林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

古典を通じて人と人とがつながる可能性

2010年11月12日 | 文房具と読書
19世紀のヨーロッパやアメリカだと思うのだが、テレビがない時代なので、家族で小説を朗読しあったとか聞く。そこでは、小説を通じて家族の語らいがあったのであろう。

いま、「ジェイン・オースティンの読書会(the Jane Austen book club)」という映画をみている。現代アメリカの中年女性たちと、一人の男性の、オースティン読書会という設定である。

まだ冒頭のシーンをみただけである。だが、ここには非常に現代的な興味深いテーマがあると直感した。

大衆社会の中では、人と人との関係が希薄になっている。つながる契機がなくなりつつある。しかし、ベストセラー本を読むのではなく、ちょっと読みにくいが読んでみると引き込まれてしまう古典作品を読んでみると、事態が変わるかもしれない。互いに孤立していた個々人が、ちょっと深く繋がってくるかも知れないのだ。古典の読書会は、大衆社会の希薄な人間関係を超えうる可能性があるのだ。

そういえば、村上春樹の短編にもそんな小説があった。田園都市線沿線の川崎市のショッピングモールの喫茶店かどこかで、中年の男女たまたま同じ本をよんんでいたのだ。それも、ディケンズのマイナーな小説である。二人は男女の仲にはならないが、深く繋がっていることを実感する。どちらも同じベストセラー本を読んでいましたならば、お話にならないであろう。ディケンズのマイナ-な小説だからこそ、縁を感じるのである。(ああ、そういえば、小田急線で白人男性がアフリカ現代文学を読んでいたのだ。私は思わず声をかけたくなった。しかし、ハリー・ポッターを読む人に声をかけたいとは思わないのである)。

現代社会だからこそ大人の古典の読書会が求められるのかもしれない。砂漠のような孤独な空間だからこそ、古典を通じて人と人とが繋がるのである。そいういえば、あの変人哲学者の中島義道は、哲学塾を開いているのだという。私の知人がそのカント読書会に行ってみたのだが、案外普通の人たちの集まりらしい。中島先生も、人間嫌いどころか、実は他人を気遣うナイスなジェントルマンらしい。だが、変人作家の気まぐれと金儲けとしてしまうにはあまりにも惜しい。現代日本において、ビジネス書なんかではなくて、カントの読書会を催すということは、古典を通じて人と人とを結びつける先駆的な試みとして、大いに評価されるようになるのではないか? カント読書会は新しい社交と社会的結びつきの端緒となるのではないのか。そんな風に思うのである。

ちかいうちに、大人の古典読書会がブームになるかも知れないぞ!!