林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

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読売新聞の考える「メディアリテラシー」と「批判的読み」

2011年08月01日 | 文房具と読書
久しぶりにブログを再開する。切っ掛けになったのは、読売新聞の教育欄の記事「教育ルネサンスー震災とNIE」(2011年7月29日金曜日)を読んだらだ。どうしても、今回の記事については皆さんに紹介しておきたかったのだ。

テーマは、メディア情報を読み取る能力「メディアリテラシー」を養う教育だそうで、東京都下の某私立女子校での「教育」がとりあげられている。大変申し訳ないが、私の経験からいえば、いわゆる偏差値が低めの学校でメディアリテラシー教育が可能なのか危ういと思われる。しかし、とりあえず読み進めてみた。


すると、ちょっとビックリする内容が綴られているではないか。写真を見てほしい。


大事な内容なのでちょっと書き写してみる。

福島第一原発事故の風評被害で農作物が売れず、農家が打撃を受けているという記事を選んだ。「報道で原発の怖さが誇張して伝わった部分があるのでは。報道の力はマイナスに働く事もあると思う」と発言。稲津教諭は「クリティカルリーディング(批判的読み)だね」と指摘した。


この記事は二重三重にショッキングである。

そもそも、原発事故の放射能の危険性を報道することが、風評被害を煽って農家を困らせているというメッセージを発信していることである。原発賛成派の読売新聞らしい報道姿勢だとも言えるが、それを教育場面でも活用してしまう読売の露骨さにはちょっとたまげてる。風評被害がいけないというが、放射能入りの肉や野菜は怖くないとでも言うのであろうか。むしろ市民の健康被害が問題なのではないだろうか。あるいは、電力会社が農家に迅速で十分な保障をしていないことが問題なのではないだろうか。(次の記事「本当に『風評被害』か」が興味深い)

さらに丁寧に読んでみると、それ以上の内容が盛られていることに気がつく。というのは、この記事のI教諭のいうところの「クリティカル・リーディング(批判的読み)」のコンセプトが、ちょっと変だからだ。通常、クリティカルリーディングというのは、テキストを批判的に吟味・検討する読み方のことであろう。(参考、国際基督教大学 富山 真知子、Wikipedia記事 critical reading ) しかし、ここではまるで正反対の意味で受け止められているかのように読める。

次のような経過である。(1)「原発放射能の危険性を強調する記事が風評被害をもたらしている」という記事を配布したところ、生徒は素直に受け止めた。(2)上記の記事の見解に従い、原発放射能を危険視するマスメディアがマイナスの影響力があると生徒が発言する。(3)配布された記事に従って他の記事を批判するようになる読み方が「クリティカルリーディング(批判的読み)」だと賞賛される。

言い換えてみれば、(1)配布された記事の受容→ (2)配布されなかった他の記事の批判→ (3) (2)がクリティカルリーディング(批判的読み)だと賞賛される、ということだ。だが、普通の見方からすれば、これは「批判的読み」ではありえないだろう。なにしろ配布された記事を丸ごと信じてしまうからだ。それならば「洗脳」と呼ばれるプロセスではないか。なぜこれが批判的読みだと言えるのか?

勘繰って推測してしまえば、読売新聞の記事(原発安全の記事)によって他社メディアを批判的に解釈することが、「批判的読み」の内実だということになる。あるいは、原発放射能について批判的な記事について、それを批判的に解釈することが、「批判的読み」だということになるのであろう。私にはそんなふうにしか解釈できない。もう無茶苦茶である。

読売新聞はいくところまで行ってしまっているのかもしれない。悔しいけれど、まだ朝日新聞のほうがまともな新聞かもしれない。。。次からは、さすがに読売新聞の購読はやめにしようか。そんなふうに思った。

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