NAO'S BAR

LIVE & SHOTBAR CAROUSELAMBRA
ライブ案内
広島県呉市中通3-4-18 2F

WE'LL BURN THE SKY

2010-08-06 14:21:13 | インポート

毎年同じようなことを書いているような気がするが・・今日は有史において初めて核兵器が実際に兵器として使用された日である。

広島という県に生まれたワシは小さいころから身近にこの日を感じてきた。

今朝も早くから平和祈念式典をテレビで観ていた。。これはもちろん哀悼の意を表すためでもあるが・・それよりもむしろ平和宣言で秋葉市長がどんなとんでもないことを言うかを確認し、菅総理がよけいなことを発言しないかを確認するためである。 もちろん原爆犠牲者に対してワシは手を合わせて「安らかに眠ってください」と言う気持ちには変わりは無い。。がしかし、原爆慰霊碑に書かれている「過ちはくりかえしませんから」と言う自虐的な言葉には怒りさえ感じるのである。 この言葉は主語がないため、何故原爆を落とされたワシら日本人が過ちを犯したということを宣言しないといけないのかという論争が常に起こってきた。 左寄りの知識人は、この言葉は「全世界の人」がこれから過ちを繰り返さないように・・・という意味だ・・・という解釈をしてきているが・・この碑文を考えた当時の広島大学の教授の書いた原文の色紙が見つかったのである。その色紙には日本語と英訳文の二つが筆で書かれており、英文にはきちんと主語が記されていた・・・「We」と・・つまり英語を和訳すれば「安らかに眠ってください、ワレワレ日本人は過ちは繰り返しませぬから・・・」となる。。 まあもともと左寄り自虐史論者の多い大学教授の考えそうな文章であるが・・・。なぜ日本人が過ちの責任を負わなくてはいけないのか・・・・。

そもそも沖縄本土を落とされた日本は戦争終結に向けて降伏の準備を進めていた・・。しかし戦後の世界での立場を優位に持っていくため、米国は原爆を使用することが必要であった・・。そのためジリジリと日本の降伏の段取りをさせないように仕向け、、広島に原爆を投下したっ。アメリカ国内ではいまだに原爆投下が戦争終結を早めたと評価する論があるが、、とんでもない歴史的誤認である。

原爆の威力を見せつけて戦争を終結させるのなら、人口密集地である広島市に落とす必要は無い・・・、ましてやそのあと長崎に落とす必要もない。 御存知のように、アメリカは濃縮ウラン型の原爆とプルトニウム型の原爆の二発の及ぼす効果のデーターを収集する必要があったっっ。だから広島と長崎という立地条件と人口密集度の近い都市に、違う種類の原爆を一発ずつ落とす必要があったのである。。つまり人類史上最大最悪の人体実験に広島と長崎が選ばれたのである。

そして今日の平和祈念式典での秋葉市長の平和宣言・・・・「非核三原則の法制化」と「核の傘からの離脱」を訴えかけた・・・もともと社会党土井たか子のカバン持ちでバリバリの左巻きである秋葉市長は個人的に思想を語るのはいいのだけど、決して国論ではないことを、特に国家にはもっとも大事な安全保障と言う問題を、平和宣言という立場で全世界に発信するというのは、これは本当にまずいことではないか。。

核の無い社会を目指すというのはそれがたとえ理想論であれ良いことである。しかし世界では核はどんどん拡散し、いまやいつ国家ではなくテロリストという集団が保有するのか・・という状態である。 その中で秋葉のほざいた「非核三原則の法制化」「核の傘からの離脱」・・、これには大きな矛盾がある。今の世界で日本がアメリカの核の傘から離脱するということは、裏返して見れば、国家安全保障上日本も核兵器を保有するということである。いまだに憲法9条が日本の平和を守っていると勘違いしている能天気な人も多いが・・日本の平和を守っているのはアメリカの核抑止力である。 その傘から離脱するということは、日本固有の核兵器を保有するという覚悟がないといけないわけで・・・。それに非核三原則を法制化するということは世界が核の不拡散をめざして連携しているときに、日本だけ自分たちの国は被爆国だから「見ざる言わざる聞かざる」を貫きますよ・・・ということにほかならない・・・。

真の意味での慰霊というのは、世界の現状をしっかりととらえ、過去の史実にはしっかりと向き合い、現実に則した政策を行うことで当時の戦争で亡くなられた御霊に報いることが出来るわけで・・・決して自虐的に自分たちを貶めることで、御霊が報われるわけではない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする