NAO'S BAR

LIVE & SHOTBAR CAROUSELAMBRA
ライブ案内
広島県呉市中通3-4-18 2F

最後のCAROUSELAMBRA

2008-10-25 14:38:59 | CAROUSELAMBRA

CAROUSELAMBRAの歴史を簡単に紹介するシリーズも今回が最終話。

2007年の3月・・

義母のやってるお店のお客さんで音楽が好きな人がいた。義母がワシの店を紹介してくれて、その人はCAROUSELAMBRAに飲みにきた。 席に座るといろいろ聞いてきた。「この店は誰でも演奏させてくれるの?」「音楽はどんなジャンルでもいいの?」

それに答えると、その人はすぐに携帯を取り出して電話をかけた。

「ライブができるいい店をみつけたからすぐにそこを切り上げてこっちにおいで

そのうちドヤドヤと集団が入ってきた・・・お店のチラシを見ると「ぼくらのやっているサークルとこの店のコンセプトが同じなんです」 名刺を取り出すと熱く語りだした。二枚の名刺には・・呉フォーク村、村長〇〇とひげ助役〇〇と書いてあった・・最初はぜひライブを一度させてほしいという話から、、次第に話は盛り上がり月一の定例ライブを・・・という話になった。

単発のライブというのはこれまでもたくさんあったが、月一の定例の契約というのはワシの店でも初めてのことだった・・

「フォークかぁ~」正直ワシは思った。ワシはアコースティックも大好きだし日本の音楽も大好きなのだが、どうもフォークという響きは学生運動、反戦歌のようなイメージでアレルギーがあった。 しかしどんなジャンルも拒まないというのが店のコンセプト、月一で売り上げが見込めることも魅力だったので引き受けた。

Img356 こうして、月一の呉フォーク村定例ライブが2007年の4月からはじまったわけだ。何度か回を重ねてみると、フォークといっても昔のフォークばかりではなくって、若いやつらもいるしポップスや最近のJ-POPなども演奏するんで、純然たるフォークというライブじゃなかったんでワシ的にはよかった。いつだったか、イムジン河を演奏されたときはさすがのワシもまいったけど・・ メンバー(彼らの用語では村民という)の中にはROCK好きな人もたくさんいたのでうれしかった。ワシも時々セッションに(彼らの用語ではコラボという)参加させてもらったりもした。

彼らのおかげで店に新しい灯がともった

ちょうど同じ時期・・

お店が暇だったのでインターネットで、昔大好きで、自分も目指したJAPANESE HEAVY METALのバンドやメンバーの今の消息や今の活動状況を探して楽しんでいた。

ひょんなことで、このサイトにたどりついた。

http://suemi.sblo.jp/category/528584-1.html

(その時以来ずっとこのサイトは、誰のどういったサイトだかわからなかったのでその時以来みることはなかったのだが、先日SHARAさんのブログで紹介されているサイトを開いてみたらこのサイトだったので、びっくりしたし、うれしかったしみんなにも紹介したいのでこの投稿を書く気になったのだ)

そこには昔からずっと大好きだったEARTHSHAKERのMARCYのインタビューが掲載されていた。

これを読んでワシは打ちのめされた・・まさに真理が語られていた。「志」・・ワシが少し忘れかけていたものの答があった。日々をしっかり生きていないやつには夢がつかめない・・・ハンマーで殴られたような思いだった。涙がボロボロとこぼれてきた。

その日からCAROUSELAMBRAもワシも変わっていった。フォーク村に輸血されMARCYの言葉に心臓マッサージを受けて覚醒した。・・フォーク村の人たちに「奥の部屋がきれいになってる~」とか言われたのがこのころかなっ

自分のこれまでのそしてこれからの「志」に音楽というワードがある人は、ぜひ上記のインタビューを読んでもらいたい。・・・ワシがいつも店で語っている言葉が実は彼からの受け売りだってことがバレちゃいますけどね・・

だけど、そこから頑張って日々を挑戦者のように生きてきて、横浜でバッタリMARCYに再会して、これまた人生の歯車が大きく回りだしたんだから、運命ってすごい。

ちっぽけな店だけど、これからも挑戦者でありつづけるよ。

ひとまずFin・・

コメント (6)
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CAROUSELAMBRA 征服

2008-10-24 16:50:59 | CAROUSELAMBRA

ひさびさに連載歴史物・・・。「続・新・征服・・」と続く映画の正解は「猿の惑星」でした・・ということは、、次は「最後のケラウスランブラ」だけど・・・ケラウスランブラを辞めちゃうわけではありません

