林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

雨の日に、New Yorker's CafeでJusticeを読んだ

2010年10月28日 | 教養英語
SandelのJusticeを一日一章読もうと思ったがやはり怠け心があって、ここ何日かは予定通りに読めなかった。が、今日は町田の喫茶店New Yorker’s Cafeで残りを全部よめた。(ここは読書にぴったりの環境である。勉強用としてもお勧め)

とりわけ面白かったのは、narrative conception of person あるいは、Human beings are storytelling beings.(221p)(人間は物語を語る存在である)という概念を知ったことである。我々人間というのは、自発的に決断したり意思したりする近代主義的自由主義的個人と言うよりは、物語を語りながら存在する者でありというのである。「小説的語りの中の登場人物のように、我々は次に何が起きるのか分からない。しかしそれにも関わらず、我々は未来にむけて何らかのプロジェクトをもって生きている」という言葉もある。

一方には経済学や功利主義哲学における個人主義的人間像があり、他方には宗教的なあるいは非宗教的な(古代ギリシャ的な)集団主義的人間像があるとしよう。この両極端に対して第三のスタンスが求められるとすると、この物語的な人間理解なのではないか。

現代日本の小説家、たとえば村上春樹や小川洋子などが繰り返し物語の重要性を述べているが、そういう小説家の主張ともつながってくるようにも思われる。


もう一つ面白い指摘があった。1960年代前半のケネディ大統領候補は自分の世俗性を打ち出した。彼自身はカトリックであったが、カトリック的価値観からは自由であると強調したのである。しかし、21世紀のオバマ候補(当時)はむしろ宗教的倫理的価値観の重要性を訴えるようになったと言うのである。なるほど、そうだったのか! そしてサンデル自身も、そういう考え方に賛成しているように思われる。しかし、問題点もある。アメリカが反イスラム的な方向に向かっている中、サンデルはイスラムとアメリカという問題については言及を避けていた点である。ユダヤ人差別やイスラム敵視の問題を捨象して、宗教を語るわけにはいかないのではないか。アメリカは欧州とは異なってイスラム教徒はすくないかもしれないが、その点はちょっと残念であった。

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