NAO'S BAR

LIVE & SHOTBAR CAROUSELAMBRA
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あの日聴いた歌に抱かれ episodeⅤ

2008-07-24 15:44:47 | あの日聴いた歌に抱かれ

1983/6/21 以降たくさんの関西HEAVY METALバンドがメジャーデビューした。

ワシも上京してきた頃の熱い想いがよみがえってくるようで、このムーブメントにどっぷりとハマった。ライブを見に行く回数も格段に増えた。それもいままでのようなホールでのコンサートではない。新宿ロフト、渋谷エッグマン、鹿鳴館といったライブハウスだ。外タレのように何年かおきに来日するのではない、まさに日替わりで、いろんなライブハウスでギグがあるのだ。ライブハウスに行くことはワシの日常となった。

と同時に、ワシも忘れていた想いを振り起こして、ミュージシャン活動を始めなければ・・・と思った、、しかし、やはり3年間のギャップはいかんともしがたいものだった。たしかに毎日ギターの訓練だけはかかさなかったので、テクニック的にはなんの問題もなかったのだが、いかんせんどっぷりつかったミーハー大学生活で、苦労するということを忘れてしまっていた。いまさら知らないメンバーとバンド活動を始めようというガッツをどこかに置き忘れてしまっていた。あと、東京といってもワシの住んでるあたりでは、やはり、関西のような熱いムーブメントは起きてはいなかった。・・その後これではいかんと関東で奮起したひとつのバンドが出るのだが、そしてそのメンバーとも時を越えて交流ができるのだが・・・まだ、東京は関西からくる黒船にファンとして観戦していたような状況だった。

大学3年の頃のワシはといえば、やはり基本は女の子にもてなければいけないということで、ファッションも当時はやったデザイナーズブランドに身をかため、髪型は刈り上げのテクノカット・・・というなんともミーハー街道まっしぐらだった・・しかし、EARTHSHAKER..44MAGNUM等に出逢って、こんなに身近にROCKを感じられるようになって、ワシは変わった。大学のまわりの仲間や女の子からヒンシュクを買いながら髪を伸ばし始めた。金髪にも染めた。恰好から入るのだけでなく、いつでも出番があってもいいように一心不乱にギターの練習もした。

ワシは親との約束で、4年間は自由に大学生活を過ごしてもいいが、きちんと4年で卒業して、卒業したら田舎に戻って家業を継ぐための修行をするという約束をしていた。4年間仕送りをして、ワシを自由にしてくれた親を裏切って、東京に残って音楽活動をすることはワシにはできなかった。

Img020 いっぱしのROCK兄ちゃんが完成形に近づいたころ・・

いよいよ関東勢が関西勢に負けてたまるかと逆襲をはじめた、そう、あのANTHEMが声を上げ始めたころ・・

ワシは大学を卒業して、田舎へと戻ったのだ

大学生活は楽しかったし、ミュージシャンになるという道も自分で閉ざしたのだから、特に後悔というものはなかった。

ただ、いまでも、あの時東京の大学ではなく、関西の大学に進んでいたら、どうなっていただろう、、と思うことはある。ワシの後輩のヘボい丁稚のようなやつでも、関西の大学に進学して、メジャーデビューしたりしていたのだ。ただそんなことは誰にも分らなかったことで、普通は音楽やるなら東京を選ぶのが当たり前だしねっ

田舎に戻ったワシは親の会社を手伝いながら、スタジオミュージシャンもどきのような事をたまにしていた。まあこれは、当時はまだカラオケはテープのようなものしかなく、曲数も少なかったので、お客さんの要望で自主製作のカラオケテープを作ったりするときに、ギターひいたりしてただけで、稼ぎはなかったけどね・・

その後親父が亡くなって、、もうワシのわがままで今のLIVE&SHOTBAR CAROUSELAMBRAをやり始めたっていうわけ。そしていま、呉の情熱ROCKバカがここにいる。