悪循環でジレンマを感じながらも、30代後半のワシはお店のことより「まちづくり」「地域開発」「教育問題」「くにづくり」みたいなことに躍起になっていた。

まちづくりのNPO団体をつくったり、教育問題では教科書問題とかにも取り組んでいた。個人的な活動では限界もあるし、やはり議会制民主主義のこの国で、まちづくりをやっていく上での究極の選択は政治家になるということで、あまり話したくない身の上話ではあるが選挙に出たりもした。 当選するわけがない、、なにしろワシは人に頭を下げることが大嫌い子供は嫌い、老人は嫌い、身障者も苦手、、、立候補を決めてからの何年かは、会う人会う人に頭を下げなくてはいけないので苦痛の日々だった・・いくらまちづくりをしたいという志が高くても、政策を立案する能力があっても、人に頭を下げないと票が入らないのが選挙というものだ・・長い髪を切って七三に分けて、皮ジャンからスーツに着替えて、ひとにペコペコして・・そんな自分を偽ったワシが当選するわけがない。

そんな時期CAROUSELAMBRAは、かなり中途半端だった。

女の子ひとりに店番をさせてたり・・友人に代理マスターをたのんでやってもらってた時期もあった。・・・そんなことで、音楽好きROCK好きが集まるLIVE BARが成り立つわけがなかった。 ライブをしたいという客がきてもワシが忙しくって留守なんだから始末に負えない

Pict0437 ストレス発散のためにバンド活動は継続していた。バンドのヴォーカリストも二代目三代目と変わっていった。

二代目ヴォーカリストは呉では有名なヴォーカル講師・・実は同級生、、彼の弟が当時のベーシストだったので、メンバーになってもらったのだが、長くは続かなかった。 家庭の事情やら、、ライブに対する姿勢やら、、まあいろいろあるわいなっ。 彼とのライブは2回くらいしかできなかったが写真はRAINBOWのコピーライブ・・二人ともコスプレでリッチーとジョーリン決めてますなっ。彼とやったEARTHSHAKERのコピーライブはホント楽しかった。。。

選挙後のワシはと言えば・・

厄年とはよくいったもので・・

ああいうのは本当にあると思うわ~~離婚も経験し、一番の親友も死んじゃったし、その頃からCAROUSELAMBRAはワシ一人でやるようになっていたのだが、子育てもあるので店も休みがちになってしまって、ほんとに中途半端な時期だった。

だけど、ひとりでやりだしてからは、いままでとは逆にROCK好きのお客さんには大変楽しい店になったと思う。その頃はお客さんのリクエストでワシもガンガンにギター弾いてあげてた。やまさんとか庄野くんとか、SASAKIくんとか、いわゆるROCKマニアが来てくれ始めたのもこの頃だすみません・・当時はお店休んでばかりいて・・・

Wo3l2310_2バンドも三代目ヴォーカリストになり、今までできなかったPOWER METALも選曲できるようになった。 一番攻撃的なライブを展開するようになった。。PAINKILLERとかやったっけなぁ・・たしか、、今思うと信じられない

その分HEAVY過ぎて、全然受けなかったけど・・・

ワシの店はオープン当初からHEAVY METAL & HARD ROCK専門のBARで、チラシやポスターには「どんなジャンルの音楽でもライブできます」とは書いてあるのだが、やはりイメージというものがつきまとっているのか、ROCK以外のジャンルの方には非常に敷居の高い店だった・・だからお客さんも限られてしまうからいつも暇なんだけどね・・

しかし、そんなワシの店に大変革をもたらす人たちがお店に飲みにきた。

あと一回だけ続きますねっ


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新・CAROUSELAMBRA

2008-10-19 16:47:58 | CAROUSELAMBRA

前回の「歴史物」は「EPISODEⅠ~Ⅴ」という副題・・そうこれはSTAR WARSシリーズから引用。 では今回の「続・新・・」と続く映画はなんでしょう 

映画といえば・・今日は「スパイ ゾルゲ」を借りて観た。。なんで今さら・・なんだけど、「おくりびと」のモックンの演技が良かったんで、、ついつい。  で、観てみると・・共産スパイのリヒャルト・ゾルゲや尾崎秀実は戦争を止めるためにスパイをした善人で、日本国や日本軍が悪人という、クソッたれ左翼思想の映画だった・・まさに朝日新聞思想 途中で観るのをやめようかと思ったくらいだ。。 まあ、最後まで観たんだけど、エンディングに流れたのは「想像してごらん、国家も国境も宗教もなくなれば平和がくるよ」というファッキン左巻きソング、ジョンレノンの「イマジン」・・ モックンの演技はよかっただけに残念な内容の映画だった・・

