ」(母)
「・・・・(無言)」(息子)
そしてその母と息子は踵を返して
その学生集団に交じって武道館の方に向かっていった。
「えっ、いったい誰の入学式????」
私は思わず叫びたくなった。
だって、入学式の主体は入学する息子でしょ!
マップをもって歩くのは息子であるべきでしょ。
何で、母親がマップをもって右往左往しなくちゃいけないの?
母親が地図を片手に、迷ったかなって思っているのに
全く無反応の息子。
そして、独り言のように言葉は発しても
息子に相談するという様子もない母親。
それは今まで母親がすべて息子のことを決めてきたからなのだろうか?
その結果としてこうなっちゃったのだろうか?
私は職業柄、オープンキャンパスのときの進学相談を務めることがある。
ここ10年間そこで一貫して起こっていることは、
まず、オープンキャンパスに
高校生が一人で相談に来るケースが極端に少ないことだ。
女子大ということもあり、80%以上が母と娘という組み合わせ。
そして10%くらいが高校生の友達同士。
残りの5%が高校生一人という割合だ。
そして、質問の時、
母娘のコンビの場合およそ95%の質問は母親から発せられる。
その横にちょこんと座る娘は
「うん」とうなづくか「ううん」とかぶりを振るだけ。
いったい入学したいと思っているのは誰?と首まででかかる。
が、相手はお客様。
にっこり笑って母親の質問に丁寧に答える商売人の私・・。
ほんとうにこの学科に入りたいのかなあ。
母親は出口、つまり就職状況はどうなのかを躍起になって聞くいてくる。
なんか違うよなーと思い続けていた。
これは女子大特有のこととも思っていた。
でも今日の母息子に出会って、これはそういうことではないって思った。
親っていうのは、良かれと思って、
子どもが自分で考える前に先取りして、
転ばないようにしていることが多いのかも。
自分の胸に手を当てて考えてみると、
私もそうだったと思うこともいっぱいある。
特に第一子との関係はそうなりがち。
子どもが少なければ、ますます親の目は行き届く。
行き届きすぎて、いつの間にか
自分のことを自分のことと考えない子どもを育てているのかもしれない。
でも、どこかで特に母親は
子どもが自分の所有物でないことに気づかないととも思う。
もちろん最初から所有物などにせず、
一人の人間として認めて子育てしている方もいっぱいいるだろう。
それでもじわじわと今日の母息子のような関係が増えている昨今。
これは子どもの親離れというより、親の子離れの問題なのかもしれない。
花吹雪の中、
育てることの難しさと、育てられることの難しさを感じた光景でした。
桜の季節の人出での賑わいが一段落したころ、
今度はマンモス大学の入学式ラッシュとなる。
それは日本武道館があるから。
お花見シーズンと違うのは、
若い男女のスーツ姿であふれること。
そこに交じって、親と思われる40代と思しき夫婦連れ。
母と娘の並ぶ姿。
そして今年目立ったのは、息子と母が並んで歩く姿。
最近は入社式にも親が来てしまうというくらいだから
入学式に息子と母が一緒なんて、当たり前の風景か・・・。
と、思いながら歩いていると、
私の数メートル先を歩く息子と母がいた。
明らかに入学式に出席する服装。
でも武道館とは反対方向に歩いている。
どこか別のところで用を済ませてから行くのかな・・・、
なんて考えながら私も後ろを歩いていた。
ふと見ると、母の手にはA4サイズの紙が握りしめられている。
遠目にもそれはGoogle Mapを印刷したものであることが分かった。
やっぱり、武道館を目指しているのだろうか。
「こっちでいいのかしら・・・」(母)
「・・・・(無言)」(息子)
「なんか、違うような気がするわ」(母)
「・・・・(無言)」(息子)
やっぱり武道館を探しているんだ。
ちょっと行って、場所を教えようかななんて思っていると、
反対方向からやはり入学式に行くと思しき学生の集団が歩いてきた。
「やっぱり反対だったんだわ」(母)
「・・・・(無言)」(息子)
そしてその母と息子は踵を返して
その学生集団に交じって武道館の方に向かっていった。
「えっ、いったい誰の入学式????」
私は思わず叫びたくなった。
だって、入学式の主体は入学する息子でしょ!
マップをもって歩くのは息子であるべきでしょ。
何で、母親がマップをもって右往左往しなくちゃいけないの?
母親が地図を片手に、迷ったかなって思っているのに
全く無反応の息子。
そして、独り言のように言葉は発しても
息子に相談するという様子もない母親。
それは今まで母親がすべて息子のことを決めてきたからなのだろうか?
その結果としてこうなっちゃったのだろうか?
私は職業柄、オープンキャンパスのときの進学相談を務めることがある。
ここ10年間そこで一貫して起こっていることは、
まず、オープンキャンパスに
高校生が一人で相談に来るケースが極端に少ないことだ。
女子大ということもあり、80%以上が母と娘という組み合わせ。
そして10%くらいが高校生の友達同士。
残りの5%が高校生一人という割合だ。
そして、質問の時、
母娘のコンビの場合およそ95%の質問は母親から発せられる。
その横にちょこんと座る娘は
「うん」とうなづくか「ううん」とかぶりを振るだけ。
いったい入学したいと思っているのは誰?と首まででかかる。
が、相手はお客様。
にっこり笑って母親の質問に丁寧に答える商売人の私・・。
ほんとうにこの学科に入りたいのかなあ。
母親は出口、つまり就職状況はどうなのかを躍起になって聞くいてくる。
なんか違うよなーと思い続けていた。
これは女子大特有のこととも思っていた。
でも今日の母息子に出会って、これはそういうことではないって思った。
親っていうのは、良かれと思って、
子どもが自分で考える前に先取りして、
転ばないようにしていることが多いのかも。
自分の胸に手を当てて考えてみると、
私もそうだったと思うこともいっぱいある。
特に第一子との関係はそうなりがち。
子どもが少なければ、ますます親の目は行き届く。
行き届きすぎて、いつの間にか
自分のことを自分のことと考えない子どもを育てているのかもしれない。
でも、どこかで特に母親は
子どもが自分の所有物でないことに気づかないととも思う。
もちろん最初から所有物などにせず、
一人の人間として認めて子育てしている方もいっぱいいるだろう。
それでもじわじわと今日の母息子のような関係が増えている昨今。
これは子どもの親離れというより、親の子離れの問題なのかもしれない。
花吹雪の中、
育てることの難しさと、育てられることの難しさを感じた光景でした。