ワシの人生の転機となった四枚のアルバム・・あれから25年が経過するけど、EARTHSHAKERのアルバムを最後に人生の転機になるようなアルバムに出合っていない。

5枚めの人生の転機となるアルバムに出合う日はあるのだろうか・・

あの日聴いた歌に抱かれ  the end

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あの日聴いた歌に抱かれ episodeⅣ

2008-07-22 14:14:03 | あの日聴いた歌に抱かれ

ワシの行ってた大学は当時都内では有数の革新校、というか左翼大学だった。学長の方向性というのも影響していたのだろうが、もう他校では沈静化していた学生運動もバリバリにやっていた・・まあこれも学部によって差があって、ワシの専攻していた経済学部はそんなでもなかったんで、ヘルメットかぶってサングラスとマスクしてる革マルだか中革だかわかんないけど、そんなやつを横目で見ながらわしらはミーハー大学生街道をまっしぐらだった。

そんな変わった大学だから学園祭なども、オールナイトでやったりしてた。オールナイトは事故や事件が多発するので、たしかワシが4年のときから廃止になったような記憶が・・

で、そんなへんな大学だから、普通学祭のイベントとかにはアイドルとか呼ぶのに、ワシが2年生の時の企画は「オールナイト・ロック・パーティー」で、メインにはカルメンマキ&5X、その他、白竜、子供バンド、東京ローズ、、、そして、オープニングアクトには・・・・

・・大学2年生のころ、、愛読してた雑誌「ロッキンF」に今大阪ではライブハウスとかでたくさんのマイナーなハードロックバンドが、ものすごい盛り上がりをみせている。という記事が頻繁に掲載されていた。で、そのバンドたちが時々東京に遠征してきて、東京のライブハウスでも酸欠状態のライブをしてる・・らしかった。

無論、ワシの周りでロックやってる東京人の中でそんなに盛り上がってるような気配はまったくなかったので、にわかには信じられず、ネタがないから雑誌が新たな話題作りで書いてるのかなぁ~~くらいに思っていた。

当時大学の先輩に梶木さんという人がいた。彼は大学に通いながらもフリーのカメラマンとして活躍していて、その「ロッキンF」という雑誌にもよく梶木さんの写真が掲載されていた。その彼が「大木くん、これからは大阪のバンドが熱いよ~ロックが好きなら絶対彼らに注目しておいたほうがいいよ」って教えてくれた。そのバンドが学園祭のオープニングアクト。彼らをブッキングしたのも梶木先輩だ。忘れもしない1982年11月19日。まだメジャーデビューも決まってなかった・・そのバンドこそが

EARTHSHAKER

オープニングは忘れもしない「EARTHSHAKER」  一番前で観てたんだけど、最初はオープニングアクトで、曲も知らないし、かっこいいなぁ~くらいの感じで観てたんだけど、「いいかげんじっとしてないでさわごうぜぇ~」というヴォーカルの蹴り上げで始まった「マリオネット」でもう会場は大爆発

・・・・これかぁ、大阪からやってきた黒船のパワーは・・・  東京もんには無いなぁ・・曲も覚えやすいし、歌メチャメチャうまいし・・今までの日本のROCKとは違う新しいタイプのバンドだなぁ・・

これは「ロッキンF」に書いてあった他のバンドも見てみたいなぁ・・

そして、その日より経過すること7ヶ月、、1983/6/21 いよいよデビューアルバムが発売された

Musicdoor_00100178615

覚えやすい歌メロ、はっきりと聞き取りやすい歌詞、メロディアスなギター、ヘヴィなリズム、そしてなによりも日本人なら必ず琴線に触れるメロディ

へんな和製英語を使ってやっていた洋楽コンプレックスの日本のROCKシーンを、まさに塗り替えるデビューアルバムだった。

そして、ワシもこのアルバムをきっかけとして、また自分の中で転換期を向かえていた。

・・・・すみません、もう少し続きます


あの日聴いた歌に抱かれ episodeⅢ

2008-07-21 16:02:19 | あの日聴いた歌に抱かれ

上京して初めて行ったコンサートは偶然にもIRON MAIDENの初来日公演。上京して一か月も経っていない頃だった。

今のようなでかいエディが出てくるのではなく、エディのお面をかぶった人間がたくさん出てくるという演出だったけど、東京に出てきて初めてのコンサートがIRON MAIDENだったっていうのも、今にして思うと感慨深い。