Dscf2100 CAROUSELAMBRAは月に一度くらいのハウスバンドのライブや、話を聞きつけたバンドたちが集まってきて、まずまずのスタートを切った。やっと呉にもライブができる店ができた、、と喜んでくれる人もたくさんいた。 

その頃のワシは・・・オープンの年が、青年会議所の理事長予定者、次の年が理事長、その次の年が日本の委員長、その次の年が日本の筆頭議長、その次の年が広島県の会長、そのまた次の年が中国地区の会長、、、と、一年のうちの三分の二は呉にいない・・・そんな生活を続けていた。 もちろん家庭も崩壊状態、、お店のほうもほとんどスタッフに任せっきりになっていた・・・。六本木の帝王といわれて調子に乗って六本木で毎夜毎夜散財していたバカなワシもこの頃さっ。  でも社会のために真剣に活動していた。きらら公園には「この公園は呉市で初めてワークショップによって作られた公園です」と立て看板があるが、呉市に初めて「ワークショップによるまちづくり」の概念を持ち込んだのはこのワシだ。この頃は行政のまちづくりの裏アドバイザーのような存在でもあった。威張るわけでもないがNPOの概念を呉に広めてNPOネットワークの構築をしたのもワシである。たくさんの政治家の知り合いもでき、近年の総理大臣は福田総理以外はお会いしたことがある。言論人では小林よしりんや金美齢さんとも親しくなって、、なんか恐いものなしだった。今となっては恥ずかしい限りだが、まさに有頂天だったのだ。。。CAROUSELAMBRAのことはほったらかしにして・・・

スタッフの女の子たちは、残念ながらROCKの話がまったくできない・・もちろん楽器もできない・・・ROCKが好きなお客さんが来ても、ワシがいないので、音楽の話をすることもできないし、ワシがいないときは楽器を勝手に弾かせないようにスタッフに指示してたので、楽器で遊ぶこともできない、、、、オープン当初にできた顧客の人たちの足も徐々に遠のくようになっていった。

また、この頃働いていた女の子たちは、ワシが面接して決めていたので、みんなそれなりに可愛いかった・・ その辺のスタンドバーで高いお金払うなら、、ワシの店で安いカクテル一杯飲んで女の子と話して・・・という感じで、客層が音楽好きから、ふつうのスケベなおっさんへと変わっていった・・。 音楽を楽しみに来るわけではなく、女の子が目当てのお客さん、、そういう客層へと変わっていった・・・

ハウスバンド「FYNUL VYNUL」は定期的にライブしてた。 この頃のライブは今日はBON JOVIデー、今日はRAINBOWデー、今日はVAN HALENデーという感じで、その日その日で、一つのバンドのライブをフルコピーするという非常にマニアックでかつ非常に技量のいるライブをやっていた。かわいそうなのはヴォーカリストで、そのたびに15曲くらいの新曲を英語でまるおぼえして、歌いこなせるようにならないといけないのだ・・ワシや他のメンバーはもともとROCK好きだから知ってる曲だが、その当時のヴォーカリストはもともとフォーク畑のやつだったので、まったく知らない曲を2~3週間で15曲、ワシらのバンドで歌えるレベルまで持っていかないといけなかった、、大変だったと思うわ・・ワシも妥協はゆるさなかったし。

そのうちメンバーの一部が仕事が広島市に変わって、住居も広島市内に変わったりして、以前より頻繁にライブができなくなってきた・・

客層も変わったので、ライブをやっても観客が動員できなくもなってきた。。悪循環につぐ悪循環でお店にもバンドにもジレンマを感じていた・・

たぶん続く・・・・

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続・CAROUSELAMBRA

2008-10-17 14:38:19 | CAROUSELAMBRA

081017_140839 昨夜は藤原紀香とお付き合いする夢を見た・・こういう夢を見ている時に目が覚めるとマジ腹が立つ・・・・

店の名前を決める時、、、ROCKに関係する名前をつけようと思っていた。たとえばバンド名とか、曲名、、いくつもの候補が上がり消えていった。あまりにもメタルすぎると客層が限られそうだし、ということで「トランシルバニア」とか「アンセム」とかも候補に挙がっていたがボツ・・ 最終的にワシらくらいの年代の人にウケがいいようにとLED ZEPPELINかQUEENあたりの曲名を店の名前にすることにした。「MOBY DICK」「BLACK DOG」「KILLER QUEEN」・・・いろんな候補が挙がった。

