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いまこそ明かそう教科書採択問題 2002年5月10日

2002-05-10 19:28:58 | NAO の論文集


 私の文章や講演の中になぜ教科書採択の問題があまり多く取り上げられないのか・・という疑問をよくいただく。「大木さんほど教科書問題にどっぷりつかって取り組んだ人も少ないのだから、もっと話が聞きたい」という話もよく聞く。

 実は昨年は私が会長を務めていた日本青年会議所広島ブロック協議会として、広島県教科書採択審議会の三号委員として一名教育委員会より委嘱をうけていたという公的な立場もあったので、あまり口外することは避けていた、というのが事情である。


 年が明けて、年度も変わり委嘱も解けているので、そろそろ私なりの教科書採択問題をここで書きとめておこうと思う。



 ご存知のように、広島県は国内ワーストの教育問題をかかえている現状から、いち早く教育改革を推進する団体が多く発足している。そしていろいろな団体から今回の教科書採択に向けて色々な請願書や要望が地域の議会に提出されたが、その中でも「広島県教育会議」の提出した請願書が県議会で採択された。


内容は


   ・教科書採択の際の事前絞り込みを完全に廃止する


   ・採択に関わる審議員の名前を積極的に公表する


   ・審議員に教員以外の一般有識者を必ずいれる


というものである。


 そして、各採択地区の議会にも「広島県教育会議」より同様の請願書を提出し、同等の内容で「呉市」「庄原市」をはじめとしていくつかの地区で上記の請願が採択された。


それを受けて各地の青年会議所では講演会やシンポジウム、例会を通して今の歴史教科書の現状を広く社会に訴えかける活動を行ってきた。

 

  しかし、私はそういった表面的な活動では限界があると感じていたので、採択された請願の中の「審議員に教員以外の一般有識者を必ずいれる」という項目をさらに押し進め、是非この一般有識者にもっともふさわしい者として、地域で社団法人格をもって地域の青年経済人が実直に「明るい豊かな社会づくり」という理念の下「教育問題」「環境問題」その他の諸問題の解決に取り組んでいる「青年会議所メンバー」を審議員にしてもらおうという話を教育委員会に伝えてみた。


 広島県教育委員会には私の熱い思いを十分にご理解いただいたからなのか、もともとそのつもりだったのかはわからないが、広島県教科書採択審議会第3号委員(一般有識者の部)に社団法人日本青年会議所広島ブロック協議会として席をいただくことと相成った。


当初、会長として私が審議員にということで話が進んでいたが、一部の教育委員会側から「大木さんは、小林よしのりさんや西尾幹二さんなど特定の教科書の執筆者と近しい関係なので、審議員になってもらうと後々物議を醸し出す可能性が高い」という意見が出され

不本意であるが、私ではなくブロック協議会の副会長を審議員に任命した。


②障壁


実際に審議会に参加して感じることとして


・短時間ですべての教科書(小中学校全教科)を審議していく上で、歴史教科書だけに多くの時間を別に割くわけには行かず、淡々と決められたレールの上で審議を進行せざる をえなかった


短時間で審議するために前もって調査員の作成した資料のみでの審議で、実際の教科書を見るわけでもない。またその資料も簡易なもので、教科書の実際の本質がつたわらない。


・一連のマスコミの偏重報道で、審議会内や教育委員の中にも、あえて事を荒立てるのは まずいのではないかという空気がただよっていたような気がする。あえて扶桑社の教科書を選んで、問題になるよりは、これまで通りで・・という事なかれ主義が横行していた。


 特に栃木の件以降多くの「少数意見なのに声の大きい市民活動団体」などからの陳情活動、メール、FAX攻撃でますますその傾向が強くなったことはまちがいない。


 実際いくつかの地域では栃木以前には「新しい教科書が採択される可能性大」という情報が確実にあったのだが、栃木以後情報がとぎれ、ふたを開けてみると不採択という状況であった。


・不思議に思ったのは、教科書採択の根幹であり、それしか評価対象になるものはないはずである「学習指導要領」に添った議論が全然なされなかったということである。調査員から提示された比較資料にも、「グラフや表の使用頻度」「キャラクターをつかった表現」「読みやすさ」などという項目ばかりで、一番肝心な「学習指導要領に添っているか」という比較がなされていない。


 

というなかで、大変苦労しながら、身の危険も感じながら、子供たちの、そして日本の未来のために邁進してきたが、残念ながら惨敗であった。


◎ 感想


 甘かった!!


県の審議員にさせていただいた時点で「一本」取ったような気分になっていたが、「技有り」どころか「効果」「有効」にも至っていなかった。県教育委員会に最終決定権があるといっても、各採択地区から上がってきたものにはもうなんの口出しもできないのが現状であった。


 広島県内では「つくる会」「広島県教育会議」「国民会議広島支部」などの組織、そして「JC」がそれぞれの手法をとりながら採択実現に向けて活動を続けていたが、なんといっても、少数ながらピンポイントで効果的に発言してくる「プロ活動家」の巧妙さには、今更ながら感心してしまった。世界最初の被爆地であり、人権運動も盛んな広島は多数の活動団体が存在し、それらの団体が見事なまでの反対運動を繰り広げる。・・この中で「新しい教科書」を採択しようものなら、教育委員会は明日から仕事できなくなるんではないか・・といった感じである。


 広島県は5年前にあまりにも荒廃した公教育現場であったため、文部省より異例とも言える「是正指導」を勧告された。それ以後、国旗国歌の問題を含め現場の教育改革に真剣に取り組んで来ているように見えた。しかし、今回の採択問題で本当に改善できているかがはっきりと浮き彫りになった。そう、なにも改善していないのだ。国旗国歌問題も処分されたくないから、しかたなく「入学式、卒業式」の時のみやっているだけで、やはり県内の公立小学校中学校の教師たちの多くは「東京裁判史観」「マルクス主義」に基づいた狂信的組合員であり、処分をいやがりながら活動を続ける、羊の皮をかぶった洗脳家が多く存在する。


 もうひとついえば、自虐的教科書を改善するという理想形が、いつのまにか「扶桑社の新しい教科書」を採択する、しないという運動に特化しすぎてしまったのではないだろうか。じっさい「つくる会」も今度は四年後の採択に向けて・・という感じで教育現場の是正とは違う運動体になってしまったのではないか。今年採択の高等学校教科書は、またまたおもいっきり自虐史感あふれるものになっちゃってるし・・・。もし「新しい教科書」が採択されたと仮定しても、現在のシステムでは教師は「副読本」というものを授業で使用することができる。教科書は使わず副読本だけで授業していくことも可能であるし、また逆手にとって「新しい教科書」の内容を否定、批判しながら授業を進めていくこともできるのである。現場が変わらないと教科書の内容が自虐的でなくなっただけでは、真の誇りある日本国民を創り上げていく教育には程遠いのである。

これからの私の戦いは、ますます続いていく。


 そのための武器は何なのだろう、、ブロック会長ではだめだった、採択審議会委員になっても太刀打ちできなかった、、地道な活動ではプロ活動家には、かないそうにない。

PTA、政界、財界、などが今一度がっちりと手を携えて世論をリードし、さすがのマスコミも口出しできないような日本のアイデンティティーをいまこそどんどん発信し、サヨク主婦など知らず知らずのうちに洗脳されている国民の目を覚まさねばこの国に未来は無い。