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今日は水曜会で久しぶりに戸塚ヨットスクールの戸塚先生と会い、血色もいいしいつもの子どもの教育を話し合い、改めて先生の何事にも動じない信念。それに今の子供たちがますます変な行動を起こす。それに奇声をあげる。または急にキレたり暴れたり。初め私は不思議に思っていたが、学校などを回っている内に、異常な行動を起こす子に限って、親の愛情不足が原因ではないかと思っている。
それに対して学校側も少しずつ認めて来た。今学校や児童相談所も発達障害児として担当者や教職員も非常に病んでること、それに対しての対応が難しく、何かいい解決法がないかと、私たちに相談を持ちかけて来ている。私も発達障害の子を何人か預かったことがあるので、大変な事はわかっている。それではどうするか?最終的にはわたし達の方法しかないのではないかと思っていますが、この件に関しては教育関係者との話し合いも必要かなと思っております。今回改めて戸塚先生を紹介させていただきます。おそらく戦後教育の中で親から放棄された子どもを更生するために、ヨットスクールで徹底的に鍛え上げ、肉体的にも精神的にも強い人間作りは私もボランティアで40年近く空手を通じて少年達を徹底的に鍛え上げ、誰にも負けない強い精神力と力の人間作りをやってきた。実際ここまでやる場はあまりないのではないだろうか。
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「戸塚ヨットスクール事件」から30年---
あの時代が裁いたものは何だったのか。
1980年代、社会問題となっていた非行や登校拒否の子供達を、激しい体罰を含む訓練で再教育していた戸塚ヨットスクール。
訓練生の死亡や行方不明事件を起こし、時代のヒーローから一転、戸塚宏校長は“稀代の悪役”として裁かれることになった。
マスコミ報道と世論に圧される形で、体罰は教育界から排除、戸塚事件は時代の象徴となった。
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当時から自らの正当性を主張し続けた戸塚校長は、2006年に刑期を満了し、スクールに復帰した。現在、スクールには10名の訓練生が在籍しているが、体罰は封印され、そこにはかつての緊張感はない。訓練生の大半は引きこもりやニートで、その多くが20代と高年齢化、スクールは世相を反映している。70歳を過ぎた戸塚校長の講演は年間70回に及び、子育てに悩む保護者や教育関係者が集まる。あとのき時代は何を裁き、今にどう繋がっているのか。モンスターペアレンツの出現や学級崩壊など混迷を極める教育現場。平成ニッポンが抱えるジレンマが、スクリーンに浮かび上がる。
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報道の裏に確かに存在する、事件当事者の“生の姿”
本作を製作したのは、戸塚ヨットスクールを取材エリアに持つ東海テレビ放送。つまり、時代と世論を先導したメディア自身によって作られたドキュメントである。2010年5月にテレビドキュメンタリーとして東海3県で放送されると、再放送を望む声が殺到。
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未公開シーンも加えて劇場公開することになった。監督は、光市母子殺害事件を弁護側から照射した「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~などで高い評価を得ている東海テレビディレクターの斉藤潤一。
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2009年、戸塚ヨットスクールの屋上から、訓練生の女子高生が転落死した事件。カメラは、その3日前、入校する彼女の姿も捉えている。一般のニュースでは、“18歳の女子生徒”と扱われ顔の見えなかった彼女が、ここでは話し、笑い、泣いている。
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1980年代の事件当時からの長期取材によって、現場の内と外、その両側から事件を見つめた本作には、事件当事者それぞれの生の姿が刻み込まれている。
平成ジレンマは、2~3月に大阪市の第七藝術劇場を皮切りに、東京・ポレポレ東中野など全国で順次公開されます。
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金澤義春物語 第5編
納豆で飢えを凌ぐ 続き
しめた!と思った瞬間、その値段を見ると、これも金10円也。
えーい!当たって砕けろだ。
「その納豆8円で売ってくれませんか」
納豆屋はへんな顔をしていたが、 「あァいいよ、8円で売るよ」
と言って、私に、納豆を渡してくれた。
あァ、その納豆のうまかったこと、1粒食べては水を飲みといった具合に大切に頂いた。
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画像はエジプトでの桜の苗木の植樹での一コマ
ひと息ついて、なおも歩いていくと、ドッカン、ドッカンという音が聞こえてきた。だんだろうと思って近づくと、それはプレス工場だった。電灯の笠の何かを作っている。私にはよくわからなかったが、思い切って私は声をかけた。
「大分、忙しそうですね」
「あァ忙しいよ……」
「ひとつ私に手伝わせてくれませんか」
「そうだな、機会がひとつ空いているから、やってみるか」
「お願いします……」
よくもまあ、機会のキの字もわからぬくせに言ったものだ。私はもう真剣だった。
工場主は、私の目の前に機会を置いた。有難いことに、それは簡単な仕事だった。よし、これならやれうとそれに取組んだ。やがて昼になり、昼食の時間だ。
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画像はエジプト訪問した際の一コマ
「あんたメシはどうする」
「何もありません……」
「じゃあ、残りものでよかったら、これを食べな」
出されたのが、茶碗に盛った雑炊。押しいただいて、夢中で食べた。そのおいしかったこと。今でも思い出すとヨダレが垂れるほどだ。
これで空腹は克服した。そして夕食をご馳走になり、夜の10時までがんばった。
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画像はエジプト訪問した際の一コマ
「お兄ちゃん、よくがんばるね」
お褒めの言葉をいただき、奥さん手作りの雑炊をいただき、よし、これでいけると、私は自信をもった。
だが、寝るところは相変わらず駅前のベンチ、社長さん、工場のどこかに泊まらせて下さいとは一言もいわなかった。