で、、、、ゴールデンウィークも開けて、いよいよ新しいバンド結成に向けて突き進もうと思っていたのだが・・・・

T・O・K・Y・O・・・・

その街はあまりにも楽しく、誘惑の多いCITY・・

そして、大学生活があまりにも楽しかった。たくさんの友人もできて、、毎日のように酒飲んで、はしゃぎつかれて、友人宅を泊まり巡って、ナンパして、コンパして、バイトして、海行って、スキー行って・・・そんなふつうの大学生がするような生活が楽しくて楽しくてしかたがなかった。友人と酒飲んで話してるだけで楽しかった。

大学で一番仲良かった奴がROCK好きだったので、ROCKの世界から離れるということはなかった。来日するバンドは必ずといっていいほど観に行った。あの武道館ライブがアルバムになったMSGの初来日、AC/DC、GARY MOORE、MOTERHEAD、OZZY、WHITESNAKE、THIN LIZZY、SCORPIONS、RAINBOW、、、etc...

レコードも、この頃から東京では少しずつレンタルレコードの店もデキてきたので、貧乏学生でも、新譜に触れることができた。

むろんギターを忘れたわけではなかった。アパートでは隣人の苦情と戦いながら、新しいアルバムが出るたび、新しいギタリストが出現するたびに、コツコツとコピーしていた。大学の友人とバンド組んでスタジオ練習したりもしてた。友達の前で自分のギターテクニックをひけらかしてたりしてた・・・。でも、高校時代に思いをこめて、そして上京してきたころの自分とはまったく違う自分がそこにいた・・

何度かスカウト、、というか都内のバンドに誘われたことはあったが、まったく知らない奴のバンドにいきなり入るより、大学の親友とバカやってる毎日を選んだ・・。あと、やはりこの当時はROCKというのは外人のやるもので、いくら日本人ががんばったところで、メジャーデビューなんてできるはずもない、、この当時はまだそんな時代だったんだ。だからその当時のROCKやってたやつらって、本当にお遊びだった。道が無いんだから趣味でやるか、売れなくてもいいからマニアックなアングラな世界でめだってればいい・・そんなやつらばかりだった。

日本初の世界に通用する本格的HEAVY METALバンドとして、LOUDNESSがデビューした。たしかにすごかったし、ワシもかなりハマったけど、所詮LOUDNESSはLAZYという超メジャーなバンドの進化形で、所詮サラブレッド・・・まだまだ日本人ROCKというのではなく、洋楽アーティストの延長線・・というイメージだった。だから、デビュー当初からはるか上の存在で、彼らがデビューしたからといって、ワシの日常が変わるわけでもなく・・・・あいかわらず酒飲んではしゃいでた・・大学3年生の時

東京では馬鹿サーファーがディスコで踊りまくっている時

西では地殻変動が起きていた・・・・・

もう少しだけ続く・・・・

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あの日聴いた歌に抱かれ episodeⅡ

2008-07-20 15:38:49 | あの日聴いた歌に抱かれ

Photo ガガガッガガッガガッガガッガガガ

その金属的なリフで世界中の新しい幕が上がった。

そうIRON MAIDEN「鋼鉄の処女」

今でもあの時初めてこのアルバムを聴いた時の体中からこみ上げてくる衝動は忘れることはできない。今までにない攻撃的なリフ、次々と変化していく曲展開、そしてあの特徴的なバキバキというベース音。どれを取っても衝撃的だった・・

ワシの人生を変えたアルバムというちっぽけなものではなく、まさにこのアルバムはROCKの大きな起点に立ったアルバムである

彼らの音楽はNEW WAVE OF BRITITH HEAVY METAL(NWOBHM)と名付けられ、それ以降次々と後続のバンドがデビューした・・SAXON..TIGERS OF PANGTANG..DEF LEPPARD・・・etc...