その中で、どうしても気になる曲名があった。「CAROUSELAMBRA」・・単語の意味もわからないし、読み方もレコードについている日本語訳に「ケラウスランブラ」と書いてあるだけ。・・いまだに本当に「ケラウスランブラ」と発音するのかも不明だ。歌の歌詞の中にも一度も「CAROUSELAMBRA」という言葉は登場しない・・。 ちなみにお客さんで来たアメリカ人やイギリス人に「CAROUSELAMBRA」の発音と意味を何度か聞いてみたことがあるんだけど、、、誰一人わからなかった・・。 ツェッペリン最後のスタジオ録音となるアルバムに収録されている曲で、ジョンポールジョーンズのその当時の趣味がモロにでた、シンセサイザー中心の10分にもおよぶ曲で、どちらかというと評価の低い駄曲だ。

まわりと相談しても、なんとなく不思議な響きがするし、意味不明なところもワシの店らしくっていいんじゃないか・・という意見だった。Index_back

今となっては、もう少しみんなが覚えやすい店名にすればよかったかな・・とも思ってはいるのだが、店名は「CAROUSELAMBRA」に決定した。

告知のポスターやチラシにはロバートプラントを無断拝借して・・

当時のワシのバンドは、バンド名が「カスタード・パイ」・・なんとも可愛らしい名前だが、れっきとしたLED ZEPPELINの名曲。

ワシの店のハウスバンドとして、月一回くらいのペースでライブをしていた。

Band_old_sinji このバンドはもっぱらLED ZEPPELINのコピーばかりをやっていた。

それはもうジミーペイジばりにバイオリンの弓でギター弾いたり、ダブルネックギターが登場したりと、コテコテのツェッペリンバンドだった。

しかし、「アキレス最後の戦い」とか「天国への階段」とかどの曲も10分くらいある大作ばかり演奏していたので、ツェッペリンファン以外にはあまりにもウケが悪くって・・

ミーハー心も出てきて、もう少し若い女の子にもウケるように「BON JOVI」とか「AEROSMITH」とかをやるバンドを作ろうと、メンバーはほとんど変わってないけど、新たなバンドを結成した。

それが10年にもわたっていまだに第四期になるけど活動をつづけている「FYNUL VYNUL」だ。・・・

ごめん、もう少しだけ続く・・・

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CAROUSELAMBRA

2008-10-16 19:02:56 | CAROUSELAMBRA

ワシの記憶が定かなら、ワシの店「LIVE&SHOTBAR CAROUSELAMBRA」がオープンしたのは、1997/8/1だ。

呉にないもの、、「音楽好きが集まって酒を飲みながら思い思いに演奏できる店」、、そんな店がやりたい、、と昔から思っていたが、、死んだ親父が残してくれた洋品店をやめていいものかという葛藤がいつもワシにはあった。  

バブルもはじけて、当時会社が東京に所有していたマンションも値が下がり、維持費はかかるばかりなので手放そうとしていた。 当時の景気ではなかなか買い手も現れなかったのだが、やっと買い手もみつかり、そのお金をそのままにするよりは有効活用しようと思った。 今後商店街で物販業を営んでいっても先がないことも予想がついた。・・儲けはなくてもいいから、好きなことがやりたい・・多分親父は草葉の蔭で泣いているだろうが、、ワシはあまり商売には向いていない・・。  いまこそ、ライブバーをやる時だと思った。

やるからにはとことんいい店にしたかった。 東京などのライブバーにはよく行っていたが、大体は地下の薄汚い店だ。ワシは内装にはこだわった・・ライブをやってないときは気軽に女の子でも来れるようなちょっとは小洒落た店にしたかった。 照明器具などは店舗デザイナーの人と何度も打ち合わせして決めた。。トイレのドアノブ一つ一つにもこだわった。

音響機材は友人の音響屋にとことんいいものにしてもらった。

奥の部屋は、いまでこそ物置兼控え室としてしか利用してないが、当初は、個室として利用してもらうためのものだった・・酒を飲みながらの会議や、コンパなどに使ってもらえるように作った。

今でこそワシ一人で切り盛りしているが、オープンしてから何年かはは女性スタッフが二人いた。もともと最初はワシはオーナーとして、カウンター内には入らずに、カウンターに座って飲みながらお客さんと話をしたりして、希望があれば演奏したりするスタイルをとっていた。

スタッフの女の子も決まった。

お酒のメニューや、オープン当時はあったFOODのメニューもスタッフと何度も会合を重ねて、カクテル作りのトレーニングもして、、

家に山積みになっていたギターたちもすべてお店に引っ越しをして、、

Home_holl

オープン前のプレオープンには友達や知り合いを招待して、、

いよいよワシの新しい人生のスタートとなる8/1をむかえた

少しだけ続く・・・


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