アイアンメイデンを聴いて、ワシがこれからやっていく音楽の方向性も固まった

大学受験は、一勝九敗という散々な成績であった。まあ音楽ばかりやってて勉強しなかったもんなぁ・・でももともと東京の大学に行って音楽をやるというのが目的なんだから、、九敗しても一勝すればオッケーなのである。かくしてワシは上京することになった。

不安は無かった。もともと親と生活するのがいやで高校時代も家の離れで一人暮らししてたし、炊事洗濯はお手の物だったしね。

高校時代にやってたバンドは5人編成だったが、そのうちギターとヴォーカルとワシの3人が東京に進学した。上京してからは何度かスタジオ借りて練習したりしていた。

4月は何度か練習したが、ゴールデンウィークの頃には会わなくなってしまっていた。今のように携帯電話なんてものがあるわけでもないし、アパートや下宿先に電話を引いているやつなんてほとんどいないような時代だ。連絡をとるには手紙を書くか電報を打つか、直接相手の下宿を訪ねるしかない・・そんな時代である。そういえば大学3年のとき祖母が亡くなった時、よくドラマであるような「ソボキトク、スグカエレ」という電報をうけとったなぁ~~

あんなにがんばろうと誓って上京した3人ではあったが、やはり3人とも違う大学で、違う環境でお互いやらないといけないこともたくさんあったんだろうし、やはり連絡手段がないというのが大きな要因だった。で、ワシらの夢をのせた最初のバンドは自然消滅した・・。

ところでワシはこのギタリストのことが昔から好きではなかった。うそをつくことが当たり前、ひとに迷惑をかけても自分がよければいい・・という性格がいやでいやでたまらなかった。しかし、ずっと一緒にバンドしてたし、コンサートもいつも一緒に行っていたのでいわゆる「腐れ縁」というやつだった。だから少しだけ彼と別れてせいせいしたという気持ちはあった。だけどヴォーカルのやつには悪いことをした。彼は高校2年の時彼の声に惚れこんで、他のバンドから引き抜いた。もともと地元に進学するつもりだったのをむりやり説得して東京の大学に進学させたのだ・・・それなのにたった2ヶ月でオサラバなんてさっ・・今はなにをやってるかも全然わからない、、ただただ幸せになってくれてることを祈るばかりである。

さあ、心機一転、新しいメンバーをさがして突き進むぜ~~

と思っていたのだが・・・そうは行かないのが人生なのである

まだまだ続く・・・・・まだ人生の転機となった4枚のアルバムのうち3枚しか出てないしねっ

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あの日聴いた歌に抱かれ

2008-07-18 15:06:12 | あの日聴いた歌に抱かれ

33~4年も前のことだけど・・

当時中学校1年生のワシは大のTHE BEATLESファンだった。まだ、子供でワシのまわりはピンクレディーとか、歌謡曲をテレビでみてるようなクソガキばかりだったけど、なぜかワシはビートルズを聴きまくっていた。小学校のころ買ってもらったガットギターで、へたくそながらビートルズの曲をかきならしてた。コードとかリフとかまったくわからないし、まわりにギターが弾けるやつなんていなかったので誰にも教えてなんかもらえない・・・、単音で音を拾ってなんとなくその気になってただけなんだがね

そんなワシに中2の夏に同級生のお兄さん(・・当時大学生だったかな、、)が「これ聴いてみぃ~」といって貸してくれた一枚のLPレコード、それが

Ggking_wpcr75003_2 レッドツェッペリンのサードアルバム

ターンテーブルに置いて針を落とすと大爆音で流れてきたのはあの有名なリフと「アアア~ア~」というシャウト

そう、この瞬間に今のワシが生まれた・・一階で家事をやっていた母が二階におどろいて駆け上がってきたのを今でも覚えている。

それからその大学生にいろいろ教えてもらった。DEEP PURPLE  CREAM   YES  ・・・

でも、やはり最初に「移民の歌」を聴いたときの衝撃を超えるものには出会わなかった。すっかりロックのとりこになったワシはとにかく時間さえあればROCKを聴いていた。

そんな時DEEP PUEPLEのギタリストだったリッチーが作った「レインボー」というバンドが、広島にくるらしい・・という話を学校で聞いた。

で、学校帰りに「公声堂レコード店」に寄って、買ったLPレコード

031f8ec6 レインボー RISING

ワシは間違えてB面(CDじゃなくレコードなんでAB面があったのよ)から聴いてしまったのだが・・スピーカーから流れてきたのは

「ダンダカダッダ、ダダダダ、ダカダカダッダ・・・」というすざましいまでのドラム・・そしてヘヴィなリフ、、物凄いヴォーカル・・もう痺れまくったね。

A面から聴いていたらそこまでの衝撃は受けなかったのかもしれないが、、未だにワシの大好きな曲ベスト10には必ず入るあの超大作「STARGAZER」を聴いて、ここでまたワシの人生が変わった。というかこれを聴いてそして広島県立体育館で彼らのライブを体験して(これがワシの人生で初めてのライブ体験)人生が変わったんだろうね・・・ワシも聴いてるだけじゃなくてバンドをやろう と心に決めたワシが生まれた。

高校生になってからも相変わらずの音楽三昧。ギターとベースを親にねだって買ってもらって、バンド活動も開始した。当時みんな親にギターは買ってもらえるのだが、ベースをやりたいというやつがいなかったので、ワシは家ではギターを練習していたが、バンドにはベースで参加した。コピーも当時は今のようにタブ譜もなかったし楽譜もそうそうなかったので、もっぱら耳コピーバンドでやるのにまずベースをコピーして、自分で楽しむためにギターをコピーするという日々が続いた。これがよかったんだろうねまずベースラインをしっかりコピーしてからギターをコピーしていくということを当たり前に繰り返したことが、今のワシの即興演奏やアドリブ、セッションなどに生きている。

コンサートにも学校休んで、東京、大阪、博多と行けるだけ行った。あの当時呉の片田舎に暮らしててあれだけたくさんの洋楽ROCKのコンサートに行った高校生って、ワシら以外にはまず、いなかっただろうね・・・そのためには「キセル」とか悪いこともしたけどさ

自分の将来の方向性も決まった

ミュージシャンになるために、どんなヘボい大学でもいいから、東京の大学に合格して、東京で音楽で生きていこう・・

親は音楽には反対していたが、音楽をするためではあるけど大学にいくために勉強していたので、音楽をすることは黙認していたという感じだった・・・

この頃・・ワシが高校生の時代・・はHARD ROCK界はまさに暗黒の時代だった世界中ではイギリスから発生した「パンクロック」「ニューウェイブ」がはびこっていて、レッドツェッペリン等ハードロックは「オールドロック」と言われ時代遅れのものとされていたのだ・・テクニックなんかまったくなくても想いだけで安易にできる「パンク」はまさに世の中を席巻していた。ワシのまわりにも破れたTシャツ着て、中指つっ立てて陳腐な単語を並び立てて叫ぶパンクロック野郎が急増していった。バンド仲間の中にもそっちに傾いていくやつもいた。

このままだったら、いくら東京の大学に受かっても、方向性を変えない限りワシらのようなHARD ROCKは廃れていくばかりだな・・・と思っていた頃・・・そう高校3年生のころ、イギリスから、奇跡とも言えるあのBANDのデビューアルバムが発売された

・・・・・・・・後半へ続く

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